見出し画像

「出生図」が教えてくれる私が20歳までと決めていた居場所

「宗教」というキーワード
ずっと心に引っかかっていた。よかったのでも悪かったのでもなく、時折「あの20年はなんだったんだろう?」と思うことがあった。今とはあまりにかけ離れた生活だったので、家族や子供にも詳しくは話していない、いや話したところで伝わると思えない。が正しい言い方だ。

そんなどこか心の未完了部分のことがホロスコープ(出生図)のおかげで解放されたような気がしている。西洋占星術を学んでまさかここにたどり着くとは思ってもみなかった。「あ〜ここを選んで生まれてきたんだな・・・。」と読み解けなくもない。そしたらモヤモヤが晴れてくる。

話はそれるが、きずな出版の社長でもいらっしゃる櫻井秀勲先生が書かれたこの本のおかげで、私は自分の育った環境を客観視することができた。新宗教の一つであるパーフェクトリバティー教団(PL)の二代目教祖のことを書いた「御木徳近」だ。櫻井先生がこの本を書いてくださったこと、本当に心から感謝している。

この本には、私が生まれ育ったPL教団のこと、信仰の内容、その他に私がいたのはいわば子供の頃だったので逆に本を読んで知ったこともある。
20歳までどっぷり内部の人だった。そのPL教団のことが詳しくありのままに書かれているので読んでいて「懐かしさ」さえ感じられた。この二代教祖の時代20年を私はここで過ごしたことになる。

私の母子手帳の表紙の本籍地は「東京」。住所はPL教団の本部「大阪」。大阪生まれなのに大阪弁が喋れないのは、大阪であって大阪でなかったこの教団敷地内が私の故郷だからだ。

母にとっても突然の出来ごと
私の両親は結婚した当初は東京で暮らし家も購入していた。その家の近くには小学校があって母は「子供が生まれたらこの学校に通うんだなと思っていたら、なぜか大阪にいることになった」と成人になっていた私に話したことがある。
理由としてPL教団の幹部と親族が結婚したので「親族みな本部に来なさい」ということだったらしいのだが、全て聞いた話なので真実はわからない。

母にとっては、信仰したこともない宗教の本部にいきなり入り、東京と食べ物も全く違う大阪の外れにある土地で、知り合いもなく、義理親族ばかりのなか、私がお腹にいてつわりが酷く胃が受け付けるのはなぜか梅干しだけだったらしい。食べ物が合わなくて苦労したそうで、そんな最悪の栄養状態の中で私は誕生した。
私の梅干し好きはお腹にいたころ散々食べたからだと言われている(苦笑)

来たのも突然、去るのも突然。
母にとってはいきなり来てしまったPL教団であったのに、去る時もいきなりだった。この本にも書かれているが、私が20歳の時に次の教祖を決めるお家騒動なるものがあって(真相はよく知らない)。私も家族もその騒動に巻き込まれた形になり追われるように教団を去った。

私はといえば、ものごころついてからずっと、生活のなかに「神様」がいて「祈り」があって「信仰」があった。親族みな信仰してるので、それはある種切っても切れないものだと思っていた。それがある日自分の意思と関係なく分断される。それがいいとか悪いとかでなく「信仰ってなんだろう?」だけが残る。

母が唯一心残りだったこと
母が大阪にきて、いきなり知らない人、知らないことばかりの土地で過ごすことになったことを気にかけてくれたのは、私にとって義叔父にあたるその頃次の教祖になる立場にあった「嗣祖(つぎおや)様」だったようだ。
母の力なってくれるようKさんにお願いしてくれたらしい。

母はKさんに本当によくしてもらい助けてもらったそうだ。それから20年後、母がPL教団を去らなければならなくなった時、追われるように出てきたため会うことができなかった。

Kさんにだけは会ってお礼が言いたかったと話していた。その数年後にKさんが亡くなった知らせを聞いたとき本当に残念がっていた。

Kさんは私にとって幼なじみのSちゃんのお母さんだった。言われてみれば小学校に入学する時、Sちゃんと色違いのリュックサックを買ってくれたりしたのはそういうことだったのかと思ったりする。

その後SちゃんとSNSで繋がった時、いちばんに母の思いを伝えた。母に代わって最低限のことはできたと思うが、この母が伝えられなかった残念な思い記録に残しておくことにする。

自分で決めていた場所
ホロスコープ(出生図)で「そんな20年を生きることを自分で決めていた」と、こじつけられなくもないと思えたとき、妙に納得できた。

他者ではなく自分で決めていたのだ。きっと母もそうだったに違いない。過去の自分に納得できれば、そこから人生の面白さの方にフォーカスしていかれる。

星を読みながらの過去の自分探しの旅、しばらく続きそうだ・・・。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?