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試される野生と旅の記憶の話。

沖縄を旅行中。
やんばる近くの宿に滞在している。

夜、家族が寝静まったあと
コインランドリーの洗濯物を取り出しに宿の敷地内を移動しながら
久しぶりに夜の静寂を楽しんでいた。
聴こえるのは何種類かの虫の声。


ふと昔の記憶が蘇る。

子どものとき家族でキャンプに行き、懐中電灯の光で足元を照らし高揚した気持ちで歩いたこと。

当時付き合っていた彼と仲間たちと焚き火を囲み、ハイになって踊った夜。

ベトナムのビーチで朝まで過ごし、冷え切った身体を太陽が暖めてくれたこと。
日の出があんなに待ち遠しいことはなかった。

屋久島で夕闇の迫る中、街灯のほとんど無い道を急ぎ足で1人たどり着き、こじんまりとした居酒屋で食事にありついた安堵感。
その夜、ゲストハウスの湿気た部屋と煌々とした白色電球。

カンボジアを旅行したときトゥクトゥクに乗り、街の喧騒を離れ真っ暗な林を抜け、郊外へ向かったときの肌で感じた生暖かい風、ガソリンの匂い、異国のスリル。。



夜の闇と光の記憶は表裏一体になっていて、
闇が濃いほどかすかな光も強く強く脳裏に焼き付いている。
いつも闇のないところで生活しているから、夜なのに闇のないぼんやりとした灯りのある夜しか知らない。すっかり忘れてしまっていたことを思い出した。


夜の闇は動物的な感覚を呼び起こす。
火は私の中に眠る野生を呼び覚ます。


ときどき、
本当の自然の中に身を置いていないと、
本来備わっている感覚を鈍らせてしまう。
自然への畏れも、忘れてしまう。 


だから私は、旅をするのか好きなんだった。
海に潜るのも好きなんだった。
自然にさらされて
私の野生を、試される気がするから。

絵を描くとき、私はその場に流れている空間に感覚を溶かし一体にして、私と、私以外のもっと大きな全体とで、キャンバスに向かう。

動物的に自然の有りようを察知することで、
感覚を研ぎ澄ませて、集中して描くことに没頭できる。絵も、外の世界を反映して変化していく。

いつか旅をしながら絵を描けたら、
その土地に流れる空気を感じながらじっくりと制作に取り組めたら、いいな…と思いつつ、それはもう少し先の未来になりそうだ。

まずは旅から帰ったら、この感覚を忘れないうちに絵を描いてみようと思う◎

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