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「自分の頭で考える」と「他人に聞く」は別軸なのか
新卒の頃の思い出
社会人の中で上司によく「分からなかったら聞いて」と言われていた。
しかし、何でも他人に聞いていたら自分の頭で考える能力が失われてしまうと考え、なるべく自力で問題解決を試みていた。
Googleでの検索ワードや社内ツール・チャットにヒントが掲載されていないかチェックして成果物を提出することに拘っていた。独立したら気軽に質問できる人がいなくなるため、情報収集能力を鍛える必要があると考えていた。
最近、ふと考えることがある。
「自分の強みや才能に関しては自分の力のみで発見できないのでは?」と。
自分の才能や強みは当たり前にこなしてしまっていることだ。日本ではトイレで水が流れ、蛇口をひねれば水が出て飲むことだって出来る。公共施設にトイレットペーパーがあることも多い。
しかし、海外旅行をすれば日本のインフレの綺麗さに驚くだろう。肛門を自分の手で拭く文化もあれば、トイレットペーパーという概念すらない国も存在する。
つまり、異文化に触れて客観的視点を加えなければ自分を知ることができない。
冒頭の話に繋げると、自分のことに関して言えば自力で考えていても答えは出ない。洋服が似合っているかどうか判断するとき、鏡を見たり他人にファッションチェックをしてもらわなければセンスの良し悪しは分からない。
自分に客観的な視点を加えることで視野が広がるのだ。他人にアドバイスを求めることは決して悪いことではない。
だが、注意点が3つがある。
まず、誰に何を聞くかを明確にする必要がある。自分が何を求めているのか、質問者は自分のことをどれだけ知っているかによって回答の質は大きく変わっていく。ここは自分の頭で考えなければならない。
そして、アドバイスと感情を切り離すこと。もし相手の発言が気に食わないとしても、発言の内容自体が正しいかどうか見極める必要がある。
最後に、自分で取り入れる割合を決めること。100%鵜呑みも危険だが、聞く耳を全く持たないのも同様に危険だ。しっかり傾聴した上で取り入れる部分を抽出するのだ。耳が痛くても受け入れるべきなのか、ただの誹謗中傷なのかは傾聴しないと判断できないケースが多い。
注意点を並べると、他人に意見やアドバイスをもらうにも「自分の頭で考える」という行為が必要だ。
結論、自分の頭で考えるという言葉の中に「他人に聞く」という作業も含まれる。
情報が溢れている現代、どの情報をどれだけ摂取するか考えなければ必要ない情報に時間まで搾取されてしまう。また、他人に質問することが恥ずかしいことであるような風潮すら感じてしまう。分からないことがあったら勇気を出して他人を頼ってもいいかもしれない。意外と優しく答えてくれるし、自分では想像つかなかった場所まで連れて行ってくれるかもしれない。
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