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鑑賞者としての現在地 三浦春馬さん9回目の月命日に寄せて

しまった。月命日にとっておくべきネタをすでに書いてしまった。

月命日まで取っておいて公開しようという気持ちも湧かぬほど、私の心は落ち着いてきたということなのかもしれない。

2020年7月18日以来、いったん沈んだ心にたまった澱を、noteに吐き出し始めたのが9月。それから半年以上が立つ今、私は何を楽しみに書いているのだろう。pvもスキの数もただただ下がっている今、私は誰のために、何のために書いているのだろうか。ここに整理しておくことにしたい。

鴻上尚史さんがくれた、「お芝居とは何か」

私は完全に観る側の人間で、俳優をしている知り合いもいなければ、テレビドラマや映画の制作に携わっている知り合いもいない。だから、職業としての俳優さんが、どんな風に仕事をとらえ、どういう風にスキルアップしていくのか、まったくイメージがつかめなかった。そんな中、俳優さんが何のために、どんな学びをするのかについて、鴻上尚史さんの著書を通じて、知ることができた。

加えて、先日以下の本も読み終えた。俳優さんが何をもってお芝居を変えるのか、声を構成する5つの要素を意識した使い分けなど、観る側としても参考になる情報が詰まっていて、非常に面白かった。ただ順番としては、これをいきなり読むのではなく、「鴻上尚史の俳優入門」を先に読むのが良いと思う。

鴻上尚史さんの著書から私が得た情報は主に次の通り
・「目的」「障害」「行動」を明確に意識してお芝居をする事でリアリティが生まれる
・第一の輪(独白)、第二の輪(一対一)、第三の輪(みんなに話しかける)を意識した話し方で表現は変わる
・俳優さんは声を構成する要素(大きさ、高さ、速さ、間、声質)を意識的に変えている
・俳優さんが意識しているのは、縦軸(観客やカメラとの距離感)と横軸(共演者同士の距離感)の組み合わせ
・リアリティを追求するお芝居も、そうでないお芝居もある
・(一般論として)テレビドラマの制作には潤沢な資金があるがドラマ制作にかける時間はない(脚本が仕上がるのも遅いことがしばしばある)。演劇の制作には資金がかけられないが、制作にかける時間はたっぷりある

ある俳優さんのある作品で感じた違和感

鴻上さんの著書から仕入れた情報を頭に置きながら、作品を観る癖がだんだんついてきた。

で、1年ほど前に観たある俳優さんのある演技について、「あれ、なんであんな話し方にしたのかね。理解できない」と、同じくテレビドラマ好きの友人と話したことを思い出した。

その俳優さんの話し方は、どんな役でも大して変わることはなかった。話し方のスピードが若干変わる程度で、声質や声の大きさが変わったと感じたことはなかったのである。

にもかかわらず、そのドラマでの話し方に、私も友人も強烈な違和感を感じたのだ。そして、その強烈な違和感は、役にとってプラスに働いていなかった。だって私も友人も「普通にしゃべればいいのにね」と話していたのだから。

私の考えが180度ひっくり返ったのは、その役者さんが出演する、とある映画の予告編を映画館で観た時だ。
「・・・なにこれ? これが出来るのにどうしてあのドラマではあんなだったの??」というのが私がまず抱いた印象だ。もちろん、その映画がドラマより先に撮影終了していたことを知っていたうえで、そう感じたのである。

最初は、テレビドラマは手を抜いているのかなと思っていた。だが、さすがに仕事だ。仕事に対してそんな手抜きをするだろうか。そんなことをしていたら、仕事が来なくなってしまうのではないだろうか。

で、はたと思い当たったのが鴻上さんの著書にあった、以下の情報である。

・(一般論として)テレビドラマの制作には潤沢な資金があるがドラマ制作にかける時間はない(脚本が仕上がるのも遅いことがしばしばある)。演劇の制作には資金がかけられないが、制作にかける時間はたっぷりある

もしかしたら、単に試行錯誤にかける時間が少なかったために、あのような状態で放送されてしまったのではないだろうか。

この仮説が正しいのかどうかは、分からない。今後、この俳優さんの作品を観つづけることで何か分かってくるだろうか。気になるので今後もチェックし続けようと思う。

「人を残したい」 イチローの言葉に思う

私は他の方が書いたnoteも、結構たくさん読む方だと思っている。昨日ある方のnoteを読んでいたら、たまたまイチローが凄いことを語っているのを見つけてしまった。

この動画は、言わずと知れた野球界のレジェンドであるイチローに、「もし社長をやるとしたら」という前提で、いくつかの質問を投げかけ、それにイチローが答えるという企画の一部だ。

彼の答えの中で、印象に残った部分を抜粋する。

この会社、このお店とか、このホテルとか。

それは名前もあるけれど、中でどんな人たちが働いているかがその会社の評価だと思うので。

「形は残った。」「会社は残った。」「でも人は残らなかった」は寂しいです。

その反対がいいと思います。

僕の会社はなくなった。だけど、そこで働いていた人が独立して、その遺伝子を受け継いでくれている。

これが一番いいかもしれないですね。

人を残したいです。

イチローは、若い時から野球を続けることを中心に生きてきた人で、他のことにさほど関心はなかったと思う。思考の深い人だとは思っていたが、まったく違う角度からされた質問に、見事に本質を突いた答えを返していて、感動してしまった。

そんな感動を胸に、昨日劇団四季の『ライオンキング』を観て思ったのだ。

劇団四季は、ミュージカル界に人を残している。劇団四季を退団したあとも、劇団四季の遺伝子を受け継ぎ、ミュージカル界で活躍する人材のなんと多いことか。

役者を、歌手を残す。そんな発想の組織が増えてくれたら、鑑賞者としてはありがたいなと思う。

私が違和感を感じたある役者さんがもし、予想した通り「声の表現」にチャレンジしている最中だったとしたら…ぜひ、周囲の方々は、「良い役者を残す」ということを1番に考えてほしい。試行錯誤する時間が充分ある現場で、お仕事をさせてあげてほしい。

同時に、そんな発想の組織が増えてくれるためには、やはり観客である私たちがちゃんとした眼を持たないといけないのではないだろうか、とも思うのだ。

終わりに 私が書き続ける理由

三浦春馬さんの残した言葉で、とても印象に残っているものがある。

彼は、「自分の後ろにつながっていくもの」や、「自分の仕事が観てくれた人に与えるもの」を常に意識していた演じ手だったと言えるのではないか。イチローの前述の言葉「人を残したい」とも重なる部分がある。

三浦春馬さんの後ろにつながっていくものは、色々あると思う。彼自身の残した作品はずっとなくならない。私自身の鑑賞眼を磨くことで、三浦春馬さんがいかに素晴らしい表現を残してくれていたかを、何度でも観なおし、語りなおすことができる。

そして、意識しているかどうかに関わらず彼から影響を受けた俳優さんたちについても、同様だ。彼らが見せてくれるものをきちんと観て、大事にしたい。応援したい。

鑑賞者としての眼が「マトモ」になる日はまだ遠そうだ。質量ともに良いインプットを繰り返し、アウトプットし、マトモな眼を養っていきたいと思う。

そうして、少しでもマシな文章が綴れるようになったら、まだ春馬さんの魅力を知らない人に、彼の素晴らしさがカケラだけでも、伝わってくれるだろうか。そんな風に想像しながら、書いている。

まだ、ちゃんとした鑑賞者になるための道は始まったばかりだ。

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