見出し画像

他人のラブレター

最近なんかいいこと多いなあと思っていたらアルバイト中にやんわりミスを5~6回してしまった。こんなんでお給料もらうのやだなあ。もらうけど…


なんかいいこと大会(今週の部)、優勝は梅田のラテラルで点滅社さんのニーネ詩集刊行記念イベントに参加できたこと。このトークショー、私が今までに参加したお話系イベントの中で、多分一番「死」ということばを含んでいた。
点滅社の屋良さんは、思ってたよりもうちょっとミステリアスな感じで、でもお話を聞いていると、あ、点滅社の人だ、と思った。
ニーネの大塚さんも、(私は全然音楽を聞かないからロックをやる人ってもしかしたら怖い人かもしれない、と思っていた(失礼)けど)、とても優しい雰囲気をお持ちの方で、ああ、ニーネの人だ、と。


このあいだ大学の授業で、「企画書はラブレターだよ」という話を聞いた。屋良さんのお話は、ずっとラブレターみたいだった。みたいっていうか、あながち間違いではないのかもしれない。他人のラブレター読んでるみたいでちょっとだけ気恥ずかしいな、と思った。あんな風に話をされて、ニーネを好きにならないなんて無理だった(もともと影響されやすいタイプだし…)。ああいう話を聞くのが一番たのしいし好き。高校の頃の国語の時間みんな寝てて話聞いてるの3人くらいだったけど、おじいちゃん先生が自分の好きなことの話してるだけの授業、最高だったもんな。大塚さんも屋良さんのお話に相槌打ったりたまに補足したり質問したり、みたいな感じで、なんか、やさしい世界オブザイヤーという感じだった。

屋良さんが何度か「ちゃんと伝わっているか不安」というようなことを仰っていて、私も人に何かを話すのがあんまり得意じゃないからその不安を少しくらいは理解できると思うのだけど、でも、とっても上手だと思った。上手というか、私は、これを聴きに来たんだ!と思えるくらいには、愛だった。ニーネ詩集の刊行記念イベントとして、あれ以上はなかったと思う。いい夜だった。


イベントの最初の方で、屋良さんが「自分が抱えている問題と戦わないといけない。「自分の尊厳を自分で守ること」ができるようになりたい」みたいなことをおっしゃって、それを聞いたときに、(ああ、私もそうだ。私もずっと、自分のことができるようにならなきゃって、思ってる)と思って、なんかずっと泣いてた。それで、さよならドラえもんの話になって(こっちが先だったかも)屋良さんが泣いてて、私もまた泣いた。でも、屋良さんが「僕がさよならドラえもんをするために、この本が必要だった」って言ってて、これはお守りなんだ、と思って、それは、すごく嬉しかった。そう、聴きながら、ずっと嬉しかった。うれしい、うれしくてしょうがない。屋良さんのように、決して人生を好んでいないひとが、だいすきになれるような世界に、お守りにできるようなうたに出会えたことが、本当にうれしい。だって、こんなクソみたいな世界の中で、あんなに愛を込めて語れるもののあること、そんなの、あまりにも最強だ。何様だと自分で思うけど、屋良さんがニーネと出会ってよかった。私が点滅社さんと出会えたことも。
点滅社さんのnoteを読んでて、屋良さんのことを、強い人だなぁと思っていた。少なくとも私にはそう見えていた。でも、屋良さんがニーネの話をしているのを聞いて、ああそうか、この人にはニーネがいたんだ、と思った。そりゃ最強にもなるか、と。もちろんそれだけじゃないのかもしれないけれど。人の表面(私から見える部分)をみて、強いとか強くないとかいうのはあんまり好きじゃないけど、屋良さんは、ニーネへの愛込みで、最強だ。かっこよかった。

あと、この日まで正直、ニーネの音楽ってかっこいいな〜くらいで、点滅社さんができて、本が完成したのが嬉しかったんだけど、やっと、ちゃんとニーネのファンになれたような気がしている。弾き語りもめっちゃかっこよくて、優しくて、こんなに優しいのにこんなに最強で、でも、こんなに最強なのに全然弱くて、不思議なバンドだと思った。ああでも、ニーネの歌と屋良さんはなんとなく似ている。
私も、なるべく、かっこよくなりたい。


イベントの時にもらった点滅社さんのフリーペーパーを帰ってきてからも何度か読み返している。「ガッツがあったりなかったりだぜ」。いいタイトル。すごく好きなところがあって、そこを読んで、また泣いたりとか。ずっと悲しいけど、嬉しいもちゃんとあって、だから嬉し泣きということにしている。

サインをしてもらった本を抱えてラテラルを出て、泣きながら梅田駅に行って、でもずっと、嬉しかった。始まって、続いていくこと、それを喜べることが。早く終われと願いながら生きてきて、そんな自分が、喜べる始まりと、楽しみにできる続きがあること。自分と同じだと思えるような人に出会えて、その人が今もちゃんと生きてて、ありがとうって言えたこと。あんなに、優しい人たちがいること。

烏滸がましい言い方をするけれど、弱い私たちがここにいることの意味は、きっと一人ではないと、同じ様に弱い人のそばにいることなのかもしれない。そうやって少しずつ最強になって、またどこかの弱い人の視界にちゃんと入ることができるように、少しだけ背伸びをしたりして。いや、意味があると思いたくない時もあるけど、でも、そういう意味なら、あってもいいかなみたいな。僕の強さで君を守ることができなくても、僕の弱さで君の隣にいることができたら、みたいな、ね。

「この本を読んでいる15分とか30分とか、その間くらいは、社会のことを忘れられたら」と屋良さんは言ってくれた。綺麗を保とうとする人たちの中で、馬鹿馬鹿しいねと、笑い合って、泣き合ってくれる人のいること、なんて幸せなんだろう。

大事に本を抱えて歩いたあの帰り道の続きなんだとしたら、今日も、明日もなんとかやってみようかなと思えるような気がする。
本当に、私にとってもお守りみたいな本だ。うれしいね。


照らせ ラブライト  君 悲しませる夜に
光れ ラブライト  君 悲しませる夜に

ニーネ『ラブライト』


(これは日記なので誰かに読まれるよりも私が読むものとして書きたいと思っているのだけど、ここはインターネットなので、もしどこかの誰かが偶々この記事を読んでくださっていて、貴方がニーネや点滅社をまだ知らないのなら、この出会いが、貴方のお守りになりますように。)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?