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日本では写譜屋、米国ではMusic Copyist   一体、何をする人たち? <その2>


プロのピアニスト、そして作編曲家としても活躍されている岸田勇気さんが、ニューヨーク育ちの名ドラマーFUYUさんを招いて行った対談の生配信を見たことが、ちょっとしたきっかけとなり、Music Copyist とアメリカでは呼ばれている職業を知ることになった。


Music Copyist

1988年5月15日付けのニューヨークタイムズに Music Copyist に関する記事があるのを見つけた。その記事によると、

アメリカでは ”Music Copyist” と呼ばれ、通訳、編集者、書記としての役割を果たし、作曲家の整理されていない、または急いで書かれたスコアから、演奏中の楽器それぞれが何をしているのかを解読し、そして、すべての楽器のパートを手書きで書き起こす。Music Copyist は広範囲に渡る音楽トレーニングを受けており、その多くは熟練した音楽家、歌手、指揮者、作曲家である。

1967年には、アメリカ国内で500人ほどのフルタイムの Music Copyist たちがいた。1988年の時点では、おそらく全国で200人以下の Music Copyist たちが、クラッシック音楽、ラジオ、テレビ、広告、レコーディング、フィルム、劇場、そして音楽出版のジャンルで活動していたと思われる。

当時、楽譜を作成するソフトウエアやコンピューターは、まだ開発の段階だったとは言えども、多くの Music Copist たちの間では、最終的には、コンピューターが自分たちの仕事のやり方を変えてしまうのではないか、そして作曲家と編曲家は、もはやMusic Copyist を使わなくなってしまうのではと心配していた。とりわけ、シンセーサイザーの出現は、彼らを脅かした。



記事の中で紹介されていた Music Copyist たち

Pat Kondek

1962年から Music Copyist として仕事をし始める。
” 手で書き写すというアイデアが好きだ。芸術的で、創造的で、自分にとっては、より音楽的だ。流れや、動きは、音楽そのもののようだ。コンピューターにはまったく別の感情が関わっているところに抵抗を感じる。”


Tina Hafmeister

30代の時にクラッシク専門の Music Copyist として、国内では優秀なオーケストラの Music Copyist の一人として考えられていた。特に、彼女のバロック文字は特徴的であった。


Mathilde Pincus

”ブロードウェイの女王”として名を轟かせていた。チェルシー音楽サービスの創設者で、40年を超えるキャリアの中で、245を超えるショーを手がけ、1976年にはトニー賞で特別賞を受賞。1988年3月5日、71歳で亡くなった。


Arnold Arnstein

当時89歳。62年間、Music Copyist として仕事をしてきた。
Aaron Copland, Leonard Bernstein, そして映画 ”Hair"の音楽作曲家、Walter McDermott に至るまで、彼のキャリア人生は、今世紀の最も有名な作曲家とのやりとりについての物語でいっぱいだ。


Ralph Zeitlin

作曲家の David Amram お気に入りの Music Copyist。
“David が、もっぱら僕を使うのは、彼が僕を正当に評価し, 認めてくれているからだ。例えば、僕は、彼に電話をして、デイヴィッド、E フラットがここにあるけど、これでいいのかい? 通常、君がすることじゃないだろう。それとも、もしプッチーニのように聞こえるピアノのコードがあるなら話は別だけど、そんな風に、君は書かないだろ?”ってな具合にね。


友人が話してくれた Music Copyist の話

さて、私が友人から聞いた話は、ニューヨークタイムズの記事からおよそ8年後、1996年頃の話だった。

たまたま、友人の知り合いの弁護士が、Music Copyist らが所属する組合を代表する弁護士で、当時、Music Copyist を雇うプロダクション側との間で、賃金に関わる問題があったそうだ。

8年前に危惧されていた、コンピューターが従来の Music Copyist の仕事のやり方を変えてしまうのではないかという懸念は、賃金形態を変更しようとする動きと同じように、現実味を帯びて来ていたようだった。
ちなみに1996年の時点で、Music Copyist は、アメリカ国内で150名ほどだったとか。

8年の間にコンピューター、そしてソフトウエアは進化したとは言えども、90年代の初期のコンピューターのレベルは、Music Copyist による手書きの楽譜にはまだ、まだ及ばず、小節を機械的にグループ化し、均等に一ページに印刷してしまうありさまだった。利点と言えば、編集が簡単、早くでき、同じ楽譜を無限に印刷できること。

Music Copyist は熟練の音楽家なので、それぞれの楽器の状況を把握しながら小節をグループ化し、一ページにまとめることができた。レイアウトの工夫は、演奏中、奏者にとってページをめくりやすくするだけではなく、ページをめくるタイミングと、管楽器奏者が息継ぎできるタイミングを合わせるといったことも計算に入れられていた。


話す言葉は違っても、音楽の世界には合い通じるものがあるようで、日本では、”きれいに写譜された楽譜は、まさに音楽を支える記号である。”と評され、アメリカでも、”手書きで写された楽譜の中でも、より優れたものは、それ自体がすでにアートだった。”と言われていた。

また、ニューヨークタイムズの記事の中でも、とある Music Copyist が、”音楽表記は、これまでに作られた最も美しいアルファベットの1つである。” と言い、”新しいテクノロジーは、音楽の言語をより良くするために努力すべきであり、コンピューターの癖に順応するよう強制するものではない。” と締め括っていた。が、果たして、32年後の今、現状はどのようになっているのだろうか。



最後に、音楽の専門的なことも何も知らない自分にとって、用語から調べ始め、英語と日本語の両方で理解し、正直言って、頭の中を整理するために書いたようなレベルの記事みたいになってしまいましたが、私のようにこの職業のことを全く知らなかった方々に、多少でも、興味を持って読んでいただけたら嬉しいです。


Photo Credit:   Musical U
        https://www.musical-u.com 

Reference :    New York Times 5/15/1988
                            “Music Copyist: Dwindling Breed, But a Hardy One”

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