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【ショート小説】フラッシュ

 「モテるって表現、まずくないですか」

「え?」

 思いがけない方向からボールが飛んできて、篠崎は驚く。

「何がまずい」

 発言した、若手女性社員の方に目をやる。

「うーん、なんていうか、女性をモノ扱いしている気がしますね」

 入社五年目の女性社員、丸谷はそう言うと、考え込むように首を捻った。

 女性を、モノ扱い?

 全く、想定もしていなかった発想に、篠崎は会議室の椅子からずっこけそうになる。

 うららかな午後の日差しがブラインドの隙間から差し込む、とある出版社の会議室。

 テーブルには、5月に出版する定期刊行雑誌の、「腹筋」特集のアイディアが並んでいる。
 夏になる前、5月の「腹筋」特集は毎年恒例で、今年も「腹筋を割る」をメインテーマに据え、表紙に持ってくる予定だった。腹筋がバキバキに割れた男性モデルが、自身の筋肉がよく見えるよう体を捻った写真の上に、『モテたいなら、腹筋を割れ』という文字が乗っていた。

 これの、どこが、「女性をモノ扱い」しているのかさっぱりわからず、篠崎は苦笑いする。

 しかし、多様性の時代だ。あらゆる方向から飛んでくるボールに、対応しなければならない。新しい時代にもついていく、そんな上司でありたい篠崎は、あくまで柔らかい口調で、丸谷に尋ねる。

「なんで、『モテたいなら、腹筋を割れ』が女性をモノ扱いしてることになるのかな」

「モテって言葉そのものに違和感があるんですよね。女性って、腹筋を割ったり、二の腕を鍛えたくらいで、その男性を好きになったり、興奮したりするような生き物じゃないんです。もっと、複雑なんです」

 男はそうだとでも言いたいのか。内心、篠崎は反発する。胸が大きいとか、お尻が大きいから好きになったり興奮する、単純な生き物だとでも言いたいのか。が、理解のある上司として振る舞いたいから、黙っている。

「女性を小馬鹿にしてますよね。女性なんか、腹筋を割ったり、二の腕を太くするくらいで、簡単に自分のモノにできる単純なものとして扱ってる気がします」

 丸谷が話し終えたので、篠崎は頷き、理解があることを示しながらも、やんわりと言う。

「うちの雑誌は、30、40代の男性がターゲットじゃない。つまり、女性はそもそも読者として想定してないわけ。つまり」

 まだ話は終わっていないのに、丸谷が噛み付いてくる。

「でも、うちの雑誌、コンビニにも置いていただいてますよね。女性だって、目にする可能性がある。女性が、この表紙のコピー『モテたいなら、腹筋を割れ』を見た時、ああ、馬鹿にされてるって、傷つくと思うんです」

 誰か、たった一人でも「傷つく」可能性があるものは、世に出してはいけないのか。大部分は気にも留めないようなものを、ほんの数%の人間が気にするからと言う理由で、差し止めなければいけないのか。それこそ表現規制じゃないのか。

 脳裏に浮かんだ言葉を掻き消し、篠崎は丸谷に尋ねる。

「じゃ、君は、どうしたらいいと思う」

 てっきり、自分の意見はなく、ただ「気になる」と言う理由で反発してきたのかと思ったが、丸谷はスラスラと答える。

「モテって言葉は消して。女性なんか関係なく、あくまで、男性が、自分のために腹筋を割るって感じの表現がいいと思います」

 篠崎は、表紙になっている美しく腹筋が割れたモデルの男を見る。この男だって、もちろん、自分の体の美しさのためにやっている部分もあるだろうが、少なからず、マッチョになって女にモテたいと言うモチベーションがあったはずだ。

 そもそも、この特集号を買ってほしいターゲットは、現時点では腹筋が割れておらず、ダルダルの腹をしていて、こんな雑誌を買ったくらいで腹筋が割れて、女にモテるようになると思うような、夢見がちなちょっと頭の軽い男だ。
 そんな男のモチベーションなど、「女にモテたい」以外、ありえない。それを否定したら、この号の意義、そのものがなくなるのではないか。

 篠崎は一人、考えを巡らせるが、他の若手社員たちも、まるで丸谷の意見が正しいとばかりに、頷いている。せめて、男性社員はわかってくれよと視線を投げるが、みんな意味深に頷いている。

 篠崎は半ばムッとして、言う。

「自分のために腹筋を割るって、どういうキャッチにするわけ。『俺による、俺のための腹筋』みたいなタイトル? かなりナルシスティックじゃない。この表紙の意味も変わっちゃうよ」

 表紙のモデルの男は、腹筋を見せるためにかなりズボンを下げていて、今にも下の毛が見えてしまいそうだった。そんな写真の上に、「俺のための腹筋」なんて言葉が踊ったら、気持ち悪くないか。だけど、丸谷は、

「そっちの方がずっといいですよ!」

 と瞳を輝かせる。

 こいつ、入社した時、こんなんだったっけと、篠崎はぼんやり考える。

 入社した時は、判で押したように黒髪ロングを一つに束ね、安いリクルートスーツを着、膝丈のスカートを居心地悪そうに引っ張って、細っこい足を見せつけていたじゃないか。
 自分の意見なんかあるようでなく、会議でも「それで、いいと思います」と、怯えたように頷くだけだった。それが、どうだ。わずか5年でこんなふうになるか。

 丸谷が、満足げにかきあげた茶色の、ウェーブした髪を見る。万年「明日からダイエットします」と言っていたのに、顔はすっかり丸くなり、とっくにスカートなど卒業して、最近ではベージュのパンツしか履いてこない。

 丸谷だけじゃない。周りの、若手の男たちも。何かが、変わった。
 いつからだろう。

「そもそも」

 丸谷の変貌について考えていたら、若手男性社員の一人が、手を挙げたので篠崎は驚く。ひょろっと痩せた、いかにも体力がなさそうな二十代前半の男。蒼井颯太だった。

「腹筋って、割れている必要があるんでしょうか」

「は」

「いえ、あの」

 蒼井は、居心地悪そうに椅子の上で尻をモゾモゾさせながら、言う。

「腹筋が、割れている方がいいみたいな発想って、もう古くないですか」

「え、じゃ、何。ブヨブヨのビール腹が、タプタプ揺れてた方がいいっていうの」

 自分で言いながら、篠崎は思わず笑ってしまう。現に自分がそうだから、ふざけて膨らんだ下っ腹を叩いて見せる。

 しかし蒼井は、迷いなく、

「はい」

 と頷く。

「いやいや、それはない。流石に、それはない」

 顔の前で激しく手を振りながら、こんなことまで説明しなくてはならないのかと、篠崎は内心、呆れている。多様性とか言ってるうちに、常識だとか、当たり前の知識まで、蔑ろにされてしまう気がしてきて、怖くなる。

「腹筋が割れてるってことは、要するに、筋トレをしてるってことでしょう。筋トレは、体にいいんだよ。筋肉があると、全身の代謝が良くなるの。代謝が良くなると、ちょっとした運動でも、消費カロリーが上がって、痩せやすくなる。それに、年取ってからも、筋肉があると、骨折しにくかったり寝たきりにならなかったりして、健康にいいんだよ」

 女にモテるには。出世するには。デキる男になるには。

 そんな特集をしてきた雑誌で長年働いてきた篠崎だったから、筋トレについての知識はかなりついていた。年に一回、夏になる前、5月号の特集になるのが定例だった。
 実際、読者にモニターを募り、ぶよぶよに太っていた男が、篠崎の雑誌の特集のおかげで、腹筋がつき、自分に自信がついて、人生が変わったと言ってくれたことを思い出す。
 これまで積み上げてきたものを、何も知らず、想像ばかりでものを語る若手たちに潰されてたまうかと、篠崎は思わず熱くなっている。

「筋肉は正義。これだけは間違いない。ルッキズムとか関係なく。筋トレを否定するのは、さすがに間違ってる」

 熱くなりすぎたかと、ちょっと恥ずかしくなって、

「俺が言えた立場じゃないけど」

 と、腹を叩いて笑ってみせる。が、蒼井は、なぜか憐れむような微笑を浮かべて、言う。

「篠崎さん。そんなふうに、今の自分を否定するのって、辛くないですか」

「は?」

 蒼井は、篠崎を慈しむような優しい目で見つめながら、言う。

「腹筋が割れてない自分がダメで、腹筋が割れているこちらの男性は良い。そういうの、辛くないですか。もうやめませんか」

「いやいや。待て待て」

 篠崎は、蒼井の哀れみの視線さえも癪で、振り払うように顔の前で手を振る。反論しようとすると、

「蒼井くんの言うとおりですよ」

 すっかり顔が丸くなった丸谷まで、意見を被せてくる。

「こうあるべき、みたいな理想の姿って、人それぞれでいいと思うんです。女の人だって、痩せている姿がいいって、もう古いじゃないですか。それと一緒で、男性も、こうあるべきみたいなの押し付けるの、やめましょうよ。マッチョは良くてデブはダメ。そういうの、私たちみたいなメディアが真っ先に止めるべきです。そうしたら、学校でのいじめとかもなくなるかも」

 丸谷は言って、満足そうに、ふっくらしたほおを膨らませた。

 いじめ? どうして、腹筋を割る特集から、いじめの話にまでなるのだ。篠崎は頭がクラクラしてくるが、周りの社員たちは、うんうんと頷いている。

 誰か、自分に同意してくれるものはいないかと、あたりを見回す。だけど、かつて一緒に「腹筋特集」をやってきた同僚たちは、今はもう、この場にいない。

「あと、前から気になってたんですけど、時計の広告も、もうやめませんか」

 男性社員の一人が、先週、発売されたばかりの号をパラパラめくりながら言う。

「そうそう。時計が高ければいいって言うのも、もう古いよね」

 女性社員も、自分も参加して作った雑誌であるにも関わらず、バカにするようにしてめくりながら言う。周囲の勢いに励まされたように、他の社員たちも一斉に口を出してくる。

「あと、デキる男の十ヶ条ってありますけど、デキるってかなり主観的な評価ですよね。デキる社員って、周りに嫌われてたり、家庭を顧みなかったりして、幸せじゃなかったりしますよね。デキる男よりも、『幸せな男の十ヶ条』にしてはどうでしょう」

「それだと、男だけ幸せならいいみたいに聞こえるから、女性も入れてほしいな」

「じゃあ、『幸せな人間の十ヶ条』にしましょう」

「それだと、人間さえ幸せならいいって感じなっちゃうなあ。うちの猫ちゃんにも幸せになってほしいから。全ての生き物の幸せって感じにしましょうよ」

「あと、この『1本の男たち』って、年収1千万円以上の男性にインタビューする連載ですけど、これももう辞めませんか。年収が高ければ幸せっていう価値観も古いですよね」

「じゃあ、年収四百万円でも幸せに暮らす方法にする?」

「いや、年収って言葉が、なんかもう、下品ですよね。お金で人は測れないっていうか」

「じゃあ、特集自体をやめた方がいいですね」

「あと、この連載、『いつかはクラウン』ですけど、高級車持ってる男性へのインタビューも、もうやめませんか。高級車を持ってるのが良いっていう発想が、逆になんかダサいっていうか」

「じゃあ、エコカーにする?」

「いや。もっとサステナブルな、カーシェアリングの方が」

「そもそも車って必要かな。排気ガスの問題も、交通事故の問題もあるじゃない」

「そうしたら、公共交通機関を使おうって感じの特集にしようか」

 あれこれと、熱く語っている若手社員たちの言葉が、右耳から左耳へと抜けていく。かつて、篠崎が追いかけてきた夢や、情熱を、ことごとく「古い」「下品」「ダサい」と切り捨てていく、若者たち。

 あれがきっかけだった。

 ふと、篠崎の頭にランプが点る。
 コロナ。

 コロナウイルスで、在宅勤務になり、会議を自宅からオンラインでするようになったあたりから、風向きが変わった。

 一緒に「腹筋特集」をやってきた戦友たち。ブヨブヨに太った読者モニターが、厳しいトレーナーに尻を叩かれているのを、一緒になって笑ってきた編集仲間たち。彼らが、コロナをきっかけに、一斉に転職してしまったのだ。

 正確には、まもなくコロナが明けようという頃だろうか。やっとまたあいつらとワイワイやれると、張り切って出社した篠崎だったのに、仲間たちは「出社とか馬鹿馬鹿しくなった」「フリーで編集やる」「ネットで新しいメディア作る」と口々に言っては、辞めてしまった。

 そして、こいつら。篠崎は、会議室に残ったメンバーたちを見る。みんな、若手ばかりだが、彼らもまた、コロナをきっかけに、変わってしまった。

 在宅勤務した数年間で、一体何があったのだろう。かつて大人しく、先輩の意見に従うだけだった若手たちが、今日の会議みたいに、あれこれと意見を言ってくるようになった。

 篠崎と同僚が悪ノリで築き上げた人気特集の数々を、軒並み否定し、まるで幼稚園生みたいな「みんな仲良く」「みんな違って、みんないい」みたいなアイディアばかり出してくる。
 それまで飲み会にも参加し、膝をついてお酌して回っていたはずなのに、コロナが終わってやっと再開した飲み会には、お酌どころか、誰も参加すらしてくれなかった。

 時代は変わる。

 篠崎は、モデルの腹筋の割れ目をぼんやりと見つめながら、思う。いや、コロナによって強制的に変えられてしまったのかもしれない。新しい時代へ、目に見えない力で、強制的に運ばれてしまった感がある。

「これが、私の価値観なんだ」

 まだ、ワイワイと過去の特集を否定している若手たちに向かって、篠崎は声を振り絞るようにして、言う。

「私は、年収が一千万円以上あって、いい車に乗って、いい時計をして、腹筋が割れてる男が、かっこいいと思う。そんな私の価値観を、否定して、いいのかな」

 篠崎の言葉に、若手社員たちが、目を丸くする。

「この雑誌はそもそも、そういう価値観の男のために作られた雑誌だから。そういう雑誌がなくなるってことは、そういう価値観を持った男性たちを否定することになる。それこそ、君たちの言う、新しい価値観とやらの押し付けじゃないのか」

 篠崎は、言ってやったと、満足するが、丸谷が、困ったように眉を下げて言い返してくる。

「誰にも見えないところでやるならいいんですけど。コンビニで、子供や女性も目につくような場所で、そう言う、マッチョな価値観を押し付ける雑誌を出すのは、よくないことだと思います」

「誰にも見えないって、そんなの、もはやメディアじゃないじゃん!」

 篠崎は呆れて叫び、椅子にふんぞり返る。

「あのさ、メディアの役割ってのは、世の中を、良くしていくことなの。良い方向に、思想を先導していくことなの。みんなが、気分良く過ごせた方がいいじゃん。マッチョになって、いい時計持って、いい収入あった方が、みんな気分よく過ごせるじゃない。それを一緒に目指そうって、イメージさせて、夢を抱かせる雑誌の、何が悪いの」

 いつの間にか口調が荒くなっていく。体を捻ったモデルの写真の上に、ボールペンを放り投げている。

「それで、傷つく人がいるのなら、やっぱりよくないと思います」

 若手社員の誰かが、ボソリという。

「じゃあ、傷ついた私の気持ちはどうなるのよ!」

 篠崎は、思わず叫んでいる。女々しい言葉遣いになってしまったが、仕方がない。

「これまで、一生懸命作ってきた雑誌を否定されて、私は傷ついた。私のこの傷を、どうしてくれんのよ!」

 お前らのしていることは、こういうことだと知らしめるために、言ってやる。

「確かに、篠崎さんは傷ついたかもしれませんが」

 蒼井が、ペラペラに薄い胸を抑えながら、言う。

「それ以上に、数え切れないくらいの人が、傷ついてるんです。こういう、マッチョな思想の押し付けのせいで、これまで、どれだけの人が傷ついてきたことか。コンビニで、この雑誌を見かけた、女性、子供。それから、この雑誌の押し付ける価値観と合わない、男性。マッチョが良くてデブがダメっていう価値観のせいで傷ついた男性たち。収入が低い、いい時計を持っていない、いい車に乗っていない男性たち。篠崎さんと、その人たちの傷の総量を比較したら、どちらを優先すべきかは、明らかではないでしょうか」

 まるで過去に自分が傷つけられたとでもいいたげに、蒼井は胸を右手でさすっていた。その薄っぺらい体つきを見ながら、篠崎はもはや呆れてものも言えない。

「ということで、来月号のタイトルは、『ありのままでいよう』って感じでいいんじゃないですかね」

「みんな違って、みんないいって感じでもいいよね」

「でもそうすると、明らかにこのモデルじゃあ、写真が合わないよね」

 不意に、若手社員たちの視線が、篠崎に集中する。もはや、魂が抜けたように放心していた篠崎は、その視線の意味を理解することができない。若手社員の視線は、篠崎のはち切れんばかりに膨らんだ、下っ腹に集中していた。

「いっそのこと、篠崎さんを表紙にしてはどうでしょう」

「私も、同じこと考えてた!」

 若手社員たちが、ガタガタと椅子を鳴らして、立ち上がる。篠崎の腕を引き、立ち上がらせると、ホワイトボードの前へ引き摺り出す。

「ほら、このお腹!」

「そうそう、これでいいんだよ、このままでいいんだよって感じが出て、最高!」

「篠崎さん、ちょっと斜めに向いてください。もっと、腹が出てるのがわかりやすいように」

「腹の上に手を乗せて。妊婦さんへのリスペクトも示しましょう」

 若手社員たちに言われるままに、篠崎は体の向きを変え、下っ腹に手を乗せる。カシャカシャと、スマートフォンのシャッター音が鳴る。

 バシャっと、誰かが取材用の一眼レフカメラのシャッターを押し、フラッシュが光る。

「ありの、ままで、いよう!」

 若手社員たちが、一斉に叫ぶ。

 篠崎は、新しい時代のフラッシュに焚かれて、あまりの眩しさに目を閉じた。 

 (了)

 20枚・2023年5月20日

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