書くとかしゃべるとか

正直、文章を書くことについて好きだという意識はない。ただ、昔からひどく書いていた。ひどく、という形容詞が文法的に違っていることは承知だが、ひどく書きまくっていたのだ。

小学生の頃なんぞ、出席しているのに担任に欠席と間違われる程存在感のない子供で、登校しても一言も口を開くことなく帰ってくるなどザラであった。引っ込み思案だったので、たとえば消しゴムを隣の席の子の足元に落としたとしても、隣の席の人に話しかけることができないし、そもそも隣の席の人に聞こえるボリュームの声を出すことが難儀であった。何より、特に人と話したいと思うこともなかった。エッピーバリア張られたり給食のときに机離されたりはあっても、別に悩むほどいじめられているわけでもなかったし、私自身特に話したいと思う相手もいないので学校で話せないことはあまり気にしてはいなかった。

小3の時に、社会科見学だかの後にその体験について作文を書かされた。作文は以前から嫌いではなかった。
その日の私はちょっと調子に乗っていて(見目には何も変わらんのだが)ノリノリで書いた。すると小6の国語の授業でお手本に使われるなどし、なんか区の賞とかも貰ったんだけど、私にはその感じが気持ち悪かった。

家がボロアパートでプライバシーも何もあったもんじゃない実家だったから、自ずと本音は紙にぶつけるようになった。ああむかつく!とかの一言も、自室で一人言をつぶやけるような環境ではなかったので広告の裏にそのまま、「ああむかつく!」と書き殴って捨てていた。はっきり言って、今そろそろ40を迎える年になっても尚、喋るよりは書く方が楽だ。私は喋ることでは言いたいことの4割程度しか伝えられない。でも、それはみんなそんなもんじゃないかと思う。

10代の頃は、ノートでいうなら両面10ページ位の量をひたすら毎日書きまくっていた。字数でいうと一万字前後だろうか。誰に頼まれていたわけでもない(高校の選択科目で書いていたというのもあるが)、当時の私は勤労学生で、早朝から8時間働き、夜は通信制の高校の放送授業を受けていた。合間のひとときに、リラックスしたり、スイッチを入れ換えるような作業であった。同年代の友達とつるめるわけでもない、遊びに行くほどの合間ではないその数時間において、自分を楽にしてやれるのが好きな喫茶店で珈琲を飲みつつ文章を書きまくることであった。大人に囲まれて背伸びをする職場から、学生の顔に戻るという作業、そして家の居心地が最悪だった当時に家で勉強をするのは毎日家族のヒステリーに当たられて気が狂うから、喫茶店で過ごす1時間ちょいの時間が宝物だった。私は当時のすべてを、そこで調整した。ちなみに西荻の民には分かると思うが物豆奇さんでその時間を過ごしました。

自覚の限り、人と話すことは嫌いなのだが、変えたのは酒だ。酒が入ると私は思いの外、しゃべる大人になった。結果水商売も経つつ、気付いた時には「しゃべる」用の人格を作っていた。今は開業もしている身である、その別人格も愛でつつ生きているけど、本音はまあまあ面倒くさい。ついでに言うと、しゃべる方の自分を私は好きではない。

かといって、プロでもないのに文を書く私が好きとかそういう話でもない。早い話、私を形成する私のことがそもそも好きではないし、根暗なので自力では私は私を愛せない。むしろ自力で自分を愛してます♡みたいなスピってる人とか正気じゃねえなと思う。

私は子供の頃、話しかけても問いかけにこたえがなかった。そういう環境下で育った。会話というものをしてもらえずに育った。無視されて育った。これ以上は言わない。だから、声に出すことに無力感を覚えているのは自覚よりも深くにあるし、ならばすべてを紙に書いて自分で解決しようと書きまくったのだと思う。紙に書けば、何が嫌で辛くて、だからどう思って、どうなるのが理想で、かなわないなら何を我慢すれば良いかが分かるから。そして書き続けているうちに、そこから打破したいとか、何が憎いとか、でもこれは愛おしいんだとか、そういうものが明確になっていく。だから、書いていた。

なんで最近また、書きたくなっているんだろうか。
10代の私とはまるで状況は変わった今も尚、私は私という者から変わらないからだと思う。

皆さんはどうやって言葉を使いますか?私はきっと、死ぬその瞬間までこの唇を清めてほしいと祈ります。

あ、そうだ。なんかテーマくれたら嬉しいです。たぶん私どんなテーマでも平気なので、なんかくれ。

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