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【2020年note初め】「自分の基準を持つ」ということ

遅ればせながら、明けましておめでとうございます。
本年も、どうぞよろしくお願いいたします。

さて、今日からぼちぼち仕事を再開しているのですが、なんだか今年の年末年始はいつになく充実した時間を過ごせたので、2020年の年初の心境について記録がてら、今年初noteとして綴ってみようと思います。

この年末年始は友人を自宅に招いたり、お笑いライブを観に行ったり、実家に帰省して家族や親戚とゆっくり過ごしたりなど、存分に休暇を楽しむことができました。

なんだか無性に鍋にハマり、実家では鴨鍋を振る舞い、友人を招いた際は鶏の水炊きをしたり、ブリしゃぶをしたり。
ブリしゃぶの残りの汁で作った炊き込みご飯は本当に美味しかったなあ…!!

そして、Twitterでちびちび呟いていたのですが、思い切って「時間が無限にあったらやりたいこと」をとことんできた休暇でもありました。

私が時間が無限にあったらやりたかったことは…
・夜通し映画鑑賞
・小説を読みふける

「ただ怠けているだけじゃないか!!」と突っ込まれたらそれまでなのですが(笑)、いつもは「夜通し映画鑑賞したい!!」と思っても、翌日のことを考えたらなかなかできないものですし、大好きな読書に関しても、いつもは情報収集のための読書になりがちで、どうしても仕事に役立つ実用的なものばかりになってしまい、純粋に小説を楽しむ時間が作れなかったりします。
(特に、フリーランスという働き方ゆえ「時は金なり」なので…)

しかし、昨年は自分なりに「今年は頑張ったぞ!!」という達成感があったので、いっそのこと大いに遊んでみることにしたのです。
もちろん、昨年の反省点や自分の未熟な点を挙げたらキリが無いのですが、ある程度のところで自分で自分を認められないと、いつまでたっても心から時間を楽しむことできないと思ったのです。
私は、昨年末の時点で、独立してからようやく自分をある程度認められるようになりました。(一昨年は、まだまだ達成感も自信も持てなかったので、年末年始は慎ましく過ごしていました。笑)

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そして、このように久しぶりに思いっきり遊んでみて、気付いた事があります。

2020年1月時点の私は、「自分の基準」というものを、しっかり持てているなと。

逃げるように会社を辞めて、食の仕事に転向しよう!と決断した時は、自分に何ができるかも分からなかったし、何をやりたいかも見えていませんでした。そして、漠然とした「料理を仕事に」という気持ちばかりが走り、食や料理について自分の価値観や考えを述べることすらできなかった。

そこから紆余曲折あり、現在は日本酒と発酵食を軸に料理家として生計を立てられているわけですが、それでも昨年は5月頃に少々迷走してスランプになり、原点に立ち戻って「自分はどう生きたいのか」と考える日々でした。

人一倍自由に生きているつもりが、「料理家とはこうあるべきだ」という考えにとらわれて自分を見失ったり、「もっとレシピを量産しなければ」と思いながらも実行できない自分が後ろめたかったり、周囲からは「youtube始めた方がいいよ!」と言われることも多く、発信方法について悩んだり。
結局は、自分と人を比べたり、スピード感を持ってみんなに追いついていかなきゃと焦っていたんですよね。

これに関しては、昨年末のnoteにちらっと書きましたね。
自分の考え方や生き方の基準がしっかりとしていないと、迷った時に表面的な思考になり、迷走してしまいがち。

そして、前置きが長くなりましたが、この年末年始に思いっきり遊んでみて気付いたことは、自分には「野心」というものがあまり無いということです。
とても偉そうに言えたことではないのですが。笑

これは前々から言っていることですが、自分の価値基準はどこにあるのかと考えると、「成功をおさめたい」とか「のし上がりたい」とかではなく、ひたすら「楽しく生きたい」なんですよね。
で、じゃあ楽しく生きるためには何を実現したいのか、と自分に問いかけながら、今日も生きているというわけです(自分でも恐ろしいくらいの単純思考)。

約束を守ることも、継続することも、努力することも、人に親切にすることも、全ては自分が楽しく生きるため。

冒頭に「充実した休暇を過ごせました」というようなことを書きましたが、はたから見たら決して充実した休暇の過ごし方ではなかったかもしれません。カウントダウンのライブやイベントに行ったわけでもないし、帰省以外は大して出かけてもいないし。

でも、私にとっては心から充実した毎日だったのです。
強がっているわけではなく(笑)、何を楽しいと感じるかはその人次第。

しっかり大掃除して、神棚のお札や破魔矢を新しいものに変え、星新一の小説でSFの世界にどっぷり浸り、ヒッチコックの映画で人間の狂気にゾクゾクし、藤子不二雄Aのブラックユーモアにヒヤッとし、新宿でタガメ酒を嗜み、おせちは作らなかったものの、腹をくくって鍋三昧。お雑煮もたくさん食べたし、お漬物も美味しかった。

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SNS全盛のこの時代、周りの「充実してそう」な雰囲気にとらわれて、本当に自分が心から楽しんでいる瞬間って、意外に少ないのかなという気がします。
SNSにたくさん投稿するということは、それだけスマホの画面とにらめっこしている時間も長いということでもあるし、私は最近はSNSに使う時間を限定しています。

流行を基準にして洋服を選んだり、食べるものを選んだり、旅行先を選んだりするのも楽しいですが、今の私は本当の意味で「自分の基準で」あらゆる物事を取捨選択できるようになったのかなと思います。
少々暴論かもしれませんが、「野心」というものが人との比較論の上で成立するものだとすれば、私は野心が無いのだと思います。

「本を出したい」という気持ちは今でも持っていますが、急いで出そうとせず、自分らしく生きていった先に、「本を出す」という結果があればいいと思います。とは言え、決して弛まず、怠けるのではなく。(なんなら、より一層努力するべし)

人生は、取捨選択の連続。
自分らしく生きるということは、あらゆる物事に対する自分なりの基準を持ち、選択することができることなのかなと思います。

ちなみに、このように思えるようになったきっかけは、10月に敢行した一世一代の断捨離。仕事が一段落して少し時間ができたので、部屋を隅から隅まで大掃除し、猛烈に断捨離したのです!!

そう、今までは部屋を散らかした状態で「もっと広い部屋に引っ越したい!!」と夫に文句ばかり言っていたのですが、文句を言っても始まらないと思い、重い腰を上げて3日間に渡る断捨離で部屋を丸洗いしたのです。

すると、使わないものが出てくる出てくる。
冷蔵庫には中途半端に残った調味料や加工食品が山ほどあり、タンスには今後着ることがないであろう洋服が詰まっていたり、本棚は必要のない書類ではちきれんばかりにパンパン。

いらないものを手放してみると、「本当に必要なものってそんなに多くない」ということに気が付き、あまり物を買わなくなりました。
「youtubeやったほうがいいよ!」という助言も、ありがたいのですが、あまり発信のコンテンツを広げすぎるとどれも中途半端になってしまう気がして、慎重に考えていきたいと思います。

そして、今までは自宅にいるのがあまり好きじゃなかったので(散らかしている自分が悪い)必死に外に出かけていましたが、断捨離してから自分の部屋が大好きになり、自宅にいる時間が増えました。もっと好きな部屋にしようと家具や照明を変えてみたりして、どんどん理想の部屋に近づけていくのが楽しい。

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映画「人生フルーツ」で印象に残っている言葉。

「むかし、ある建築家が言いました。
家は、暮らしの宝石箱でなくてはいけない。」

こんなふうに、自分の基準や、自分の人生とって大切なことを見つめ直せた、年末年始なのでした。
今年も精進するつもりですが、時には寝る間も惜しんで無我夢中に仕事に取り組み、時にはゆっくり自分と向き合い、緩急をつけて過ごしていきたいです。

何より、かれこれ11年の付き合いになる夫は親友のような存在で、かけがえのない一番の理解者。そんな夫と元旦は大喜利対決をして遊んだり(笑)面白かった本や映画や音楽を共有したり、毎日が修学旅行のようで楽しいんですよね。笑

モノやサービスが溢れている今の時代、断捨離したことをきっかけに、「必死に新しいものを作る必要は無いのではないか」という考えに至ったのも大きな心境の変化です。今以上の便利さを求める世界には、自分は身を置かなくて良いかなと思います。

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最後に。
私はロックンロールが好きなのですが、THE HIGH-LOWSの「即死」という曲の「何が正しいか知らない 何が楽しいか知ってる」という歌詞が大好きで。

自分が好きなものを自分で分かっていることは最強です。これからも、楽しいこと、心動かされることに身を任せて、生きていきたいと思います。

あれ?結局いつも言ってること同じだ。

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