はる自分史12 小学校4

小学校5~6年生の思い出をまとめました。

1.5年生のクラス替え

5年生の時の担任の先生のことはとっても嫌いでしたが、もしかしたら注目してほしい気持ちの裏返しだったのかもしれません。先生のことはいいことも悪いことも、とてもよく覚えています。

2.臨海学校

幸い、同じ班の女の子たちは優しくて一言も文句は言われませんでした。

3.鼓笛隊

金太郎のような見た目だったうえに、鼓笛隊の制服は赤いベレー帽と赤いスカーフ。よけいに金太郎っぽかったです。

4.センスなし...

毎日体操着で通学していたせいか、服を上下でどう組み合わせるのか、全然わかっていなかったようです。

5.雑...

子育て中の親は、今できていることより、将来できるようになってほしいことに目がいくようです。それでも今できていないことをあげつらうのは嫌な気持ちになります。

6.手芸クラブ

母は編み物と聞くとしかめっ面になります。遠視なので手仕事すると頭痛がするそうです。いつも編み物のことを目の敵にしていました。

自分で作ったマスコット、上手でなくても愛着がわきました。友達とお互いに見せっこするのが楽しかったです。

7.クラスのことあれこれ

イラストコンテストを開催した時は、まだモビルスーツはザクとグフしか登場していなかったようです。もう少しあとの時期だったら、リックドム、ズゴック、アッガイ、ジオングetc..たくさん出て面白かったと思います。 
松本零士さんのアニメキャラのイラストを描いた子もいました。

とっても綺麗な女の子の絵が口裂け女になっちゃうの、なんとなくもったいないなあ、と思いました。

8.修学旅行

市内の駅から、直通電車で日光まで行きました。車両はボックス席。
修学旅行用の特別列車だと知ったのはずっと大人になってから。普通に日光に行こうと思ったら本来は乗り換えが必要でした。

怪談の最中、シーンと静まり返っているのに耐えられなくなった男子がクスクスと笑ってしまいました。すると先生が怪談の主人公になりきって「笑え!笑え!笑ってみろ!」と脅す巧なアドリブ。怖さ倍増でした。

9.体操部

鼓笛隊の朝練の時は張り切って早起きできたのですが、やりたくないことで早起きするのは辛かったです。

先生は試合に出るレベルの子たちの指導についていたので、初心者レベルの私たちは児童だけで練習していました。朝から集まって練習して、どの程度の効果があったのか。事故がなくてよかったです。

倒立ブリッジがひとりでできるようになった子は運動能力が高かったです。体操部に入るのが早かったら試合に出られるレベルだったかもしれません。

10.夏期学校

学校の周りには里山が残っていたので、校庭でのお泊りはキャンプ場のような雰囲気でした。学校からは町の灯りが一切見えないので、肝試し効果は抜群でした。

フランケンシュタインの手が上がるタイミングが絶妙すぎました。今思い出しても心臓がバウンドします。

あまりにも怖くて怖くて、その場でもゴールしてからも、涙すら出ませんでした。
ゴールでも「余裕だった~」なんて言って笑っている子は1人もいませんでした。

11.居心地悪い

12歳の女の子なら、一緒にいる友だちは選ぶかもしれませんね。この頃の私は小太りで服装にこだわりが薄く、一人っ子のせいかコミュニケーションも下手でした。

運動は苦手だから別に外で積極的に遊びたいわけではない。一緒に外に行く友達もいない。それなのに外に出ることを強制されるのはとても嫌なことでした。

一緒に遊ぶ友達はいないと思っていたのですが、声をかけてもらったのはとても嬉しかったです。外に出たくないと思っていたのは意地っ張りだったのでしょうか。

わざわざ手紙を書いてくれたのは、きっとこの子の優しさからなのだと思います。励ましも本心だったかもしれません。
それでも私には「先生とクラスメイトの両方から『可哀想な子』の立ち位置に置かれた」としか思えなくて、たまらなく悔しく恥ずかしい気持ちになりました。
素直にクラスメイトと先生に感謝できていたら、その後の接し方も違ったでしょうか。

12.なにを言われているんだろう?

よく考えると問題発言だらけでしたが、私がまったく苦痛を感じていないので、今で言う「いじめ」には当たりません。
もっと軽い発言でも、言われた側が苦痛に感じたら「いじめ」だと思います。言った側の悪意の有無は関係ありません。


※一般論として「いじめ」という言葉自体が軽すぎます。
言葉による侮辱、名誉棄損、暴行…など一つ一つの行為の名前をはっきりさせた方が事の重大さが伝わると思っています。

細かいことをいろいろ思い出して、40ツイートたまってしまいました。小学校卒業まで、もう少し続きます。


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