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僕たちはなぜ生産するのだろうーー『虫の瞳』5つの"孤立"パフォーマンス

いよいよ3日後に迫ったパフォーマンス・アート『虫の瞳』ですが、ご予約がまだまだ可能ですので、ご検討中の方のために「どんな企画なのか?」について、詳しく書いてみようと思います。

写真:池田花梨 デザイン:鈴木美結

『虫の瞳』とは?

『虫の瞳』は、エリア51メンバーの中野志保による発案企画です。かなり前から企画の相談を受けていました。メンバーの鈴木と3人の会議で企画を詰め、ありがたいことにアーツカウンシルスタートアップ助成に通過したエリア51初の助成企画です。

サブタイトルに”孤立"を考えるパフォーマンス・アートとあります。これには、「孤立は絶望にしかならないのだろうか?」という問いが込められています。タイトルの意味は、ぜひ会場でご覧になって、自由にお考えください。

僕は『虫の瞳』にパフォーマンスアーティストとして参加し、演出の補佐も担当しています。よって僕にとってこの企画は、まず中野の掲げた綿密な企画意図と共振することを目指すところから始まりました。

中野の問いかけをうけ、神保治暉、高田歩、トム キラン、山本史織、そして中野志保———5名のアーティストが「それぞれに」向き合いました。そして5つのパフォーマンスが生まれ、あなたに目撃してもらいたくうずうずしているようです。

会場:デザフェスEAST館 2階

原宿・デザインフェスタギャラリーでの公演は、エリア51として2度目です。今回はEAST館の2階をワンフロア貸し切って、美術館のようにいくつかの部屋をめぐる体験型の作品になりました。

入口入って右側の階段を登るとすぐ受付です

参加アーティストは5名ですが、1公演につき4人がパフォーマンスを上演します。なので4つの部屋で同時上演される作品を、ナンジャタウンみたいに自由に往来していただきます。外の空気を吸いたい時など、時間内は出入り自由ですのでどうぞ。ゆったりと2時間、お過ごしください。

★6月24日(金) 17:00〜19:00
出演:高田歩 トム キラン 中野志保 山本史織

★6月25日(土) 13:30〜15:30
出演:神保治暉 トム キラン 中野志保 山本史織
★6月25日(土) 17:00〜19:00
出演:神保治暉 高田歩 中野志保 山本史織

★6月26日(日) 13:30〜15:30
出演:神保治暉 高田歩 トム キラン 山本史織
★6月26日(日) 17:00〜19:00
出演:神保治暉 高田歩 トム キラン 中野志保

★6月27日(月) 13:30〜15:30
出演:神保治暉 高田歩 トム キラン 山本史織

お目当てのアーティストがいる場合はお間違えなく!

ちなみに、EAST館への行き方は少々分かりづらいのですが、「明治神宮前駅(副都心線)」の5番出口、もしくはエレベーターから地上に上がり、キャットストリートを通って行くのが一番迷わず行けると思います!

エレベーターからの道順
このエレベーターです

ランチにおすすめなのは、この道中にある「オジヤンカフェ」です。おじやのカフェです。あつあつヘルシーで美味しいです。

孤立ってなんだっけ

創作の過程は実に暗中模索で、「孤立」の定義とは何か?という根源に立ち返る日もありました。話し合ってわかったのは、孤立、と聞いてもイメージするものが人によって少しずつ異なっていたことです。

たとえば中野のいう孤立は、「人はそもそも完全に他者と意志を通わせきることはできない」という考えの上にあり、そこから、「ならば他者を理解できないことは絶望にはならないはずではないか?」と仮説を立てています。そして、「そうすれば孤立という概念自体が、望まれざる状態ではなくなり、絶望する人はいなくなるし、他人の孤立を絶望と思わなくなるかもしれない」へと発展します。

「孤立」と聞いてイメージするものは何でしょうか? さびしい記憶、こわい思い出、つらかった過去、現在のいきどおり、そして未来への不安。さまざまに思いつくでしょう。決してポジティブな言葉ではないと僕は思います。

しかし僕が驚いているのは、パフォーマンスを考えたり、実際に練習している間、自分が孤立とは程遠いところにいるということです。これは不思議なことで、孤立について井戸の中をぐるぐる考えているうちに、気がつくと野原で寝転がっていたような、そんなトリップが起こっているんです。

この矛盾は、僕にとって「人は一人では生きられない」けれども「たった一人でも生きられる」というアンビバレントな人間存在の本質的矛盾を射抜いた難題として目の前に立ち現れました。

遊びの場

『虫の瞳』の練習風景には、さまざまな「遊び」が散りばめられていました。僕たちが重ねてきた議論や、積み上がった時間が、僕を何か新しい心境へと誘っていることに気づいたのです。

来場者に「何を楽しんでもらうか」。その答えはまさに、5者5様のかたちで空間に立ち上がります。僕たちが生み出そう/辿り着こうとしていたその「何か」は、むしろ最初からここにあったことを静かに語るのです。

つまり、僕たちは自由にそれぞれパフォーマンスを考えていたはずなのに、気づけばこれらのパフォーマンスの総合を全員で構築する、いわばひとつの「共同体」と化していたのです。その上で、果たしてこれを共同体と「呼ぶべきなのか」について考えると、より踏み込んだ解釈が生まれそうだと思います。

みなさんがあの空間をどう「遊ぶ」のか、それはぜひご自身の身体で楽しんでください。

そしてこちらの、ティーザー動画もぜひご覧ください。

廣戸がこの動画の絵コンテを出した時、僕は「いやいや面白くなるだろうけどコレでいいの?」と思いました。これを見て、『虫の瞳』がどんなものなのか、伝わる人と伝わらない人でだいぶ別れるだろうなと思いました。

しかし総合演出の中野は、投げかけたものに対して「自由に作って応答してほしい」という強い演出的興味を持っているため、そこに「方向づけ」はありませんでした。しかし、今振り返ってみると、僕たちは「孤立」という言葉の周りを周遊するうちに、『虫の瞳』という不可解な天体を形作っていったのでした。

「そもそも広告って何なんだろう?」なんてことをずっと考えています。演劇を作っていると、お客さんに来てもらうため、広告活動は欠かせません。むしろ、広告次第で動員は1にも100にもなります。そして実際、本企画はかなり動員に苦戦しています。

ただし、広告表現とは興行的に極めて重要で、かつ、そこにアーティストとしての精神や哲学も込められているという、興行とクリエイティビティの中間点にあるものだと思います。

このティザーは「遊び」の入口として強い印象を生みました。しかしどんな作品なのかはわからない。果たして、どれくらい「方向づけ」するべきのか? この自問が、遊ぶ僕たちの後をずっとつきまといます、まるで親の目のように。きっと会場を出た皆さんの後ろにも、彼らはついてきてしまうのでしょう。

カフカの『変身』

さて、僕のパフォーマンスですが、悩みに悩んだ結果、初期に中野が提示してくれたカフカの『変身』に立ち返ってみることにしました。

そしてもう一つ、自分にとって大きな出会いだったのが「∅」という記号です。これは「空集合」という意味で、僕は高校数学で習ったのですが、「ある条件を満たすような数は存在しない」ことを表す記号です。たとえば、1,3,5,7の中から偶数を選べと言われたら、そんな数は存在しないと答えるのが正解ですよね。その解答のために使う記号です。

この、「ない」を証明するために「存在」するという記号に、人間のような矛盾を感じました。そしてそこから、僕のパフォーマンスは具現化していきました。

『変身』では、主人公のグレーゴル・ザムザが、ある朝とつぜん虫に変身していて、仕事も健康も家族とのコミュニケーションも失っていく姿が淡々と綴られています。外側からは「ない」とされてしまう「存在」の不確かさと確かさ、それを、神保治暉の身体という装置を通して形にしてみたいと思いました。

この記事の一番上にある写真は、僕のパフォーマンスの練習の際に撮った写真です。みなさんがどう感じるのか、なにを楽しんでいただけるのか、とても楽しみです。ぜひ感想もお聞かせください。

なぜ生産するのか

最後に、やや脱線して終わります。

僕は今回、「孤立」を考えるにあたって、抜け出せない穴にハマってしまった時期がありました。それは、「なぜ生産するのか」という疑問でした。

グレーゴルは、虫になったことで販売員としての仕事ができなくなりました。グレーゴルを最初に孤立に突き落としたのは、勤め先の支配人や家族が、「なぜ仕事に行かないのか」を執拗に問いただしてきた点にあると思います。しかし当のグレーゴルも、混乱しながらも仕事に行こうとしている。

なぜ人は働くのか? もちろん働くことは悪いことではない。しかし、「生きる」ことと「働く」ことが逆転してしまったとき、なぜか「働けない」ことが「絶望」へと変換されてしまうのではないだろうか。

たしかに障がいや病気を抱えて仕事ができないことは、つまり、一人では生きていけないことを意味するし、何より社会的に生きていくにはお金の問題が立ちはだかります。僕も先日covid-19療養で隔離されたとき、このことが重くのしかかりました。

しかしながら———何かを生産することがお金に変わり、お金を得るために生産する。この循環が「循環だけ」になってしまったとき、その循環から「はずれた存在」は社会から転落します。でも僕は、そんな存在を「転落させてしまう社会」自体に問題があると言えはしまいかと思うのです。

資本主義の負の連鎖は、至るところで人間を循環装置へと変えてしまいます。恐ろしいことに、僕はしばしば演劇を作っている最中、あるいは電車に乗って稽古場に行く道中、自分が今まさに「何かを生産しようとしている」ことの不気味さに気づきます。いつしか僕は、稽古場に「行かなければならない存在」になり、なぜかそんな自分と戦い始めさえもする。そして1シーン作り終えると、全体の何%の工程を終えたのかと親の目が問うてきて、それを振り解こうと「方法的遊び」の泥だまりへとジャンプする。

世界の資本主義至上的な生産ラインを断ち切りたい。そう思っているはずなのに、自分はまた自分の作品を、さも有意義かのように広告し、「方向づけ」て、お客さまに料金を支払っていただく。このお金はなんだ? これはまさに、自分を切り売りして生産ラインに乗せる作業に他ならず、ミイラとりがミイラに・・・の喜劇的な好例ではあるまいか。

そう考えると、途端に、自分は何をしているんだろうと思えてきて、投げやりになって、一度は本気で「会場に行かない」をパフォーマンスにしようかと思いさえもしました。笑

しかし今はこう思います。

「孤立」のイメージを変えたい。そのために、楽しんでもらいたい。遊んでもらいたい。その体験を提供するためなら、僕は自信を持って、助成金をもらいながらも料金を頂戴するという、破綻したスタンスのまま会場の板を踏もうと、そう決断することができました。小さな一人の人間的矛盾は、歪な社会ごと矛盾して出来上がってしまっているのだから。

僕はこのPC、マッキントッシュで、幾つもの言葉を放ってきた。いい言葉もわるい言葉も。そして、これでたくさんの人をつないできた事実がある。奇跡とも言える。たった一人で画面に向き合っていても、時間も空間も超越したどこかで、僕はこの孤立を遊び/遊ばせる「体験」を生産したいんだ。たとえこれが最終的に資本主義の生産ラインに組み込まれてしまったとしても、そこにはある種の時限爆弾のような、遅効性の毒が仕込まれていて、内側からこの生産ラインをストップさせてくれる日がいつか来る。それを信じることが、今なら、できる。

回り続ける生産ラインの傍らで。何を聞き、何を見て、何をタイプするか。それは毎時毎日、安定供給されなくったって、いいはずだ。僕が生産するものとは、そういうものなんだ。

『虫の瞳』”孤立”を考えるパフォーマンス・アート
◯日時 2022年6月24日(金) 〜 6月27日(月)
◯会場 DESIGNFESTA GALLERY EAST 2階
◯出演 中野志保(エリア51)|神保治暉 (エリア51)|高田歩|トム キラン|山本史織
【展示型のパフォーマンスです。オープン時間内のいつでも自由に入退場していただけます。チケットまだまだ余裕あります。】
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