短編小説:ソロプレイヤー
楽譜を見て、試しに軽く弾いてみて、あぁこれすぐには弾けないなって思ったらやることは決まってる。
まずは楽譜を読み込んでどのポジションのどの指で弾くかを確認して。
メトロノームでゆっくりのテンポで音を取って。
徐々にテンポを上げられるようになったら、リズム変奏で指をならして。
最後に楽譜どおりのテンポで弾けるようになれば完璧。
一人で、そんな風に速弾きのパッセージの練習をしていたら。
「初美って、夏休みの宿題とか計画的にやりそうなタイプだよね」
譜面台の向こうから声をかけられトレモロの手を止めた。歌奈だ。
「個人練の時間は自由時間じゃないよ」
「いいじゃん、ジュース買いに行くくらい」
手にしていたバナナミルクのパックジュースにストローを突き刺してくわえると、歌奈は片手で運んできた私の隣にパイプ椅子を広げ、そして自分のマンドリンケースを持ってくる。バナナミルクのパックを譜面台の端に置きつつ、歌奈はパート譜を広げた。
「……メトロノーム、使いなよ」
一応、そうアドバイスしておく。
「まぁ、気が向いたらね」
毎度のごとく、歌奈はチューニングを済ませると好き勝手なテンポで弾き始めた。
音楽は感性だなんて言う人もいるけど、楽器の演奏という行為はとっても理性的な作業だと私は思っている。
闇雲に音符と格闘しても、早々簡単にステップアップはできない。先人の知恵を凝縮した教則本があり、多くの奏者たちが実践してきた効果的で効率のよい、確立した練習方法をこなすのが最短ルートだ。
普通は。
歌奈のトレモロが聞こえてくる。いつもどおり、荒くてテンポも揺れに揺れて適当だ。なのに、私が苦労している音階をさらりと弾きこなし、その音はとてもよく響く。
私が大事にしている理論を、さらさらっとかっ飛ばす。
パーッと練習してパーッと弾いてしまう。雑だし荒いけど、でもそれが悔しいことになかなか味がある。どこまでも楽譜に正確できっちりしててお上手なだけの私の演奏とは違う。パッとその演奏を単体で聴いたとき、人は歌奈の演奏をまず褒める。
「初美ってホントすごいよね」
すごいと思ってる人に「すごい」と言われ、嫌味かと思いたくなるけど歌奈はそんなキャラじゃないのでまたなんとも言えない。
メトロノームを操作していた私の手元を歌奈は覗き込む。
「すごいって?」
「私、そういう練習苦手だし」
「メトロノーム、使えばいいのに」
もう一度だけ言ってみるけど、でもそうしないのが歌奈だってこともわかってる。
歌奈は合奏に向いてない。
いつだって自分が正しいと思うように、気持ちいいように練習してるんだから当然だ。合奏で重宝されるのは、私みたいなお手本そのままの演奏なのだから。
歌奈は合奏に向いてない。だけど、一人でなら誰よりもいい演奏をする。
もったいない。じれったい。歯がゆく思ってるのは私だけじゃないはずなのに。
けど、そんなことを言ってもピンとこない顔をするのがまた歌奈だった。
持て余した気持ちをごまかすように、訊いてみる。
「歌奈って、夏休みの宿題、最終日にまとめてやるタイプ?」
「あ、わかる?」
歌奈は小さく舌を出して笑う。
敵わないなぁと思う。
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