家の鍵、どこいった問題
自宅の最寄り駅に着いたら、日付が変わっていた。ノートPCの入った重たい鞄をさげて、自動改札を出る。
そうだ。チケットの発券をしておかないと。
そうだ。明日のお弁当のおかずが足りない。
そうだ。牛乳がもうない。
深夜のコンビニで、次に行く舞台のチケットを発券して席に一喜一憂し、足りないものを買う。レジ袋を断って、重たい鞄をさらに重たくする。
コンビニを出たところで思わず、ふうと息を吐く。
自宅に着く。マンションの入り口で家の鍵を探す。
・・・無い。
何ということだ。みんな寝静まっているはずの時刻に。仕方なく訪問先の部屋番号を押して呼び出す。出ない。呼び出す。出ない。何度目かの呼び出しでやっと誰かの眠そうな声が聞けた。どっと疲れた。
出かける時、しょっちゅう家の鍵を忘れる。子どもの時から直らないクセ。昼間は誰も家にいないと分かっていても忘れるのだから、もはや防ぎようがない。
ランドセルを背負いながら物置の屋根によじ登って、2階の私の部屋の窓から忍び込んでいた。当然、部屋の窓のクレセント錠は開けたままである。1階の他の窓から入っていたこともあるのだが、母が戸締りをしてしまうので、子どもの私が開けておいても、帰ったら開いていないのである。小学校高学年ぐらいからは、毎度毎度鍵を忘れるたび自分の部屋から侵入していた。
だがマンションではそうはいかない。いやそもそもマンションでなかったとして、アラフィフのオバサンが物置によじ登って、嬉々として窓から侵入していたら完全に不審者である。通報確定な案件だ。
何か別な解決策を考えなくてはならない。
先日、無い無いと騒いでいた鍵がリビングのゴミ箱から発見されたとき、真剣にそう思った。
解決策を教えてくれたのは、Amazonのブラックフライデーセールである。
安売りの対象に含まれていた、「AirTag」。
テクノロジーは「鍵、どこ行った問題」の救世主となるのか、それとも目的にそぐわないのか。そぐわなかったらどう使おうか、を考えるのもまた楽しい。
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