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何曜日が一番幸せか

思えば、物心ついたときから、月曜日が恐ろしくて仕方なかった。

私は内向的な子どもで、学生時代はいつも、友達はクラスに2、3人しかいなかった。そのわずかな友達と教室の片隅でひっそり過ごし、はやく金曜日にならないかなあと、毎日指折り数えて待っていた。

勉強は不得意でなかったにも関わらず、授業も嫌いだった。先生が一方的に説明してくれて、ノートを取っているだけでいい授業なら問題なかったが、先生が指名して答えなくてはならない授業は嫌で嫌で仕方なかった。間違えて恥をかくのが嫌だったのだ。

中学生3年生のとき、教室は2階だった。教室に続く長い階段を上りながら、毎朝思っていた。「大人になったら、毎日楽しく過ごせるようになるといいな」と。


残念ながら、社会人になった今も、やっぱり月曜日は憂鬱だ。しかも月曜日だけじゃなくて、日曜日からもう憂鬱なのだから、始末に負えない。

仕事は、広い意味では、自分が就きたいと思える職種に就くことができた。職場には、パワハラをしてくる上司はいない。けれど、自分ができるようになりたいと望んで就いた仕事は、入社して3年が経つにもかかわらず、なかなかうまくできるようにならない。頭がよくて仕事のできる先輩たちに大きな声で間違いを指摘されるたび、悲しい気持ちになる。

先輩たちは仕事熱心で、すすんで残業し、休日にも、自ら仕事に関連するセミナーや勉強会に参加して自己研鑽に励んでいる。私にはそれだけの熱意がなくて、できるだけ定時に帰り、休みの日には身体を休めたいと思ってしまう。人一倍がんばらなきゃいけない立場なのに、人一倍がんばれてないんじゃないか? 毎日、ふがいない自分と対峙しなくてはならず、仕事がつらい。

そんなわけで、月曜日が憂鬱だ。これから丸々1週間働き続けなければならないと思うと、胃がきりきり痛み出す。火曜日も怖い。まだまだ先は長いことを思い知り、いつも打ちのめされる。水曜日は、どっと疲れが出る。週の真ん中は休みにすべきだと毎回思いながらこの曜日をやり過ごす。木曜日は、もうバテる寸前。その週にやるべきことがきちんと終わるかどうかリアルな見通しが見えてくるから、進みが悪い場合、残業確定になる。帰りが遅くなっても大丈夫なように、お昼をちょっと多めに食べて、だいたい胃がもたれる。

金曜日になると、少しだけ元気を取り戻す。今日を乗り切れば、土日が待っている。土日が来れば、なんでもできるような気がする。仕事の勉強を進め、仕事をてきぱきこなせる人間に生まれ変われるんじゃないか。散らかってる部屋を片付けて、おしゃれでかわいい部屋に様変わりできるんじゃないか。趣味を極めて、その道のプロになれるんじゃないか。土日に無限の可能性を夢見て、だましだまし金曜日を乗り切る。

いざ土曜日が来ると、身体が動かずベッドから起き上がれない。やろうと思ってたあれにもこれにも着手できず、辛うじて、Amazonプライムで映画だけ観る(ベッドに寝転がったまま)。おもしろかった、とか、あの登場人物が嫌だ、とか浅い感想しかもてないまま映画を観終わり、観たばかりの映画について調べると、深い考察が綴られたレビューにたどり着いて自分の中身のない感想との落差に愕然とする。お腹が空いたら家にあるもので適当に昼食を済まし、またベッドに潜り込む。疲れているんだから仕方ないと言い訳をしながら、ベッドで漫画を読んだり芸能ニュースを見たりして無為に土曜日が終わる。

日曜日は、起きたときからもう憂鬱だ。何も成し遂げていない土曜日の後悔と、間近に迫った月曜日の重圧とが一気にのしかかる。今日行動しなげれば負の連鎖を断ち切れないのに、私はやっぱりだらだら日曜日を消費してしまう。

だから、この記事の見出し「何曜日が一番幸せか」という問いの答えは、「今のところ金曜日」なのだと思う。たぶん人間は楽しいことも、嫌なことも、先回りして摂取する習性があって、金曜日になれば土日に思いを馳せてなんとなく幸せな気分に浸れるし、日曜日になればもう翌日の月曜日が頭をよぎって不幸せになる。

でもこれって、なんだか恐ろしいことじゃないか。楽しいことを先取りして楽しめるのはいい。例えば楽しみにしている旅行の前日からうきうきできたら、とてもお得だ。でも、嫌なことを先取りして落ち込むのは、すごくもったいない。仕事を嫌なものじゃなくする努力はこれからもしたいと思うが、たとえ月曜から始まる仕事が嫌だとしても、日曜日眠りにつくまでは楽しく過ごしたい。いや、絶対楽しく過ごしてやる。

それが、明日から仕事を控えた祝日の朝の、精一杯の決意だ。
















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