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エッセイ的な

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僕が日々何をしているのか、何を考えて過ごしているのか、まるで小説を書くような文体で書いてみようと思います。興味あるかわからないけれど。
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2024年3月の記事一覧

429.小説みたいな文章を書く方が性に合っている

ここ最近、小説のような文体でnoteを更新している。 今まではいわゆる「ですます調」の記事っぽい感じで書いていたけれど、そもそも元来、僕の文章スタイルは非常に小説的である。 当たり前だ。 初めて小説を書き始めてから、16年もの月日が経っている。 3年やそこらで学んだライティング能力では覆い隠し切れないほど、自分でいうのも何だけど小説的な文章がどうしても顔を出してしまう。 僕のnoteのトップには「これからnoteを始める人が継続するために」というタイトルの記事をピン留

428.日常に彩りを、いつもと変わらぬ日々に小さなアクセントを

フォロワーの数がそれほど重要ではなくなってきているように感じる。 10,000フォロワーまで増やした僕がこんなこと言っていいのかわからないけれど。 「フォロワー数=影響力」という式はいつの間にか前時代的な発想になってきているのかもしれない。 どれだけ面白くてもフォロワーが少ないアカウントもあれば、なんでこれがこんなにいるんだと思うほど謎にフォロワー数が多いアカウントもあり、それらはnoteに限らず各SNS上で混在している。 無論、多いに越したことはないと思う。 影響力が

427.noteで人間味は伝わるのか?情報発信マンになっていないか?

作家というのはとても厄介な生き物で、とにかく書いた文章を多くの人に見てもらいたい、でも頭の中を直接覗き見られているようで恥ずかしい、という対極のような二面性を持っている。 書いている内容に関しては、伝えたいことがあるときも、ただ書きたいだけのときも、リアクションを求めているときも、そんなものはまったく求めていないときもある。 つまり、面倒くさい。 正確にいうと、僕は「作家という一面がある」という表現が正しい。 たまたま電子書籍を出さないかと声がかかって電子出版しただけ

420.自分のすぐ足元に奇跡は散らばっている

2018年のメモを見つけました。 当時使用していたiPhoneの中に入っていたローカルデータで、必要な情報を探している最中に発見しました。 メモのタイトルは「広島転勤から学んだこと」。 激動だった2017年5月から2018年2月までの自身の出来事から感じた、かけがえのない想いがなぜかメモに残っていました。 自分の文章のくせにやたらと胸を打たれてしまったので、そのメモを読んだ今、2024年3月の自分がどう感じたかをここに書き残そうと思います。 世界は奇跡に満ち溢れてい

416.本当は、気づいていること

久々に、偏った主観を書き殴ります。 反論、苦言も覚悟の上で、書こうと思います。 僕の独り言だと思ってもらっても構いません。 思いが溢れて、溢れた先がどこにもないので文字に転換しました。 もしかしたら、誰しも思い当たりはあることかもしれません。 それは目を逸らしてはならない、まごうことなき現実なのです。 ついつい逃避をしてしまう。 考えたくないこと。 直視したくない現実。 踏み切れない思い。 曖昧な感情。 人間は弱い。 その特性に抗っても意味がない。 ポケモンが進化