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日記 20240609

映画や小説などのエンターテイメントが好きで、物語に救われてきて、自分もそれを生み出していきたいとずっと思っているのになかなか行動に起こせなくなってきているのはなぜだろうと最近よく思う。
やりたいと思ってることが多いのはまず一つとしてある。あとは、やりたいことに関してもしお金がかかるのであれば当然財源という制限もある。
でも自分のマインドが一番制限をかけてしまっているのではと最近気付いて、自分も年を取ってしまったのだなと思う反面、そう思うことで諦めようとしている自分が嫌になった。

年明けから私を襲っていたメンタル的不調は、自分の内面にいる自分自身に対して厳しい目線を向ける自分自身を他者に投影しているからだと、桜林直子さんとジェーン・スーさんのポッドキャストを聴いて気づいた私は、その厳しい目線を向ける自分自身(通称:鬼コーチ)を『解雇』することにした。

もちろんこれは思考の癖なのでそんなにすぐには直らない。けれど、『お前、解雇!』と決めてから、鬼コーチが出しゃばろうとする度に『お前、解雇したはずだから口出しをするな』ときっぱり言えるようになった。
こうやって、自分自身に一番厳しい自分が内面にいるのを認識して、その上でその意識が邪魔してこないように自分でNoを言えるようになったことは私にとってとても大きい出来事だった。
これまでは何をしても、鬼コーチが私に厳しく接することによって萎縮してしまったり、苦しくなったりを繰り返していた。他人に認められなければいけないと、1番にならないといけないと思うのも、鬼コーチがそう言うから。周囲からはうまく行ってるように見えたり、実際に分かりやすく1番を獲っても、満足感が得られなかったり、まだまだだと思ってしまうのは鬼コーチがそう言うから。

その鬼コーチは子供の頃の母親の姿が内面化されたもので、鬼コーチが私に言ってくることは大抵元を辿れは彼女から私に浴びせられた言葉たち、呪いたちだ。
このことには薄々気付いていて、気付き始めてからは自分は呪いを浴びて生きてきたから、ということを自分が自分を主語にして生きていけない言い訳にしてきた。まるで散々使い古された毛布のように。
『となりの雑談』のなかで、さくちゃんさんは地獄のあみだくじと言っていたけれど、私にとってこの埋められない穴こそが地獄のあみだくじで、何かあるたびに鬼コーチが現れて私がせっせと少しずつ積み重ねた『生きていて良い』という感覚、『自尊心』を全て取り上げていく。そうして向かう先は『自分なんて生きていて良いわけがない』という答えにしか絶対辿り着かないよう作られている地獄のあみだくじだ。

このあみだくじや鬼コーチから、今100%脱出できているかと問われるとハッキリとYESとは答えられないと思う。
一朝一夕にはいかなくても、いつかこの内面化してしまった周りの声よりも自分の声を優先できる自分になりたい。

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