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お祭りの笛  ①いつかできる ケド 

3年生の夏に学校から持って帰ってきたお便りの中に「獅子舞親子教室参加者募集」の文字を見つけた。
地元の神社のお祭りで江戸時代から続く獅子舞があると書いてあった。
兵庫県の重要無形文化財に指定されている獅子舞で、その伝統継承事業としての親子教室。
男の子は獅子舞。
女の子は獅子が舞うときの笛。

土着の伝統芸能に親子で触れることができるってありがたいなぁ。
明石は私の生まれ育った街ではないから、明石の伝統や歴史や、この土地の人々が大切にしてきたものを私の言葉やなりふりで伝えることはできない。
私も真っ白だから。

でも 
他所者でもいいのかな。

そうか、はるちゃんが明石で生まれ育った子だからいいのかな。
私は はるちゃんに連れて行ってもらうんだな。

昨年のお祭りでは、はるちゃんは笛は持っていたけれど音はカスカスカスっという息の音しか出せずに終わった。

はるちゃんは何事もマイペース。羨ましい。
できないことはそんなに恥ずかしいことじゃなくて、今日は無理でも次はできる、いつかできるというポジティブな思考。
できるお友達を心から「すごいねぇ」と尊敬したり自分ができなくても、お友達ができるようになると「よかったねぇすごいねぇ」と自分のことみたいに喜んでいる。
そんなわけで、黙っていても知らず知らずにあそびながら(本人は努力してるつもりはない)獲得するものはあるけれど、
努力して練習を重ねて獲得しようと自分で決めて実行することは、まだあまりない。

私の子ども時代は
「できません」と言えずに陰で必死に練習したり準備して、いつもなんでもちゃんとやらなくちゃと思っていた。
今日できても明日になったらできないかもしれないというネガティブな思考で、できるお友達に口先で「すごいねぇ」と言っても、心の中では悔しくて喜べなかった。 
どんなふうにしたら、うまくできるのかなと人のことをとても観察する子だった。
そのおかげで、いろいろなことができるようになったのだけど。


さて、はるちゃん。4年生のお祭り笛練習。
今年は時々音が出ることもあったけれど メロディとは言えないようなメロディが吹けるようになったところで、「これで今年はいいかな」と自分でそれ以上を望まないような感じになっていた。

昨年から始めた同学年の友達ふたりが、とうとう大人に混じって吹けるように上達した。

はるちゃんどうするのかなと思っていたけれど、素振りとしては変わらずにいた。

でもとうとう
私が笛のリーダーに
はるちゃんのことを言われた。

はるちゃんは私の隣で、私がいろいろ言われている様子を見ていた。

10月になってから咲く朝顔もすてきだから

はるちゃんは
文字にしても、フラフープにしても、竹馬にしても、自転車にしても、猫を抱くことにしても、掛け算ククにしても、そのほかなんでも
他の子があらかたできるようになってからの獲得。
ブービー賞とか ラストで賞。

それでも 間違いなくいつかできてきた。

だから、私もはるちゃんはそういう子だから、と思って無理に練習させたり時間を決めて練習したりしていなかった。

でも、私の中では、そりゃぁ
上手になってほしかったし、練習もしてほしかった(私が子どもの頃のようにとまではいかなくても)
自主的に。

私が 「させる」とき、厳しくなってしまったら、はるちゃんの逃げ場が家の中にないなぁと思っていた。というのもある。

ガツンといく人
さとす人
なだめてくれる人
励ましてくれる人
きびしくいう人
私のひとり芝居の腕あげてやらなくちゃ
もうやらなくちゃなと思って、はるちゃんに話した。

「あと3日練習して、ふけなかったら、今年はお祭りに出れない」
えっ。

「汚い音でふいたら、他の方のご迷惑になるから街廻りもいけない」
えっ。

「はるちゃん。 ままは、今日、とても恥ずかしかった。」
うん。

「でも、無理だなと思ったら、もうお祭りに出るのは諦めて、明日笛を返しに行こう」
えっ。いやだ。

「どうするの?」
練習する。

「わかった。でも、練習しても吹けるようにならなかったら、お祭りには出ないよ」
わかった。

まま。
ごめんね。

「いいよ」


こうやって わが家なりのあるき方を2人で開拓していくんだなぁ
言ってくれる人がいるって
ありがたいな

ーつづくー


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