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そしてパーティーは続く

 もしも蒼介が今の私の記事を読んだら、あの日と同じように「こういう質問くだらねえよな」と言うだろうか。あの頃の私が今の私の記事を読んだら、やはり蒼介と同じように、くだらねえと思うのだろうか。目の前にいるルイは、今どう思っているだろうか。
 月曜日の昼時のオフィスは騒ついていて、隣の会議室からも談笑が漏れ聞こえてくる。取材の残り時間は半分を切っていた。


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 取材の二日前の土曜日、私は大学時代の女友達の結婚式に出席していた。結婚式に呼ばれるほど親しい友達はほとんどいないため、その日初めて聞いた話だったが、同期の間では第一次結婚ブームがきているらしかった。
「ケイも結婚したんだよ。あとあの子、モモちゃんも」
 披露宴会場で隣の席に座った麻衣子が言うが、私は話題に上がるほとんどの人の顔が思い出せなかった。
「モモちゃんて誰だっけ」
「いたじゃん、モッチーって呼ばれてた」
「え、モッチーってモモって名前なの」
「そうそう」
 会場の前方では、司会者が自己紹介をしている。
「なんでモモなのにモッチーなんだよ」
「え、知らないの?本人はモモでモッチーだと思っているけど、男を誰でもヨイショして持ち上げるから、モッチー」
「うわ、ひど」
「だって本当だもん。モッチーさあ、それで先輩の彼氏にちょっかい出されて、修羅場んなってんの。笑った。旦那さんもさあ、リナの彼氏に紹介してもらったのが最初らしいんだけど、あれ危ないよ、知らないけどさ」
 リナに関しては名前すら聞いた覚えがなかった。
「ねぇところで私こないだ、東カレのアプリでさ」と、麻衣子がスマートフォンの画面を見せようと身を乗り出した時、
「それではお待たせ致しました。皆様、後方扉をご覧下さい。新郎新婦の入場です!」
 という司会者の合図とともに大音量で音楽が鳴り響き、私たちのテーブルからほど近くの扉が開かれ、満面の笑みをたたえた新郎新婦が入場してきた。スポットライトに照らされて白く光り輝く二人の姿に、麻衣子は大げさな拍手をしながらもう涙を流している。
 新婦は今まで見たどの瞬間より美しく、新郎は幸せを隠さない朗らかな表情を浮かべていて、私は素直な感動と祝福の気持ちを感じていたが、次の瞬間には私の興味はそれよりも入場と共に流れた音楽に移っていた。
 それは、『Cigarett ends』というバンドのミドルバラードで、新たなウェディングソングとして話題になりつつある曲だった。『Cigarett ends』は一度はメジャーアーティストとしてデビューしたものの、次々に出てくる新しいバンド達に埋れ、二年で契約を打ち切られていた。キャリアの割にバンドとしての知名度は低く、この曲が思わぬヒットを生み出してもなお、若手とは呼べない年齢になった彼らの顔を知るものは、まだ多くはいなかった。
 私がこの曲に興味を惹かれたのは、どこかしら聴き覚えのある懐かしさを感じたからだったが、それが、曲調なのか、歌詞なのか、はたまた声なのか、ただなんとなく似たような雰囲気の曲を巷で耳にしただけなのか、判別がつかないうちにその曲はフェードアウトし消えていってしまった。
 ふと意識を披露宴に戻すと、麻衣子が泣きながら盛大にスパークリングワインを飲み干していた。
 卒業して以来、ほとんど連絡も取っていなかった私を招待客に数えるだけあって、披露宴は中々の規模だった。新婦とは文学部の小さなゼミが一緒で、麻衣子を含めて教室で良く話はしたものの、プライベートで遊びに行く程の仲ではなかった。いつか自分が結婚式をすることになったら私は一体誰を呼ぶつもりなのだろうと、予定も無いのに考える。結婚式への出席などしばらくしていなかったのと、主賓や友人代表の長いスピーチをやり過ごそうとしたせいもあり、飲食のペースを間違え、お開きになる頃には結構な量のアルコールを飲んでしまっていた。
 

 披露宴の後、麻衣子に半ば無理やり二次会の会場に連れてこられた私は、赤ワインを飲みながら最適な居場所を見つけられずにいた。麻衣子は到着して早々、「きゃー、久しぶりー!」と言いながら人混みに消えてしまった。式場からタクシーで十分程のその場所は、三階が立食パーティーの会場になっていて、二階には喫煙スペースが作られていた。
 私の喫煙者度合いは、飲みの席で気が向けば数本吸うくらいのもので、「十万円あげる」と言われれば喜んでやめられる程度だった。五万円でも良いかもしれない。それでも今日、ただでさえ小さなクラッチバッグの中にわざわざ一箱忍ばせてきたのは、なんとなく会場から抜け出したくなるであろう自分の心情を予感していたからかもしれない。
 ビンゴ大会が始まろうとする三階を後にして階段を下り、喫煙スペースに入ると、私以上にこのパーティーに疲れているであろう男女が十数名、誰一人会話せずに煙とともにため息を吐いていた。その静かな空間に、私は無意識のうちに深く安堵していた。
 ボックスから取り出した一本に火を付ける。アメスピは数年前にソフトパックが廃止されてしまった。煙草をそれほど美味しいと思ったことはなかったし、結婚式のためにおろしてきたフォーマルドレスに匂いが付いてしまうのは多少気になったが、私はこの、正しい枠組みからはみ出してしまったかのような、どこか疎外された空間が好きだった。
 二口ほど吸った煙草を灰皿に置き、ふと思い立ってネットの検索画面に『Cigarett ends』と打ち込む。吸い殻という意味のバンド名。燃焼剤の入っていないアメスピが、ゆっくりと燃えていく。
 検索結果のトップに、『Cigarett ends』のホームページと、今日披露宴会場で聴いたあの曲のミュージックビデオが出てきた。再生回数はまもなく三十万回に達しようとしている。その下にメンバーの画像があった。
 適当に選んだ一枚に親指が触れ、画面いっぱいにそれが映し出された瞬間、周囲にいた数名の男女に振り向かれるほどの声量で、私は「えっ」と声に出してしまっていた。
 くすぶっていた煙草をつまみ上げ、大きく一吸いしてから灰皿に押し付け顔を上げると、そこは渋谷の『Giraffe』に変わっていた。

読んで下さってありがとうございます。思考のかけらが少しでも何かの役に立ったなら幸いです。