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演出家・蓬莱竜太の意欲作 『広島ジャンゴ2022』

天海祐希さん、と聞いてみなさんはどんなイメージを頭に浮かべるだろうか。

『女王の教室』の冷たく厳しくて温かい教師。バラエティ番組で見せてくれるコミカルな姿。「理想の上司」。人によってさまざまだろう。だが一つ、誰でも頭に思い浮かべる言葉がある。

カッコいい

昨年末に『泥人魚』を観るため、渋谷のBunkamuraシアターコクーンへ行った時に私の目を引いたフライヤーに映っていたのは、まさに「カッコいい」天海祐希さんだった。西部劇のガンマン風の服に身を包み、馬の頭を抱えた鈴木亮平さんを横に従えている。フライヤーだけでも、しばらく見惚れてしまうレベルである。

チケットはなぜか取れなかった。あまり本気を出していなかったせいもあるだろうが、天海祐希さんの出る公演はそれだけ人気があるのだ。何とかチケットを確保できたのは、幸運だったとしか言いようがない。


きっかけは演出家・蓬莱竜太さん

本作で演出を担当する蓬莱竜太さんは、映画『劇場』や『ピンクとグレー』の脚本を担当した人でもある。『劇場』も『ピンクとグレー』も私の好きな作品だ。蓬莱さんが演出する舞台はまだ観たことが無かったのと、天海祐希さんがご出演ということで、興味を持った。無事チケットが入手出来てホッとしたが、油断はならない。

いままで天海さんには徹底的に縁が無かったのだ。天海さんが観たくて何度か舞台のチケットを取ったことはある。けれども、直前で急に別な予定が入ってしまったり、天海さんご自身の体調不良であったりで直接観たことは、今までなかった。もしかして呪われてやしないかと思ってしまうくらいだった。

当日、席についてからも半信半疑だった。ドキドキしながら幕が上がるのを待った。

カキ工場にみる、搾取する側とされる側

広島のカキ工場で殻をむく仕事をしている山本(天海祐希さん)。工場で働く他の人たちとは違う、余所者感が漂う。なにか訳アリなんだなと察したその時、工場長の橘(仲村トオルさん)が登場する。地元のプロ野球チーム・広島カープの大ファンらしく、炎のストッパーと呼ばれた津田恒美さんのレプリカユニフォームに身を包み、大きな声でカープの応援歌を歌っている。

一緒にカープを応援「させる」ことで、工場で働く従業員に対する同調圧力をかける橘。強制ではないといいつつ、従わなければ職を奪われかねない雰囲気は、日本のあちこちで見かけるごくありふれたものだ。

工場のシフトを組む担当になっている木村(鈴木亮平さん)は、橘が強制的にカープ応援という錦の御旗の元、野球観戦のために残業させたりシフトを組んだりしているのを、消極的に受け入れている。「みんな困るから」「山本さんさえ我慢してくれれば丸く収まる」。それでも折れない山本と橘との板挟みになる木村は、大声で自作のラップを歌うことで、日頃のストレスを解消していた。

そうこうしているうちに、世界は突然西部の町・ヒロシマに移る。

誰ですか天海さんに西部劇の服着せたの

舞台は西部劇の中にすっぽりと入ってしまったかのような町、ヒロシマ。木村はいつの間にか馬のディカプリオになり、山本はジャンゴになり、山本の娘はケイになる。

で、天海祐希さん演じるジャンゴが、西部劇のガンマン風の衣装になるのだが、とんでもなくカッコいい。革のロングブーツも、ホルスターも、フリンジ付きのちょっとくたびれた上着も。

考えてみたら、宝塚歌劇団出身なのだからハットは被り慣れてるのが当然だった。被った時の魅せ方も「分かってるね!」と言いたくなる。
誰だって、カキ工場で殻をむき続ける冴えないパート従業員山本ではなく、西部劇のガンマン・ジャンゴな天海祐希さんを観たいではないか。

とにかく、天海祐希さんに西部劇のガンマンの恰好をさせ、決闘をさせ、正義のために戦わせるという、「こんな天海祐希さん観たいでしょ?」がてんこ盛りになっていた。

そういう意味では、大変に「ベタ」である。もう手垢が付き過ぎているぐらいついている、ベタベタな展開である。「天海祐希=カッコいい」なんて誰でも考えつく、ど定番と言っていい。

だがこの作品、ど定番をど定番として楽しんでいると、終盤にふと胸に飛び込んでくる、別なボールが用意されているのだ。

カキ工場の日常と西部劇の非日常がリンクする

西部の町ヒロシマは、ティム(仲村トオルさん)が牛耳っている。義弟は兄の権力をかさに着て、我がもの顔で女を口説く。表向き穏やかなティムは、自分に服従しているものに対して、非常に冷淡だ。

カキ工場長の橘と、ヒロシマを牛耳るティムのリンクがとても面白い。表向きはソフトでありながら、「俺に逆らうことは許さない」という強い圧を感じる。実際にティムは義弟を容赦なく切り捨て、地域の皆のために井戸を掘ろうとしたチャーリーを篭絡する。橘よりかなり強めに「搾取する側」として、そこにいる。

ティムとジャンゴは、搾取するものと搾取される側を救うものとしてやがて対決することになる。
ティムは世の中にたくさんいる。だがそれ以上に、ジャンゴも世の中にたくさんいると信じたい。

演出家・蓬莱竜太さんの「ジェンダー」的視点

「性的にも社会的存在としても虐げられている存在」としての女性を見つめる目が、作品中にちりばめられている。興味深いのは、その女性たちを助けようとするのは、女性であって男性ではないことだ。蓬莱竜太さんの「男性」を見つめる目は非常に冷めていて、「男とはどうしようもない存在である」と描いているように感じた。

もっとも、ディカプリオ/木村については少し違う。男性ではあるが、上から目線でもなければ卑屈になってもいない。最初は自分の心の叫びであるラップを大声で歌っていた木村が、ジャンゴが戦う場面でJ-POP風の音楽を歌って応援する。

「自己中心的な傍観者」から「寄り添うひと」へ。広島のカキ工場のシフト担当としては、工場長をうざったく思いながらも従うしかなかった木村は、ジャンゴと行動を共にして変わったのだ。

物語が終盤にさしかかるタイミングで、初めて気づいた。
このお話は、木村が自分を見つめ直す旅だったのだなと

カッコいい天海祐希さんを心行くまで堪能していると、ふと飛び込んでくるディカプリオ/木村の温かな視線。何だか自分が救われたような気がした。

印象的なラストシーン

まるで集団催眠にかかっていたような夢の世界・西部劇の町ヒロシマから、広島のカキ工場に場面はまた戻る。

山本さんと木村は、二人で話し始める。カキの殻をむきながら。
けっして強制的にではなく、互いに、ぽつりぽつりと。
無理やり広島カープの応援に行かされるのとは、全く違う温度と質感が舞台の上に現れる。これが木村なりの寄り添い方なのだろう。

しだいに小さくなる、二人の話す声。
ふんわりと、なんだか落ち着く香りが漂ってくるような気がした。

終わりに 蓬莱竜太さんのこれからに期待

パンフレットにも、ポスターにも「社会の不条理を問う」と書かれている本作。確かにそうなのだが、どうしても「不条理に虐げられてる女性たちに寄り添い、応援する」と読めてしまう。

もちろん、搾取する側とされる側という風に分けた時、女性が搾取される側に大きく偏っていたので、結果的にそうなっただけなのかもしれない。演劇ライターでもないただのシロウトの私が、蓬莱さんにインタビューする機会は未来永劫来ないだろうから、真意は分からないままだ。

けれど、少なくともエンタメ作品としてきちんと笑わせ、泣かせつつも時代性のあるテーマをきちんと入れてきてくれるところに、未来を感じる。

才能あるクリエイターが舞台で面白い新作を発表してくれて、それを思う存分楽しめるって、すごく幸せなことだと思うのだ。

しばらく蓬莱竜太さんから、目が離せそうにない。

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