学歴について

「大学は勉強したい人がいくところ」
そう思って、やりたいことが無い自分は行くべきじゃない、と。自分の知りたいことは既に世の中の誰かが研究されているはず。だから独学で学べるはず。もし、まだ研究されていない領域まで突き詰めたら、そのときに大学へ進学しよう、と。
そんなふうに思って私は大学進学を『やめた』。

でも、いまや大学全入時代。
行きたい人が行けばいい、そんなふうに思うこと自体が古いのかもしれない。

かつては高校が「勉強したい人が行くところ」であったように、大学も時代が変わるにつれ「勉強したい人が行くところ」から「行かなくては社会から見放されるところ」になるのかもしれない。

では、みんながみんな大学に進学するようになったらどうなるのだろうか。

いまもあるように、Fランと呼ばれる大学が確実に増える。
そういった人たちも『大卒』と呼ばれるようになる、つまり『大卒』の価値が下がるのだから、賢い人たちは大学院まで進むことが増える。
大卒の価値が下がり、大学院進学率が上がると企業の『院卒』採用枠は今よりも増えるだろう。
結果的に、「勉強したい人が行くところ」が大学院になるが、そういった人たちも、企業の採用枠が増えたことによって今よりは安心して進学できるようになる。

全体をみると、平均教育年数が長くなる。
それに伴い、教育水準も上がり、研究力が増すのではないか。

うーん、良さそうに思える。

「賢い人のための大学」から
「みんなのための大学」へ

そう考えると、いまの私学にも奨学金を出すという政府の方針にも納得がいくな、なんて思った今夜。