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ブレチャとの出会い

 読書と音楽が好き、それ自体はよくあるただの趣味かもしれない。だが、私の場合は少々偏りがある。一部の界隈には度を越した熱量で向き合うけれど、知識は中途半端で一貫性がなく、かと言って飽きっぽいわけでもない。一旦興味を持って接した人やものは、無意識にいつまでも好きなのだ。よって、好きな人やものが無限に増え続け、その連鎖はジャンルの垣根を超えて、末広がりみたいな果てのない放射状になっている。
 このような現状については既出の記事でも書いたのだが、今回は一例として、筆者が今年の秋に初めてライヴを体験できる運びとなったbrainchild's(通称:ブレチャ)について、その出会いを振り返ってみたい。
 おそらく実際にライヴに行った際には、うるさいくらいのレポを書くことになるだろうと予測できるので、事前に、そこに至るまでの軌跡というか、やや変則的な出会い方をしたブレチャに関するエピソードを今ここで書いておきたいと思う。

※とても個人的な話になるので、読者様にとって有益な情報は皆無である可能性が高いことを、予め明記しておきます。

 brainchild'sは、念のために説明するなら、THE YELLOW MONKEYのギタリスト菊地英昭(EMMA)さんのソロプロジェクトであり、様々なところから才能豊かなミュージシャンをエマさんの声かけで集めたロックバンドで、ヴォーカルをはじめメンバーは時代によって変動を重ね、現在は「7期」となる。
 そもそも、私はTHE YELLOW MONKEYの楽曲が好きで、その殆どの作詞作曲を手がけるシンガーの吉井和哉(LOVIN)さんが好きで、バンド解散期のソロ作品も大好きなリアタイ世代のファンである。しかしその頃(バンド解散期)、ちょうど個人的にもどうしようもなく凹んでいた時で、音楽離れというか、吉井さんのCDだけは入手して聴いていたものの周りのことは何も知らず、情報から遠い場所に孤立していた。
 そんな背景もあり、おそれながらbrainchild'sについても無知だった私は、その後始めたばかりのSNSで、吉井さんのファンの方や、ミッシェルガンエレファントのファンの方などと知り合って、ネット上で推しについて語り合うという新たな楽しみを見出していた。家庭と仕事が生活のすべてだった窮屈な闇の中に居て、不意に黎明のごとく、やわらかな光がそっと射し込んだような気持ちだった。

 そして、それだけでも満足な日常に、更なるサプライズが訪れた。Keita The Newestさんご本人から、筆者のアカウントをフォローしていただいたのだ。おそらく多くの投稿を眺めて、吉井さん(ソロ初期)やTHE YELLOW MONKEYのファンをランダムに探してフォローされていたのだとは思うけれど、フォローバックではなく自発であったことが衝撃的で、気づけばKeitaさんとブレチャについて熱心に調べている自分がいた。
 Keitaさんはメキシコ生まれ、神戸育ち、バークリー音楽大学卒業という経歴の持ち主。吉井さんのソロ(YOSHII LOVINSON)アルバム制作の時にオーディションによって起用されたミュージシャンであり、1st「at the black hole」、2nd「WHITE ROOM」に参加している。この2枚は私の最も好きなアルバムと言ってもいい。日々孤独の中で、どちらも盤が擦り切れるほど聴いた。
 Keitaさんは、プログラミングやアレンジなどのアシスタントとして雇われたのだが、いろいろあって解雇(!?)となった経緯がある。といっても仲違いのような形ではなく、吉井さんはKeitaさんにスニーカーや洋服など新品同様のお下がりを大量に贈るなど、長きにわたり面倒見のよい兄貴分として親交が続いているようだ。

 もとよりTHE YELLOW MONKEYのファンであったKeitaさんが、エマさんのソロプロジェクトにも参加したのは必然と言える。オーディションの時から個性を発揮していたという裏方には収まりきれないアーティスト性を生かし、ギターやアレンジのほかヴォーカルも担当している。その後、シンガーソングライターとしてソロ活動を開始。ツアーも何度か実現した。
 筆者は、初めての地方公演となった大阪へ遠征し、SNSで知り合った方とたまたま現地で会い一緒にライヴ(地元の方たちとのスリーマン)を観たのが最初で、その後に実現した居住地名古屋の公演にはできる限り行ったのだが、中でも印象に残っているライヴは、ブレチャ7期のヴォーカリスト渡會将士さんとのツーマンである。
 例えるなら、お二人は月と太陽。ダークな一面も魅力であるKeitaさんと、笑顔が似合う健康であたたかなイメージのワッチさん。しかし、村上春樹さんの愛読者(チバユウスケさんと一致)でTHE YELLOW MONKEYとミッシェルガンエレファントが好きだという渡會将士さんは、きっと内面に深遠なる暗い穴を抱えているアーティストに違いない。それは詩的で奥行きのある歌詞と、哀愁漂うメロディに沿う叙情的な歌声に滲み出ている。
 芸術とは、作者の内面を映す鏡だと思う。作品はもちろん虚構だが、どんな真実も作品化された時点で既に純粋な事実とは異なる物語となり、その事象が100パーセント嘘でも、あるいは事実そのままでも、本質に変わりはないと思うのだ。

 話を戻して先述のライヴだが、筆者はワッチさんが初見、Keitaさんはアコースティックライヴは観たことがあるけれど、その日はエレキギターを使用するということで、内容的には初めての形態だった。
 ツーマンの前半はワッチさん。アルバムで聴いていた曲や、まだ音源を所持していない古い曲も演奏され、世界が拓ける感覚をリアルに体験した。筆者の居住地のCDショップ(業界最大手)に新譜が置かれていないという驚愕の事態を指摘され、会場に苦笑いが起こった。筆者も、なかなか手に入らない新譜を購入するべく会場に来たと言っても過言ではなかったので、住民として非常に申し訳ない気持ちになりながら、独特のMCに和み笑った。
 後半のKeitaさんは、普段の椅子に腰掛けて落ち着いた雰囲気ではなく、妖艶ともいうべきパフォーマンスでモデルのように美しいシルエットに派手な照明を反射させながら、超絶技巧を駆使してエレキギターを掻き鳴らし、激しく細い影を揺らしていた。かっこいい! ロックを目の当たりにした時の直球の感情、五感が痺れるような陶酔があった。

 終演後、物販では予定通りワッチさんのミニアルバムを購入。ベースの菅野信昭(キャノン)さんも自作のハンドメイドアクセサリー(!)を出品されていて、綺麗なデザインのイヤリングを購入した。
 ワッチさんにはCDのジャケットに日付とサインを入れてもらい、少しだけ会話もできた。
「ミッシェルガンエレファントがお好きですか」
 初対面の不躾な問いかけに対し、少年のような笑顔で
「もしかして世代ですか」 
と、キラキラの眼差しを返してくれて、極度の人見知りである筆者も思わず、そうですね、と自然に笑顔になって普通に話していた。
「時々チバさんの真似して歌っちゃいます」
 さっきまでステージで歌っていた人とは思えぬ素の感じで、心底楽しそうに話してくれて嬉しかった。握手した大きな手の厚みと温かさを忘れない。コロナ禍の何年も前の出来事である。
 この日は物販が二手に分かれていた為、Keitaさんのブースに行くことができなかったのだが、アルバムは予約で既に購入していたので、改めて列に並ぶのは時間的に諦めたのだった。後年のワンマンツアーでKeitaさんともようやく、少しではあるがお話できたので、この辺りの数年間は、ひと続きのように記憶している。

 その後、やがてウイルスの脅威が世の中を変えてしまい、Keitaさんは一時期、考え過ぎて活動できなくなってしまったこともあったようだが、最近また新譜のリリースやライヴを行い、現場に帰ってきた感がある。実は、これが今回の記事を書きたくなった真の理由だったかもしれない。
 渡會将士さんは、以前から書いていたという小説を単行本で出版したり、時々、雑誌やWebにエッセイなどを寄稿したりしている。もちろん、ミュージシャンとしてのソロ活動もbrainchild'sも等しく順調である。
 そんな2022年のブレチャのホールツアーに、しかも気軽に行ける距離の地元の会場に、ついに私も行けることになった。電子チケットが配信されるまでまだ実感が湧かないけれど、やっと当選したのだ。
 今までにも何度か抽選に応募してみたが、あのエマさんを小さめのハコで間近に観られるというのだから、なかなかの難関だった。今回は、ダメ元とリラックスして臨んだのがよかったのか、早期にチケットを得ることができた。近頃は猛暑におののく毎日だが、ブレチャのライヴに行ける秋を楽しみに、生き延びるしかない。

 ライヴは、人によっては生活に関わりのない趣味や遊びのひとつにすぎないかもしれないが、人によっては生きる理由にもなる。世の中が様変わりしても、たぶん人の心は基本的に、そんなに変わらない。
 最近また、音楽に限らずとも一見無意味のように思える芸術、もしくは創作、そのような精神活動の一環に真の価値があることを、書くことによって改めて思い出している。公に不要不急と呼ばれたそれら不可視の宝物を今一度かけがえのないものとして見つめ直すことは、私にとって重要な課題だったように思う。
 必要な出会いは、こちらから何かしなくても、最善の時に自ずと訪れるもの。世の中がどんなに変わろうと、この先もまだ未知の出会いが待っているのだとすれば、どんな状況があろうと、人としてきっと楽しみは尽きない。

ありがとうございます!