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ライターは書くことが仕事だと思っていました。

ライターは書くことが仕事だと思っていました。そうではないんだということを書きます。

第8回講座を終了しました。ライターは、書いてその内容を誰かに届けるのですが、もっと深いことがわかってきています。

話すことが苦手で、書くことの方が楽であると思っていました。それは自分だけで完結したり、SNSなどで発信することにおいてなのでしょう。一旦それが仕事となり、クライアントを介して依頼されたものであるならば、ちょっと様相が変わってくるのです。

もちろん仕事として、話すことと書くことどちらを選ぶかと聞かれると、即座に書くことを選ぶと思います。やはりそちらの方が性に合っているからです。ただ、そこから先、書くことを仕事にするということは、重厚感とか責任感がでてくるのですね。

その重厚感は何なのでしょうか。書くことの先には必ず相手がいて、そのまた先にも相手がいるということ。そして、その相手の心を動かして行動させなければならないということ。誰かが行動した先に、経済が動くことが目的になっていることが多いということ。

責任感とは、必然的にお金が動くことでクライアントを満足させなければならないということでしょうか。クライアントが満足するということは、書いた文章により行動があって、集客につながり利益がでるということです。かなり自分が書いた文章に責任をもたなければなりません。

そのためには、クライアントが何を望み、読み手が何を求め、自分が書いた文章のゴールはどこなのかなどを推察し、見極める力が必要なのだと思います。そして、クライアント、編集者など周囲の人との協力も欠くことはできず、一人でするものではないのです。実はコミュニケーション力も必要なのです。

どんな仕事かによっては、内容が異なるため、いろんな知識がないといけません。もしなくても、下調べをすることで何が必要で、何を書かなければいけないかを判断できる力もいります。取材が必要なら、相手が何を言いたいかを読みとる力、そしてここでもコミュニケーション力が必要です。

これらができる人、備わっている人が、信頼を得て仕事も依頼するに値すると評価されるのでしょうか。

いろいろわかっていたようで、やはり実際にライターという職業を本当の意味で知らなかったのです。(本当の”本当の意味”で知るのはライターになった時ですが。)前半の講座でも少なからず感じていたのに、後半にはいり、改めて実感がわいてきました。

12回ある講座がすべて終わるまでには、何回もこうやって確認をするのでしょう。そうやって書くことへの重厚感と責任感への意識を積み重ねていきたいです。最後には、ライターの仕事をしていますと胸を張って言えることへの期待感に変化することをイメージして残りの講座を受けようと思います。

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どの仕事もそうであるように、「パン屋さんはパンを作る仕事です。」だけじゃないのは当たり前なわけで、だから一つの世界にいたのではダメなんだと思う。


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