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ただ自分語り

こんな時に何かかけたらいいのにと思う。書けないからよりずっと。小説家になれた人はどんな人が多いのだろう。最初からすっかり最後まで書けてしまうタイプ、なんとか最後まで行く人、最後まで行ったものはひとつもなかったけどどうにかやって一本書ける人どんな人が多いのだろう。今のところ私は一作もないのでどれにも属さないがたぶんどうにかしてやっと一つ書けたというところに行くのだろう。もし書けたなら。

長時間のドライブはひどく暇でしかも一人と来ればやはりお得意の思考に走ってしまうのだ。書ける側ならだったらいいのにと無い物ねだりをしているが一生書けないのだ。このアイデアを文字にどうにもできないし、話し言葉でもうまくいかない。かと言って絵が描けるわけでもないのでイメージを説明する手段がテレパシーくらいしかないのである。これまでの人生でテレパシーが成功した事例がないので現在は私の頭の中を伝える手段がないのだ。

いつだって書くぱっと浮かんだ瞬間の主人公はあの頃の私の近くにいた人だ。中学生とその兄弟とSNSで繋がった人を短編だけど最終的に繋がってるっていうアレが書きたいのだ。何人かいて別々の誰かだけどよく行くコンビニの店員の側からだったり客側だったりとそこが交差するやつが好きなのだ。だから書きたい、しかし書けた試しがない。途中まではいける。書き出しはいつだって走っているのだ。大抵そういう時間はアルバイト前の15分だったりするからよくないのだ。タイムリミットが来るとバイト後に同じテンションで書けないのだ。そして次の日も書けないのである。何日かして急に続きを書くがあの時と同じかと言われるとなんとなく違うそんな気がしてしまう。

かと言って日曜の昼に書くぞといくら時間があっても眠っていたいと書かないのである。タイムリミットがある方がなんか書けてしまう。そんな書き出しがいくつも溜まってきた。最後まで行けたものは今の所いない。みんなまだ走っているのだ。これを書き切ったらお金をあげるよと言われても書けるのだろうか。逆にお金が発生するとしっかりしなくてはとか前後の矛盾がないかとかを気にしてしまうのだろうとかまだない未来を考えてしまう。

もしかしたら書けない人を書けばいいのかもしれない。ただ書けないそれをひたすらに書いてあれば読む人は疲れそうな気もするが今私が書けるのは書けないということである。しかしまるっきり私と同じ主人公では面白くない、最後にその人には書けるようになってもらわなくてはならない。そしてできればというか絶対ハッピーエンドで、そうじゃないと私が救われないと。

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