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DJを始めるまでの音楽遍歴

はじめまして、harukaroboです。初めてnote使います。(某所のアドベントカレンダー企画用記事です。)

さて、ちょうど執筆中にMU2022が告知されましたが、僕はMU2020(を軸にするムーブメント)をきっかけにDJを始めて、今まで様々なジャンルのDJをやってきました。
しかし、MU2020以前は私はただの少しゲームをする程度のオタクでした。私は何を軸に選曲を行っているのかについて、幼少期からたどっていきます。クソデカ自分語りの始まりです。

トンデモ園児

他にもMelodies-The Best of AOR-をずっと聴いてたり、ユーミン曲を流されまくったりした。

3歳児くらいの頃、家にあったのは父親のPS2。床に置かれるはDDRマット。私はDDR2ndremixで遊んでいました。よくプレイする楽曲はブンブンダラーやBOYS辺り。今でもブンブンダラーのラストの矢印縦連を覚えてる程度はやっていたようで、高BPMやシンセサウンドに慣れる大元の大元だったと言えるでしょう。
一方、母親も年明けのSideMのチケットを引き当てるほどのオタクで、私が生まれる前には初代PSOをやっていたり、セガサターンが家に2台(母の初期型、父のシロ)あったらしいとかなりの人。昔はバンド等に触れてたらしく、洋楽等も含めかなり幅が広い。家で過ごす日は母親のCDがリビングで鳴っていました。
耳に残ったものと言えば、80sのオムニバスCDに入っていたものや、母親の好きなYMOのアルバム辺り。特に私が聴いていたのはFIRECRACKER。当時はテレ東の『空から日本を見てみよう』で使われてましたから。
それとスティービーワンダーのisn't she lovelyやSir Duke。いつ聞いても良い曲です。
僕は2002年生まれですので、幼稚園児の記憶ある流行りの曲はMonkey MajikAround The Worldや平井堅のPOP STARとか。

文明の利器に触れた小学生

当時のPC。3Dゲームは殆ど動かなかった。

さて、小学生に上がる頃だったか、ipodshuffleを頂きました。元々PCには常に触らせてもらってたので、自分でCDを取り込んだりiTunesで買ってみたり。買ったのはSuperflyのタマシイレボリューションとかHASYMOのrescueだったかな~。YMOのアルバム UCYMOをリピートして聞いたことでテクノポップ熱が。小学2年の風邪を引いた日に鉄道の趣味と相まってCD「テツノポップ」を母から頂きました。

さて、この頃になるとパソコンもwindows7がデビューした頃ですね。我が家にも新しいPCと父の仕事用XP,私のお遊び用2000(2歳児が噛んでボロボロにしてしまったが、ワコムのスタイラス付きVAIOだった、惜しいことを...)を交換し1台にまとめることに。私も段々と親の許しを得て元祖メタバース、ミートミー(トヨタメタポリス)やハンゲーム等にのめり込むのですが、当時習い事としてスイミングスクールに通ってまして、その時のお友達に勧めてもらったのがニコニコ動画
「おもしろい鉄道音MADがある」と、途中下車シリーズを軸に漁り始めた。アカウントを作ったのは9~原宿の頃で、もう少し早く父親からメルアドを借りれれば住民票が9だったのになと思うがこれが私のもう一つのルーツかもしれない。
この頃の音MADと言えばやはりアニソンや音ゲー曲を軸としたものが定番だ。あまりテレビを見なかった私はニコニコ動画からすべての情報を得ることになる。もちろん、この辺りでボカロを知るのは言うまでもない。地元の学校にはオタク仲間もおおく、定期的に校内放送がボカロオタクに占領されるほどなので、第二期ブームまではしっかり網羅してるつもりだ。
そして、3年生にもなるとついにipadを手にし、ちょうど学校の勉強や交友関係がうまくいかなかったのもあってネットに完全に呑まれる

学校から家に帰ればドリフトシティとニコニコ動画な日々を過ごした。家からはそんなに出なかった。まだ全動画がipadで見れない歯がゆさを感じながら寝転んでiPadを触ってたそんな時、3歳児の頃の記憶がふとよぎった。
音MADにてDDR曲が流れた。今の今までAC音ゲーとは無縁だったが、ふと思い出してしまったのだ。DDRを。
そして調べた。使いづらいsafariで。ゲーセンを。ラウンドワンを。
父を誘った春。ゲーセンにあったのは2013にアップデートされたばかりのDDRだった....

音ゲーキッズ、爆誕

当時のリザルト。まだ4曲設定が出来た頃ですね
基本的にDDRの選曲は過去の2ndの記憶と音MADで多用された曲に引っ張られた

ゲーセンに一度足を踏み入れてから、父も元々BEMANIプレーヤーであったため毎週遊びに行くことになった。jubeat、リフレク、DDRの3機種を軸にニコニコで聞いたことある曲や、DDR2ndでやったような版権曲、NAOKI曲を軸に遊びまくった。
結果、ユーロビートやハーコーを覚えた。覚えてしまった。何せ車オタクでもあったのでイニDとか電車でDの話も友人とするし...。
この頃のリザルトをipadから掘り出してみると、NAOKI曲がかなりの割合を占める。jubeatではThe 4thの2人やdj taka、Y&Co.など。Engraved Markは名曲なのだ.....
家ではお年玉からPS2(自分用。先の初期型はこの時なくなっていた)と今でも現役のREGZAを買い、父親に勧められたアーマードコアやDDRを遊ぶ。
何よりも初代beatmaniaシリーズをとにかくやりこんだ。
4thまでは父親が持ってたし、他作品もたまたま友人が持ってて、とにかくひたすらやっていた。結果5鍵曲をたくさん覚えてしまった。おまけにスポッチャで初代やる異常者になった。あと近場にⅢfinal置いてある店があるので….

Googleフォトから発掘した動画。まだゲーミング○○文化がない頃なのにスピーカー、光ってます

あと同時期には自作PCも手にし、FPSを遊ぶようになった。おまけにロジクールの安いスピーカーを手に入れる...そこそこ低音が出た。
そうするとyoutubeでEDM(かなりシャバめなもの)、NCS(特にダブステップ、ハードスタイル枠)とか漁りだしてしまうもので....。
中学生になったころにはすっかりオタクなオタクになってしまった
Beatmaniaにも手を出し、PENDUALのサントラを闘会議で手にしてからはラフスケのキックを学校の昼食時に掻き鳴らすイカレマンになってしまった。
以来Notebookrecords系の楽曲は少し早めにdigっている。
実はこの辺りでちょっとDJに興味があってNumark idjlive2を手にするのだが、使い方を教えてくれる人がいなかったので適当にipadで作った曲をながして暫く寝ることになる。MU2020のあの夜まで....

余談ではあるが、当時のDDRと言えば新筐体、白筐体の入った時期だったがあのパネルは非常に硬く、当時の私が全体重をかけてもフリーズアローが抜ける程だった。ので出先では筐体を選びまくってたしその癖で今でもX筐体が好きな節がある。唯一トライアミューズメントタワーの白筐体は手が入っててマシだったな…..

もしかして、アニオタ全盛期!?

俺が語らなくとも本が語ってくれている。

結構この遍歴、ipadのGoogleフォトで自分のスクショを追って書いているのだが、中学生の頃のipadを漁るとごちうさと始めとしたアニメのスクショが多い。思春期真っただ中というのもあるのだろうが、最近アニメを全然追ってないことを考えるとニコニコで無料だったアニメ全部見てる勢いだったこの頃が一番オタクだったかもしれん。
プラスティック・メモリーズには心打たれ、ボカロオタクとしてはミカグラ学園組曲のアニメ化は嬉しかった。ビートストリームでプレイするのが楽しかったなあ....
他にもアニメ遊戯王シリーズに触れだして、後にロックっぽいサウンドをSpotifyで聴くきっかけになったりしているので、思春期の貪欲さにはただただ感動する。


音楽と言えば、チュウニズムがこの頃稼働開始。BMSにも軽く触れてたのでビックリしたし、ニコニコ系楽曲が堂々と表に出てることに本当に驚いた。
そんなある日、鉄道系イベントでニコニコを勧めてくれた友人に久々出会う。なんとその友人も音ゲーにドハマりしていたどころか、ハーコー辺りのクラブサウンドにドハマりしてたのだ。後にこの友人はマキナを作りまくるのだが、まだハッピーハードコアを書いていた。
そうして、音ゲー談話の末重たいキックの弐寺の方々を教えて貰うと、これにはまってしまう。特にBreaking the ground
サブで湾岸ミッドナイトもやっていたのでDnBやトランスも好きだったし、なにより中学生の頃の私はEDMキッズだったのでZedd、スクリレックスが大好きだった。そこにハーコーが入ってしまう。
そうすると.....必然的にハードコアタノシーの面々にたどり着く。まだ弐寺にちらほらといった感じだったが、このタイミングで結構曲を漁った。キッズだったのでもちろんUSAOKobaryoが好きになった。重たいキックが好きなんでMyosukeも気に入ってた。Devil's Gear。あとcopuraだとmaozonのDPS。大好きです

中学生の後半の方(あばうと)、ふと友達にアニメ見ないかと誘われたのがアイドルマスターシンデレラガールズ。デレステもまだ始まったばかりの頃だったのだが........秋葉原のコラボカフェに連れてかれたとき火が入ってしまた。後に両親や友人を巻き込んでしまうほどに。
思えば、ニコニコである程度「アイドルマスター」を知ってた上にキャラ・曲の幅が広いのでハマるのは必然だったかもしれない。

1つ、手元の写真で覚えてないがニコニコ超会議2016にて私はボカニコナイトの会場に行っていたようだ。DJに興味があったと少し触れていたが、楽曲熱はかなりあったのが分かる。cosmoさんかその辺りだったかな…
他にも闘会議でBEMANIライブを観ていたりと、音楽は大好きだった。
そしてDDRがDDR Aへバージョンアップ。EDMキッズには堪らないラインナップだった。あと伝説のクソゲー「フィギュアヘッズ」に手を出している。あとイヤホンにも拘りだした。

高校生~今 スマホとSpotifyを手にしたオタク君

中学3年間を支えた部活道具、ラケットケース。オタク全開である。卓球部なので

さて、フィギュアヘッズに完全にドハマりして音ゲーから音楽成分を摂取して育った高校生。流石にipad一本だと制服と相性が悪いので秋葉原で適当にSIM無しスマホを手にした。そしてSpotifyを契約するのだが......
Spotifyが完全に音楽体験を増やした。当時はDJソフトのdjayでも使えるので家で少し遊ぶこともできたし、通学時間にEDMを流しまくるアホが出来てしまった。当時ハードスタイル熱が高くNIVIRO、Atmozfears、Psyko Punkz辺りを聴いていた。オタクとしてはアイマスの蒼の系譜にドハマりし、ボカロとEDMとしてはEXITのボカロEDMや雄之助曲、かめりあ辺り。かめりあ経由でThe Night Away MKRemixなる名曲を知る。周りにEDMキッズしかいなかったのもあるがとにかくその手の雰囲気は大好き。

当時のプレイリストはこちら

そんな高校生活で避けて語れないのがゲーセンだ。
高校の立地は良いとは言えず、駅までも距離があったのだが、その間に音ゲーを幾つか置いてあるゲームセンターがあった。知ってる人は知ってる
機種としてはbeatmania、jubeatリフレクSDVXとセガ系各種であったが、高校生活の始まりと共にDANCERUSH STARDOMが稼働を開始した。
ダンスラはEDMキッズで音ゲーマーでDDRerだった私に本当に合い、そのゲーセンにDDRが無かったこともあって完全にメインがダンスラとbeatmaniaに固定される。ここが第二のクラブミュージックに近い、原点のうちの1つと言えるだろう。
しかし、音ゲーマー友達が高校では増やせたらいいなと思っていたが、悲しいことに高校の仲間達はチュウニズムとマイマイから離れなかった。
どう勧誘しても、そもそも一般的学生はオタクだろうとアニソンなどの版権曲以外の音楽に触れる気がなかった、音楽を開拓する趣味があるわけがなかったのでコナミ系音ゲーには連れて来れなかった。悲しいね
星と翼のパラドクスにも友人を勧誘することは出来なかった。せめて最初からPvEや2人モードがあれば…..



 そして時を同じくしてBeatmaniaに曲が入ったのをきっかけとしてYUC‘eさんを知る。少し知るのが遅くはあったがFUTURE CORE系の楽曲はとっても刺激的だった。遅いと言えばPa's Lam Systemさんも京成スカイライナーのCM経由で知ったり。
あとはBMSやSDVXの影響でSchranzに興味が。中でもSpotifyで聞けるものとしてChambarisingとSchranz Cafeを挙げたい。
2019年にもなるとかなり今と傾向が似てくる。MEGAREX系にも手を出し、teddyLoidやDJ'TEKINA//SOMETHING、SPACELECTRO、HoneyComeBearを聴く。Spotifyでそれらを聴く習慣ができたところで、ついに高校最後の年を某ウイルスのせいで吹っ飛ばし、退屈な家の中でMU2020を体験することになる。

きっかけはkzさんだ。やはり私はニコニコのオタクなので、kzさんの曲は聞きたい。と。そしてちょうどbeatmaniaに曲が入ったDÉ DÉ MOUSEさん。なら配信を覗いてみるかと。DJは知らないが、直前で3月に中止になったんじます3」というイベントやイノタクさんのお陰でMOGRAの存在は知れていた。ここでんじますについて触れると、アイマスの二次創作、楽曲のリミックス、アレンジといった方向で深くアイマスのコンテンツを楽しんでいるライブイベントである。特に第二回ではゴリゴリのメタルからDJ、ジャズと幅広い音楽にアイマスの好きを極めた人達のパフォーマンスを1度に楽しめるイベントだった。んじますをまた今後観れる機会はあるのだろうか…
そしてMU2020の放送では、ベランダからサンプラーとシンセを轟かせ、家からアンセムを流し、そこからイラストレーターの配信に吹っ飛ぶまで音楽の自由さについて楽しむことができた。そしてなにより、関わっている人の熱意と楽しさを感じられた。あれを見て私は押入れにしまわれていたidjlive2を引っ張り出し、discordのsleeplessサーバーで練習の末あの「ヴ2020」にて初めて大衆の前で音を鳴らした。
正直あの時はみんなが面白いことしてるなら俺もやるぞという熱意だけでで動いていた。ipadからモノラルで出力し、使えるものをすべて使い、今までの私の聴いた音楽で戦った。楽しかった。

以来私はあの日見たMUに寄せつつ、コンピューターミュージック、特に長く触れたDDR等の音ゲー楽曲を主軸としたDJをするようになった。たまにアイマス楽曲も混ぜるし、VtuberもMU以降色々な界隈を見るようになったので使える曲を使っていく。
しかし、まだ私は自分が触れられる全てをDJでできたとは思っていない。特にロックサウンドに関してはあまり触れていないが、最近のVtuberシーンでも非常にかっこいい楽曲が生まれ(PolarisNoxさんの「溺れる星と沈む夜」、memexさんの「欺いたままで」等)、それらに触発される形でどこかで広めたいという熱がある。
逆にかなり大衆的な、オタクやクラブに長くいる人に吹っ飛ばすと白けそうなレベルにシャバい楽曲なんかもやってみたい。あくまで刺さる層が居ればの話ではあるが.....

まとめ

よく考えたら削除した動画を覗くと最古の投稿が7年前。怖いねえ

さて、私のどうでもいい自分語りが割と大半含めてしまって申し訳ない気持ちもありますが、このようにして巷で35歳と噂される謎の選曲をするDJが出来上がりました。
やはり大きな所はDDR,beatmaniaを始めとする音ゲー曲。そしてテクノポップヲ始点にしてなんかインターネットで漁って辿り着いたクラブミュージックの類。これが僕のかなりの割合を占めてます。
でもDJでできないものとして、少しロックめなとこもやりたいよねって感じです。特にBatsuさんを見ると毎回尊敬してしまう。自然にそういうとこ繋ぐもん…
曲としてはアイマスの同人系で火が付いた重めのメタルも、アニメ系を軸とした近代のロックサウンドもやりたいねぇ….ここですら語れてないけど有形ランペイジとGYARIさんが好きです。

見ての通り割と音楽に関して雑食かつ所々浅めなとこがありますので、アンテナ貼りつつこれからもdigを進めていこうかと思います。もちろん宣伝大歓迎です。

最後になりますが、大体これを揃えておけば僕が勝手に死ぬ、今までで名前を出したであろう曲達が沢山入ってるこのnoteの補完ともいえるリストを置きます。よかったらどうぞ。長文ご覧いただきありがとうございました。




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