今の私をつくるもの その1 "パーマカルチャー"
まず前提としてお伝えしておきたい。
私には長期的な記憶力がない。全然ない。
特に何才の時に何があったとか、人の名前や固有名詞、地名、数字など。
例えば弟なんかは昔から、あの時の旅行のなんとか旅館で誰々がこんなことを言ったとかをよく覚えていて、子供の頃から感心したりしていた。あれは20〇〇年の事で、、と会話中に年号が出てくる人も尊敬する。
大好きな漫画家東村アキコさんは、登場人物たちの具体的エピソードやリアルな描写、ちょっとしたやり取りがとても面白いのだが、ご本人も「記憶力はものすごく良い」と仰っている。面白い文章や漫画を書ける人というのはそういう才能に長けている場合が多いのだろう。
とにかくそういう訳で、私に記憶力があれば自分の旅体験などを面白おかしく書くことができたろうが、残念ながらそれができないため、全体的にざっくりとした話になってしまうことをお断りしておく。
そんな私がハッキリと覚えている事、それは初めてパーマカルチャー、自給自足という生活がある事を知った時のこと。
私は確か大学2年くらいで、大船にあるチェーン店のパン屋さんでバイトをしていた。パンの成形やサンドイッチ作りなど担当で。
そもそも既に旅が好きで大学の休みに一人旅などをしていて、バイト代は全て旅行代につぎ込んでいた。バックパック旅行が人気だったし、女一人旅も流行っていた。
旅先で出会うあらゆる風景や体験から、漫然と世の中への問題意識などを感じていて、特に環境問題には関心があった。けれど、あまりにも壮大で規模感の大きな問題過ぎて、どうすべきか自分に何ができるか皆目見当もつかなくてボーッとしちゃう状態。
と同時に、一人で世界一周したり、インドに何ヶ月も沈没している旅人にただただ憧れていた。自分も、裸一貫なにも持たず何にもとらわれず生きれる人間になりたいと思っていた。
そんなもやもやとキラキラを併せ持ったよくいるタイプの大学生だった私。
パン屋のバイトさんの一人にOさんという方がいた。女性なんだけど丸坊主でお肌白くてつやつや。ノーメイクで清潔感があってすごく素敵な人。その方が、これ興味あるんじゃない?と貸してくれたのが、ソトコトという雑誌(ほっこり系ではなく環境問題などを割とアカデミックに取り扱っていた)の、パーマカルチャー特集だった。
オーストラリアのパーマカルチャービレッジと、そこで自然にかこまれて暮らす人々。クリスタルウォーターズ、マレニー、自給自足。
当時そういったジャンルについてはほぼ知識がなかったため、衝撃だった。
クリスタルウォーターズの記事の中で、ひときわ輝く笑顔で写真に写っている女性。
その笑顔を今でもはっきりと覚えている。
生命力に溢れてたくましく、生きる自信に満たされているような美しい笑顔。こざっぱりしてるけど女性らしい母性の輝き。
こんな自信に満ち溢れた人、なんて素敵なんだ!!!私もこうなりたい、ここへ行きたい!
ということで、記憶力はないけど、これだ!と思うことに出会った時の頭の回転の良さには定評のある(自分調べ)私は、鼻息荒く計画を立て始めました。
つづく