隠れん坊と鬼ごっこ、その距離。

鬼ごっこの国で育った。
けれどもぼくは隠れん坊が得意だった。
鬼ごっこと隠れん坊の距離は。
埋まらない隔たりは。

何が正義かは置いといて、いちばん強くなれさえすればよかったのにと思う。
四半世紀ものあいだ、この小惑星は流れの中を隠れて漂っていた。
太陽系は正しく流れる。
けれどもぼくは隠れん坊が得意だった。

第一走者になれさえすればよかったのにと思う。
じゃんけんが強ければよかったのにと思う。
口からでまかせを言えたらいいのにと思う。
そしたら余計なことを考えなくてよかったろうに。
走ることよりも隠れることを選んできた、この、先天的かつ後天的な絶望癖は、ピストルの鳴る音をきらって生きてきた。

誰かを追いかけることよりも、見えない鬼から隠れる方が好きだった。

鬼じゃない人には名前がない。それが押し寄せて悲しい。

ああ、やっぱりこの国は鬼ごっこの国だ。
鬼は、鬼から鬼へ、鬼を鬼たらしめる精神をバトンパスしていく。
またつぎは誰かが鬼を演じる。

誰一人として、ぼくでさえ、この連鎖を絶てる力を持たない。そういった教育を受けて育つものは少ない。ただ暴力だけが一時的に救いたりうるのだろう。

花の愛でかたばかり教わってきたぼくは、鬼ごっこの国で、隠れん坊を続ける、その中で、花を愛でてしまったばっかりに、追うことからも追われることからも脱け出してしまった。

歩くも走るも、結局は隠れるため。
でも見つけてもらうため、お尻は隠さない。そんな自分が情けない。

ここでサポートいただいたお気持ちは、エリア51の活動や、個人の活動のための資金とさせていただいております。どうぞよろしくお願いいたします。