短編小説:ギターと似て非なる楽器
僕に渡されたのは、マンドロン・セロという名の弦楽器だった。
ギターみたいに抱えて弾く大きさだけど、ギターみたいに平たくなく、背面はメタボの中年のおっさんみたいにでっぷり丸々した形をしている。弦は全部で八本、指板と呼ばれる指で押さえるところにはギターみたいにフレットが並んでる。
「ギターは希望者が多くて、今はセロしか触らせてあげられなくてごめんね」
そう一年生の僕らに恐縮しきったように謝るのは、見るからに気弱そうで細っちいメガネの男の二年生の先輩だ。芦田と名乗ったその地味メガネ先輩は、このセロという楽器の担当らしい。
「でもほら、大きさも見た目もギターみたいなものだから」
いや全然違うだろ、というツッコミは、僕も、僕の隣で同じくセロを持たされた中川くんも飲み込んだ。地味メガネ先輩をいじめてもなんの意味もない。
春うららかな四月の半ば。高校に入学したてのピカピカの新入生の僕はその日の放課後、マンドリン部なる弦楽器ばかりの音楽系の部の仮入部に参加していた。
マンドリンというのは、イタリア生まれの弦楽器だって新入生向けの部活動紹介で説明があった。ピックで弦をはじいて音を出す弦楽器。そしてマンドリン部にはそのマンドリンだけじゃなくて、ギターやコントラバスといった楽器もあり、色んな楽器で集まって合奏をするのだという。
正直、僕は音楽は得意じゃない。楽譜だってろくに読めない。けど、同じクラスで出席番号が一つ前の中川くんに誘われた。ちなみに手塚良太という名の僕は出席番号八番、中川くんが九番である。
「ギター弾けたらモテそーじゃね?」
中川くんは、高校生になったらカノジョを作る、を目標に掲げていることを、初対面だった入学式の日に僕に滔々と話してくれた。そして、高校生たるもの青春の一つや二つしなくてどうする、と力説した。モテとは縁のない地味な生活を送ってきた僕には、そんな目標を立てる思考回路すらなかったけど、とにもかくにも中川くんの決意は固かった。
そういうわけで、どの部に入るかといったビジョンのまったくなかった無個性の塊みたいな僕は中川くんに連れられ、マンドリン部の部室に来てみたというわけである。
女子が持ったら小さくてかわいらしいマンドリンだけど、それを二回り以上大きくしたセロという楽器はかわいいともカッコいいとも縁遠い気がした。
なんというか、もっさい。
お目当てのギターを触れなかった中川くんはすっかりふてくされた顔だが、地味メガネ先輩が腰が低すぎる態度でピックの持ち方や楽器のかまえ方を教えてくれるので、僕らは慣れない手つきで先輩を真似た。中川くんも僕も楽器を触るのは初めてだ。手間取ってしまってなかなかうまくできず、中川くんはますますイライラオーラを強くしていく。
「最初はみんなそんなもんだから」
地味メガネ先輩はそうヘラッと笑んでから、少し姿勢を正して自分のセロをかまえる。お、と僕は内心意外に思った。地味メガネなのに、セロをかまえた姿はそれなりにキまってるじゃないか。
「ちょっと弾いてみるね」
そうして先輩は左手でネックを支え、楽器の前に伸ばした右手にピックを持ち、手首を細かく動かして弦を鳴らした。
ろろろろろろろろ、と細かな音がつながって一つの音に聞こえる。楽器が大きいだけあって音は低い。
「これがトレモロ奏法」
ピックで弦を素早く上下にはじき、細かな音をつなげて聴かせているのだという。弦をはじく手首の動きは目で追えないくらい速く、手首の関節がイっちゃってるんじゃないかと不安にさせられる。
「練習したらそんな風に手首が動くようになるんすか?」
思わず質問した僕に、先輩はメガネの奥で目もとを緩めた。
「もちろん」
それから僕と中川くんは、ピックで弦をベン、ベン、とはじく練習をした。トレモロとはほど遠い、ゆっくりとたった一本の弦をはじくだけなのになかなかうまくできず、ベコ、とか、ベベ、とか変な音しか鳴らない。
そうして下校時刻間際になって、一度だけベンッと綺麗に響いたときはちょっと感動した。地味メガネ先輩には人生でこんなに褒められたことはないんじゃないかってくらい褒めちぎられて、正直悪い気はしなかった。
「よかったらまた来てね」
部室を去る僕らを、先輩は笑顔で見送ってくれた。
翌日の放課後、中川くんはバスケ部を見に行くと言った。
「マンドリン部にはもう行かないの?」
「っつーか、手塚は今日も行くの?」
「今日こそギター触れるかもしれないし……」
そう言いながらも、僕の中に残っていたのは、昨日一度だけ綺麗に響いたベンッというセロの音だった。
地味メガネ先輩は、練習したらトレモロができるようになると言った。
僕にも練習したらできるんだろうか。
「ま、俺はもともと音楽そこまで興味ねーし。じゃ、今日は別行動な!」
そうして中川くんは駆けるように教室を出ていき、僕は一人マンドリン部の部室へ向かうことにした。
地味メガネ先輩――芦田先輩は、今日も僕に教えてくれるだろうか。
昨日は感じなかった緊張が、じわじわと身体を這い上ってくる。
特別校舎三階の部室を目指してゆっくり階段を上っていると、滑らかなトレモロの音色が僕のもとまで優しく届いた。
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