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はる自分史2 赤ちゃん期
11月17日から、Twitterで自分史活用アドバイザーのマーシーさん主催 自分史倶楽部に参加して1か月が経ちました。
🔴マーシーの自分史379(#JC地区大会篇 3)
— マーシー@自分史活用アドバイザー (@marcy60marcy) December 14, 2020
だが
1997年の主管に
手を挙げるLOMがひとつもなかった😭
(LOMは青年会議所のことで沖縄には12あった)
こんな時こそ那覇JCの出番🔥
そして
実行委員会づくりの会議で
😎が実行委員長に手を挙げたわけ🙋♂️#自分史倶楽部 #おつかれ戦隊1214r2 #愛のいいね pic.twitter.com/PQUFIYthF5
私もコツコツ楽しく投稿を続けています。
私は一人っ子なので、よく「弟妹がいたらいいな」と思いながら自分の幼少期のアルバムを眺めていました。写真に写ってる自分はどんな赤ん坊だったんだろう?と思い、両親に尋ねました。
まあ出てくる出てくる。両親が手を焼いた話や失敗談。
どこの家庭にもありそうな平凡な話ですが、#自分史倶楽部で、「はる自分史 赤ちゃん期」に書きました。
その16本のツイートをまとめてみます。
♪はる自分史24 赤ちゃん期①
— はるこ@バラの折り紙修行中 (@Haruorigami) November 28, 2020
ここから私の赤ちゃん期。両親から聞いた話を書いていきます。
出産予定日は9月なので、両親は楽しみに指折り数えながら「9月の思い出 Try To Remember」のレコードをよく聴いていた。(アーティストはわかりません😅)https://t.co/3OxGlZSxLC#自分史倶楽部
10代の頃に母から「9月の思い出 Try To Remember」をダビングしたカセットテープを渡され「あなたがおなかにいる間、よく聴いていたのよ」と教えてもらいました。
♪はる自分史25 赤ちゃん期②
— はるこ@バラの折り紙修行中 (@Haruorigami) November 28, 2020
私が生まれたときの父と同僚の会話。「男の子?女の子?」「女の子だよ」「まさか父親似じゃないでしょうね?」…そのまさかである。全部のパーツが縄文顔の父親にそっくり。おまけに髪の毛が少ないから、よく男の子と間違われたらしい。#自分史倶楽部 pic.twitter.com/LsHA4EIosI
このエピソードは半世紀経った今も、父から何度も聞かされています。
美人な母親ではなく、縄文顔の父親とそっくりに生まれたことに、申し訳なさを感じていたようです。
♪はる自分史26 赤ちゃん期③
— はるこ@バラの折り紙修行中 (@Haruorigami) November 29, 2020
長男の長男である父は当然ながら男の子がほしかった。両親は私が生まれて可愛がってくれたが「次の男の子が着られるように」と思い、私に用意したベビー服は水色が多め、時々黄色。外で会う人はたいてい「あら可愛い男の子ね」と声をかけてくれたらしい。#自分史倶楽部 pic.twitter.com/EImZnZrRTp
やはり跡取りにはこだわったようです。跡取りといってもお墓を守るくらいのことなのですが。
次は男の子が生まれてくると決めてかかって、新生児期を過ぎても水色多め。果ては幼児期にも紺色の吊りズボンを穿いていました。
♪はる自分史27 赤ちゃん期④
— はるこ@バラの折り紙修行中 (@Haruorigami) November 29, 2020
まだ離乳食の頃。私は両親が飲んでいたブランデー入り紅茶を飲みたがった。あんまり欲しがるものだからスプーンで一口飲ませた。せがむ顔が可愛くてもう一口二口。案の定あとで熱を出して大泣き。怒られると思って受診しなかったそうな。オイオイ…。#自分史倶楽部 pic.twitter.com/nj3aFGxdcK
私が子供のころから笑い話として聞かされたエピソードですが、自分が母親になって育児書を読んで、笑いごとじゃなかった!と知りました。
お酒を間違って口にしたら、たとえ少量でも必ず受診と書かれていました。怒られると思って…って、子供か!
♪はる自分史28 赤ちゃん期⑤
— はるこ@バラの折り紙修行中 (@Haruorigami) November 30, 2020
1歳3ヵ月のお元日。両親は私を連れて親戚にあいさつ周り。私の機嫌がよかったので1日中あちこち連れまわった。翌日から熱を出し、重症化して病院で点滴するほどだったらしい。回復してからも伝い歩きをしていたのがハイハイに戻り1歳半まで歩かなかった。#自分史倶楽部 pic.twitter.com/Kzr4PRS54X
祖父母にとっては初孫、親戚中でも久しぶりの赤ちゃんだったので、どこでも大歓待を受けて、私はかなり興奮して大はしゃぎだったようです。その疲れがひどかったのでしょう。
1歳半まで歩かなかったせいで、運動能力の発達がとても遅れました。
♪はる自分史29 赤ちゃん期⑥
— はるこ@バラの折り紙修行中 (@Haruorigami) November 30, 2020
いつまでもハイハイの私は4足歩行がとても上達した。ある日両親と広い芝生広場のある公園へ遊びに行った。ちょっと目を離したすきに、私は大喜びでかなり遠くまで高速ハイハイした。4足歩行で背筋が鍛えられたのか、私は今でもそこそこ力持ち。#自分史倶楽部 pic.twitter.com/8FLjMDRwYW
よちよち歩きとくらべて、はいはいはとても速かったらしいです。気が付いたら芝生広場の端から端まで這っていたと話していました。
♪はる自分史30 赤ちゃん期⑦
— はるこ@バラの折り紙修行中 (@Haruorigami) December 1, 2020
「おっきしたの」これが私のおはようのあいさつ。母が私に「あら、おっきしたの?」と言うのをまねたのだろう。ある晩、深夜に目を覚ました私は「おっきしたの」と高らかに宣言して、両親の枕元で手押し車をカタカタいわせて遊びだした。はた迷惑な…#自分史倶楽部 pic.twitter.com/kWGakq7x3b
子ども時代「自分でできるんだよー」と見せびらかしたい傾向がありましたが、どうやら赤ちゃんの頃から始まっていたようです。
木製の手押し車、別名「カタカタ車」。かなり甲高くカタカタ音がするので、両親はびっくりして飛び起きたことでしょう。
♪はる自分史 赤ちゃん期⑧
— はるこ@バラの折り紙修行中 (@Haruorigami) December 1, 2020
とにかくハンドバッグが好きだった。遊びに来た叔母のバッグが気になって、何度も肩ひもを自分の肩にかけた。
お出かけするときもおもちゃのハンドバックを持った。極めつきは、家でトイレに行くとき。いつもドアの前までバッグを持っていったそうな。#自分史倶楽部 pic.twitter.com/ZZ2x5wfD9P
叔母(当時19歳)が大好きだったので、持ち物が気になっていたようです。畳におすわりしたまま、叔母のバッグを肩にかけた写真が何枚もありました。
♪はる自分史 赤ちゃん期⑨
— はるこ@バラの折り紙修行中 (@Haruorigami) December 2, 2020
父はレコードを聴くのが大好き。聴くのはクラシックとウエスタン。が、私はウエスタンの甲高いヴァイオリンの音が大の苦手だった。音楽が流れると火がついたように泣き出す。
ある晩私が寝入ったので「やっと聴ける」と父がワクワクしながら針を落とすと…#自分史倶楽部 pic.twitter.com/DIzHI61EiD
♪はる自分史 赤ちゃん期⑩
— はるこ@バラの折り紙修行中 (@Haruorigami) December 2, 2020
よく寝ているんだから大丈夫だろうと、お気に入りのウェスタンのレコードに針を落とす父。
甲高いヴァイオリンが鳴り出すと、それまでぐっすり眠っていた私がオンオン泣き出した。
この日のことは後々まで恨み言を言われた。ごめん、私は覚えていない。#自分史倶楽部 pic.twitter.com/TDReAmobHc
父の言葉のまま「ウエスタン」と記載しましたが、カントリーミュージックです。確か苦手だったのはビング・クロスビーだったな、とツイートしたあとに思い出しました。
「やっと聴けると思ったのに、わざわざ起きだして泣くんだもんな」と父からいまだに文句を言われ続けています。
♪はる自分史 赤ちゃん期⑪
— はるこ@バラの折り紙修行中 (@Haruorigami) December 3, 2020
父が聴くレコードの中に、私のお気に入りが一曲あった。もう一度聴きたくて「おねまいします」と父にていねいに頼んだ。するともう一度かけてくれた。
ある日ラジオからその曲が流れてきた。私はラジオに向かって「おねまいします」と頼んでみた。#自分史倶楽部 pic.twitter.com/68wFVHBaVl
♪はる自分史 赤ちゃん期⑫
— はるこ@バラの折り紙修行中 (@Haruorigami) December 3, 2020
もう一度お気に入りの曲を再生してほしくて、ラジオにむかって「おねまいします」と頼んでみたが、ラジオは次のコーナーへ。無視された私は大泣き。両親は困り果ててしまった。
結局その1曲のために父はわざわざレコードをかけてくれたらしい。#自分史倶楽部 pic.twitter.com/Y08mY5hCIH
レコードをかけるのはCDよりはるかに手間がかかります。
ジャケットから袋を出して、袋から盤面に触れないように取り出してターンテーブルにのせ、回転数を指定して、盤面のホコリをきれいにとって、針を落として…。
たった1曲のために父にこんな面倒をかけさせて…。私は相当うるさく泣き喚いたのでしょう。
♪はる自分史 赤ちゃん期⑬
— はるこ@バラの折り紙修行中 (@Haruorigami) December 4, 2020
わりと話し始めるのが早かったぶん、言いまちがえが多かった。おまけに両親は面白がって全く直さなかった。
両親は今もいくつか覚えていた。通じるかな?
・やまねーず
・ののみやぐら
・ちゅけてね
・「おっきしたの」「おねまいします」は既出😅#自分史倶楽部 pic.twitter.com/Z37kyRITnt
やまねーず→マヨネーズ
ののみやぐら→火の見櫓
ちゅけてね→気を付けてね
母が父に「行ってらっしゃい。気を付けてね」と毎朝声をかけるのを、語尾だけ真似しました。だんだん上達して「ちをちゅけてね」になりました。
「血をつけてね」⁈ …物騒ですね。
♪はる自分史 赤ちゃん期⑭
— はるこ@バラの折り紙修行中 (@Haruorigami) December 4, 2020
絵本が好きだった。ブルーナの「うさこちゃん」シリーズとH.A.レイの「じぶんでひらく絵本」。
寝る前に母が読んでくれるというので、喜んで本棚から抱えられるだけどっさり持って行った。
28年後。娘2歳。私と同じことをした。因果は巡る…と思った。#自分史倶楽部 pic.twitter.com/cva4wI2A6v
娘が生まれてから実家の押し入れを見たら、「うさこちゃん」と「じぶんでひらく絵本」がまだ残っていました。開いてみると、すべてのページに見覚えがありました。本当に毎日たくさん読んでもらっていたんだと思います。
♪はる自分史 赤ちゃん期⑮
— はるこ@バラの折り紙修行中 (@Haruorigami) December 5, 2020
母はよくブルーナの「ちいさなうさこちゃん」を読み聞かせてくれた。
うさこちゃんが生まれて動物たちがお祝いに来る場面。「うしはていねいにおじぎして」のくだりにくると、私は必ず立ち上がっておじぎをしたそうな。寝かしつけには全く向かない絵本🤣#自分史倶楽部 pic.twitter.com/aadfHjulQF
娘と息子に読み聞かせをしていたころ。
「ぐりとぐらのえんそく」で、ぐりとぐらがお弁当の時間までにおなかをすかそうと体操とマラソンをする場面で、必ず2人とも布団から起き上がって「1.2.3.4.」と元気よく体操して、そのあと寝室をぐるぐるとマラソンしました。階下の部屋の住民はびっくりされたことでしょう。
寝かしつけは連日失敗。血筋か…。と思うと文句を言えませんでした。
♪はる自分史 赤ちゃん期⑯
— はるこ@バラの折り紙修行中 (@Haruorigami) December 5, 2020
4歳まで住んでいたのは木造平屋、トイレは汲み取り式の社宅。床が傾いていたので、お座りができるようになったばかりの頃は座る向きを間違えると後ろにひっくり返っていた。
両親から聞いた話はこのくらい。次は自分の幼児期のおぼろな記憶をたどります。#自分史倶楽部 pic.twitter.com/hUcxt0Pqu4
かなり古い建物だったようです。社宅に入居した理由は「そのあとどんな家に住んでもママから文句が出ないように」だそうです。
家賃はとても安かったので、住宅取得資金を貯めたい同世代の社員さんがたくさん住んでいました。我が家が退居したあと数年後には取り壊されて、あとにはそれなりに立派なマンションが建っていました。
両親から聞いた私の赤ちゃん期の話は、一人っ子の私がのちのち子育てするときの助けとなりました。
自分が母親になるまでほとんど小さな子供と接したことがなかった私も、わが子が訳のわからないところで泣いたりゴネたりしても「まあ私もそうだったらしいから…」と腹をくくることができました。
今、こうして赤ちゃん期の話をまとめてみると、両親は大変さも笑いに変えて私を育ててくれたのだと思います。私自身も、わが子が小さいころは泣きたいくらい大変なこともありましたが、今では笑い話です。
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