住環境の変化による意識の変化について
住居を変えたことによって生活動線が変わり、生活のための一つ一つの動作が以前よりも意識的に明確に行えるようになったということを一つ前の記事に書いた。
そこから気がついたのは、住居というハード面が人間の行動や感情などソフト面に与える影響だ。
住居というのは人間が住むものだから、順序としては人間の普段の行動があって、そこから生活しやすい動線になる間取りを考え、そこから住居ができあがるというのが正しいはずである。
しかし現実はそのように住居を作るのは注文住宅しかなく、それは高額なので限られた条件にあてはまる人しか作ることはできず、都内または都内近郊に住もうと思ったら建売住宅か中古住宅がほとんどである。中古住宅については2000年に建築法が変わったので現存している物件のほとんどが既存不適格建築物となり金利の低いローンを組むことができなくなり購入することが困難になっている。故にフラット35などのローンを組みやすい新築を買わざるを得ないという仕組みになっている。
この、建売住宅という「最大公約数」の人に向けた住宅に住むというのは、こちらの行動が住宅メーカーの「あなた達はこうやって生活するんでしょ?どう?結構便利にできてるでしょ?」という価値観にこちらの行動を合わせていくことに他ならない。
そして、悔しいことにやはりまあまあ住みやすいのだ。(以前住んでいた家がめちゃくちゃだったので相対的に普通の住居なら住みやすいのだと思うけど)。しかし「ここはこうなっていると便利でしょ?」、「子どもがいるならこんな間取りがいいんじゃないですかあ?」という提案をほとんど選択肢もなく受け入れざるを得ないというのがなんとなく気分的に悔しい。
こうやってハード面を先に決めつけられて、自分のソフト面がそれに順応していく様を観察していく中で、「これは社会の縮図だな」と感じる。
人間がいて、人間のソフト面によって制度や都市計画、住宅政策が決まるのではなく、制度や都市計画、住宅政策が先に決められて人間がそれに順応していくのだ。
つまり、決められたハード面にあった人間ができあがっていくのだと思う。
そう思うと、自我というものがどれほどあやふやなものなのか。自分自身の心の変化を常に観察していかないと、無意識に自己選択だと思っているもののほとんどが「選ばされている」ものに過ぎないということがわからなくなる。
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