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銀婚式の朝

未明の湖面すれすれに低く鳥の群れが飛んでいる。その一羽一羽が鏡のような水面に映っているから、まるで紙の裏に出たホチキスの針のように規則正しく見える。鳥の数はちょうど九羽だ。いや、先頭のずっと離れたところに長を務めるのがいるので十羽だ。全体の絵の中で、曇った空が様々な灰色を帯びた様子で大方の構図を占めている。

級友だったLori Andersonの撮った風景はそんな感じだ。いつか、このような風景に身を浸らせる時間を持ちたいと思い、次の瞬間、今の風景に身を浸らせることは、いつでもできると窓外を見た。銀婚式の朝で、自分は詩人と新宿のホテルにいた。颱風は今まさにどこかに上陸しているのだろうけれど、そこには、雨がひとしきり降った後の濡れた高層ビルが、静かに刺さっている風景しかなかった。颱風の予告故か、週末の朝九時の路上には人気はほとんどなく、それらの人々が動くとき、この風景が静止画ではないことを、かろうじて伝えていた。

コロナ前は出張が生活の大半を占めていたから、ホテルからの風景は、心の静止画の大半を占めている。大阪の出張でやはり颱風が来、向かいのビルの屋上の、お墓のように立ち並ぶ、室外機がずずずずと移動するのが見えたこと。香港のビル群との違いは、あちらのビルは色彩が豊かであること、台北であれば、向かいがちょうど警察署の前庭であったこと。そんなことごとが思い出された。

しばらくすると雨が降り出し、待ち針のように見えた人の動きが走り出したり、傘を広げたりした。窓にも水滴がついた。いつだったか颱風がまさに、その颱風の到来を予告する新聞をばさりと窓に貼り付け、次の瞬間もぎ取った、あの風景は今回はあるまい。