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8分間の幸せ(前編)

「聡介、何ニヤけているのよ!」
「あ、ごめん。ちょっと思い出したことがあって」
「あやまらなくてもいいけど。何か嬉しいことでもあったの?」

テーブルに熱々のみそ汁を置きながら、母が僕の顔をのぞきこむ。

「ちょっと母ちゃん、顔、近いよ。何でもないから」

実は、聡介には最近ちょっぴり嬉しいことがあったのだ。自分だけの小さな喜び。ほろ甘い温かい気持ちを抱けるようになったのは、心はもう大丈夫になったという兆しだろうか。

◆‥◇‥

通勤が大変なことを言い訳に、せっかく就職した会社を、一年も経たないうちに僕は辞めた。それからもう3年になる。

最近はテレワークが浸透し、毎日出勤しなくても良い企業がふえているらしい。だが通勤が面倒だというのは嘘で、上司がとてつもなく嫌な奴だったことに耐え切れず‥と言うのが本当のところだった。

大学在学中に就職活動をして、
そこそこ大きな会社から内定をもらって、
無事入社式を迎えた朝、両親はとても喜んでくれた。

僕自身も、ビシッとスーツを着て会社に行くビジネスマンの一歩を踏み出したことが誇らしかった。

残念なことにその誇らしい気持ちは3ヵ月で完全に吹っ飛び、いつ辞めようかということばかり考えるようになってしまうなんて・・。

目に見えない、窮屈さというトンネルを歩いている僕。

いくら歩いても、出口にたどり着けない。窮屈さが増して締め付けられるような感覚がだんだん大きくなっていく。出口は本当にあるのだろうか。

そんな毎日が続き入社から5か月が過ぎた朝、吐き気がして立ち上がることができなくなった。

その日は高熱が出たと嘘の理由を伝えて会社を休み、一日中ベッドの上で過ごした。

仕事から帰ってきた母に病院に行ったのかと聞かれたが、答えるのが面倒で、背中越しに手を振り行っていないよと伝えた。

次の日は立ち上がることはできたものの、どうしてもスーツに着替えることができない。

まだ熱が下がらないからもう一日休むと、また嘘の理由を会社に伝える。

「インフルエンザじゃないの?病院へ行って診断結果を必ず連絡するように」と言われた。

本当は熱なんてないからインフルエンザであるはずがない。

でも、これまでにない体のだるさが心配で子供のころからお世話になっているかかりつけのたんぽぽ診療所へいった。

「聡介君、心が疲れているのかもしれないね。知り合いの心療内科を紹介するから、気軽な気持ちでいいから行ってみて」
「え?」
「ところで社会人になってどう?学生時代とは違う大変なこともあるよね」
「あ・・いえ。そうですね。上司と合わないというのはあります」
「そうか。ただ疲れているだけかもしれないけど念のため。ちゃんと心療内科には行くんだよ。今日は午後の診察もやっている日だから。今から電話入れておくよ」

◆‥◇‥◆

心療内科の先生は女性だった。たんぽぽ診療所の先生と大学時代の同期だという。見かけは少し男性的なイメージだが、話し方はとてもやさしく女性的だった。

「聡介君、こんにちは。医師の大杉です。ぽぽ先生から連絡はもらっているわよ」
「ぽぽ・・先生?」
「ふふふ、学生時代のあだ名。きっと、『ぽぽ』だから『たんぽぽ診療所』って屋号にしたのかも。想像だけど」
「はあ、そうなんですね」

和やかな会話の合間に、さりげなく質問をされる。診察前に記入した内容と照らし合わせて僕に下された診断は「うつ病」とのことだった。

「大丈夫よ。誰でもなる可能性はあるし、ちゃんと治るから」
「薬・・飲むんですか?」
「今日は薬は出さない。その代わり、来週から毎週診察に通ってね」
「わかりました。来週の水曜日から通います」
「じゃあ、今日のところは終わり。来週からよろしくね」
「はい」

会計を済ませて、診察券を受け取り、僕は大杉心療内科を後にした。

僕がうつ病?
なんで?

考えても仕方ないけれど、心の病気だと言われたことがショックだった。心療内科へ行ったこと、「うつ病」と診断されたことは両親に言えなかった。

「たんぽぽ診療所に行ってきた。軽い風邪みたいだから心配しないで」
「軽い風邪で良かったね。今日は夕飯は軽めにして、早めに休みなさい」
「明日は会社へいくから」
「そう。無理しないでいいからね」
「ありがとう」

◆‥◇‥◆

翌朝、いつも通りというわけにはいかなかったが、身支度を何とか整え、靴を履いて玄関を出た。

母は心配そうに、でも、少し安心した様子で、見送ってくれた。
「いってらっしゃい」

ああ・・駅までの道が、いつもより遠く感じる。歩いても歩いても、着かない。それもそのはず、僕は駅とは反対方向へ歩いていたのだ。気が付くと、大杉心療内科の前に立っていた。

当然だが、診療所はまだ開いていない。僕は近くの公園へ行き、ベンチに座って開院の時間まで時間をつぶすことにした。

この日は、結局会社を無断欠勤した。

それから、細かいことは覚えていないけれど、両親に内緒で休職し、会社へ行くふりをして家を出る毎日をしばらく続けていたように思う。週に一度大杉先生の診療所へ通っていたおかげで、取り返しのつかない事態になることだけは避けられたのだろう。

結局復職はせず、その年の終わりに退職願いを出し、受理された時の安堵感だけ鮮明に覚えている。

嫌な上司から解放された日。
心からの笑顔を取り戻せた日。
やっと両親に本当のことを話すことができた日。

たぶん、この日は僕が新しく生まれ変わった日だ。スーツを着るビジネスマンにもう未練はなかった。

休職していたから会社からもらった最後の給料はほんの少し。ありがたいことに、資格手当だけは休職中でも支給されていた。社会保険料や税金の負担分を差し引かれて数千円の手取りだが、それで僕はケーキを買うことにした。

父が好きなチーズケーキ、
母が好きないちごのショート、
僕の分は・・チョコのタルトにしよう。

◆‥◇‥◆

あの日、ケーキ屋さんへ立ち寄ったことがきっかけで、聡介は、その店で短時間のアルバイトを始めることになった。

大杉先生からも、負担にならない程度ならということで許可をもらった。週に2日・午後の3時間程度の勤務から始め、今は週5日、フルタイムで働いている。

ケーキ屋の仕事は楽しい。オーナーは大らかな中年女性で、のんびり屋さん。客層もなんとなくのんびりした年配の人が多く、店はいつも温かい雰囲気に包まれていた。

仕事に慣れていなかった聡介に対しても、「ゆっくりでいいのよ」「来てくれてとても助かっているのよ」といった感じで、急かすようなことはしない。以前の職場の上司と比べると天使のようだった。

3年たった今、任される仕事の範囲は広がった。だが完全に聡介のうつ病が治ったわけではなく、月に一度の通院は続けているのだった。

◆‥◇‥◆

「ほら、みそ汁冷めないうちに飲んで。バイト行く前に、洗濯お願いね」
「はい。やっておきます」

「悪いけど、食器も洗っておいてくれる? 今日は早めに行かなきゃ」
「はい、やらせていただきます」

「リビングだけ、掃除機もお願い」
「はい、喜んで!」

「悪いわね。助かるわ。じゃ、行ってきます」
「いってらっしゃい」

母は、4年前から正社員で働き、最近出世して部下が出来たらしい。今はフルタイムになったとはいえ、僕の方が暇なので家事はできるだけ手伝うことにしている。

父は、去年単身赴任となり離れて暮らしている。期限は2年の予定だから、もうしばらくは母と僕の二人暮らしが続く。

掃除機をかけるなら、急がないと。僕は、やけどしないように気を付けながらみそ汁を飲み干し、洗濯機を回すと、素早く食器を洗い、掃除機をかけ始めた。

(つづく)





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