山姥とお坊さんの恋愛譚

 ある寺のお坊さんが、住職から「向こうの山の山姥を封印してこい」とおおせつかった。


 しかし向こうの山の山姥に悪い噂はなく、それどころか彼女に助けられた童もいたという。

 住職からは「その親を含め、皆が気味悪がって近づかぬ。あそこには山菜もたくさんあるし、山姥がいなくなれば皆が喜ぶ」と言われた。

 確かに年齢の若い自分にはあまり納得できない話だが、我々の親世代は山姥の残酷な話を聞いて育ったことだろう。そりゃ一ついいことをしたとしてもその観念を変えるほどの力はないかもしれぬ。

 お坊さんは決心して山に赴き、夜になるのを待ち、山姥のものとおぼしき家を訪ねた。

「ごめんください」
「はい。どなたかしら」
「山に入ったはいいものの、迷っているうちに帰れなくなってしまった。どうか今晩泊めてほしい」
「あら、嘘が上手なのね」


 内心ドキッとするお坊さん。
 がらっと戸を開けたのは見目麗しい女主人だった。

「私、山姥だけどいいの?」
「山姥が自分から山姥ということがあろうかね」
「あるわよ。私がそうだもの」

 なんの迷いもなく返答する山姥。そんな彼女を見ていると、こちらも真正面から行かねばと、真面目なお坊さんは考える。

「実を言うと、私はあなたを封印しに来た坊主なのだ」

 それを言うと「正直な人は好きですよ。ささ、ご飯はできてますからこちらに」と山姥はまずはもてなしだと言って中に招き入れる。
 中には囲炉裏があり、それを囲むように食事の用意がされていた。

「お椀を出しますから、少し待っていてください」

 山姥は、ささっと棚の前に行き、お椀を一つずつ取り出していく。
 この時点で、お坊さんは山姥に惚れていた。

「さぁ、どうぞ」
「毒など、塗られたり、入ったりしておるまいな」
「そんなもの、うちにはありません」
「......あなたに殺されるなら、私はそちらのほうがいいとさえ思う」
「あら、どうしてそんなことを?」
「私は、本音を言えばあなたを封印したくない。あなたに悪い噂はないどころか、いい話しか私の耳には入ってこない。だから、私が死んでしまえば、私は」
「それでは、次の人に私は封じられますね」
「......」
「私は、あなたに封じてもらいたい」
「どうして?」
「憎からず思われている人に、最後を見てもらえるのは、私の中の宝物になるだろうから」
「......」
「だめかしら?」
「......仏の道を目指すのは、私には無理だったのかもしれぬ」
「?」
「ここから出て、どこか他の場所で共に生きよう」
「それは無理」
「どうして」
「私はこの山からは離れられない。そういう決まりだから」
「......」
「だから、封じてほしい。他の誰でもない、あなたという人に」
「......」

 押し黙ってしまったお坊さんに、山姥は語り始めた。

「私はね、昔は本当に山姥だったの」
「山に来た人たちをたぶらかして、寝首をかいて、血をすすり、肉を食い、骨を装飾にして、そうして生きてきた」
「こんな話を聞けば、あなたは私を封じてくれる?」

 そんなの、すべて嘘だ。
 お坊さんは分かりきったことを胸にしまいこんで、山姥に告げる。

「分かった。罪深きあなたを、私が封印する」

 お坊さんは三枚のお札を袖から引き出して、その中の一枚を山姥に差し出した。

「これにあなたが触れたとき、あなたはこの紙へと封印される」
「そう」

 山姥は手を伸ばし、触れる直前でふっと止めた。

「本当に」

 お坊さんが顔をあげると、眼を細め、はかなげな彼女の顔が、微笑んでいた。

「ありがとう」

 紙に触れた山姥の体は、その指先から紙の中へと吸い込まれるようにバラバラになり、収束し、紙一面を彩る、赤字の文字列になった。

「......」

 お坊さんは、封印の札を天上昇華の呪文と共に囲炉裏の火にくべた。これによって、山姥の魂は天に還る。
 残り二枚のうちの一枚を自分の胸に押し当てて、お坊さんは朗々と呪文を唱える。

「私は、不浄のものに心奪われた。この身も不浄なりて、封じ、燃え、滅す」

 山姥のからだと同じように、お坊さんの体は紙に吸い込まれ、赤字を記したお札は、一瞬のうちに燃え消えた。
 残された一枚のお札だけが、山の家のなかにはらりと落ちた。


「あら、あなたまで来てしまったの?」
「ここでなら、私はあなたと共にいられる」
「ふふ、バカな人ね」
「ええ、私はバカだ。自分でも気づかなかったのだから、本当のバカだ」
「そこまで言わずともいいではないですか」
「いや、私は言う。気付かせてくれたあなたに」
「......ふふ」
「次の世で、絶対あなたを見つけます」
「なら、私はそれまで誰とも契りを交わしません」
「約束ですよ」
「ええ、約束です」
「指切りげんまん」
「嘘ついたら......いや、嘘などつかぬ」
「......嘘ついたら、あなたを殺しに行きます。私、山姥ですから」

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