剣客商売第4巻 1 雷神・3 夫婦浪人
さいしょに
池波正太郎著「剣客商売」は、江戸の町を歩いている気にさせてくれます。秘密を少し見つけました。書く前に切絵図を片手に東京の町を歩き回ったのですって。ウム
もしかしら、同じ切絵図かも?ドキドキ。地図の上で物語を読み・・それこそ行間が見える気がするときも(まぼろし~ウム)
いつか、自分の足でも。
※ネタバレありありです!ご注意ください。
なお、当記事は第4巻第1話「雷神」第3話「夫婦浪人」の初出箇所のみを探します。
小兵衛の家などの、いつもの場所は地図A(下段)にまとめました。
では。どうぞ。
第一話 雷神
地図(画像)
➀心づくしの手土産〔南京落雁〕
②かつて奉公していた脇坂淡路守・上屋敷
③同・下屋敷 試合会場 ④⑤⑥は、下屋敷を特定するための目印
本文抜書
以下、本文抜書です、ご確認くださいませ。
(「51)」等は、文庫本のページ数で、確認用に入れております)
(話のはじまり)落合孫六(容姿:二日酔いの狸)「このたび江戸へ出てきたのは、なれ合い試合を師匠(小兵衛)に認めていただきたく」
9)➀四谷塩町一丁目の菓子舗・不二家又兵衛方で売り出している(南京落雁)・・・四谷の道場の頃の小兵衛のお気に入りの菓子
10)落合孫六は、播州竜野五万千余石・脇坂淡路守に奉公、剣の道に進むべく、主家を退身。小兵衛が道場をたたんだとき、亡妻よねの故郷である武蔵国・葛飾郡(現:東京都葛飾区)の宿駅・新宿の布海苔屋・上総屋清兵衛方へ身を寄せ近在の百姓に剣術を教えていた。・・・江戸外
試合は、脇坂家江戸留守居役:花田新左衛門から持ち込まれたもの。
(試合の相手)上田源七郎義通
13)②脇坂淡路守安親の上屋敷は芝口二丁目にある。
殿様の夫人安子は幕臣・上田能登守義当の娘。甥上田源七郎義通
③試合は、本所の外れの柳島村にある脇坂の下屋敷(別邸)で行われた。東に天神川、二方を細い掘割に囲まれている。
上屋敷
下屋敷
メモ・第2話は箱根の話なので跳ばしました。
第三話 夫婦浪人
地図
➀夫婦浪人の住む家と、三角関係となる高野十太郎の寄宿する寺(隣)
②③三崎町にある寺。三崎町は三つの岡が集まる、という意味だそうで、背景を立体図にしたが、街に埋もれて見えませんね…。
この寺の門前茶屋で弥五七は助九郎を待ちます。仇討の日とあって、死を覚悟しての道行。④天王寺の方角から、助九郎は十太郎と連れ立ってきます。弥五七の目の前を過ぎ・・そっと後を追います。
もう一つの寺・門前茶店で小兵衛はすべてを見ていました。
⑤ 道灌山の「佐竹候の下屋敷」の崖下に目指す仇は住んでいました。そして
抜書
84)新築なった隠宅へ引き移ってから、およそ半年ぶりの外出であった。
宗哲宅へ。五ツ半に出て、回向院北側、鬼熊に行こうと思い立つ。
鬼熊で、助九郎と「ひどいの浪人」(名前がわからないので、小兵衛はこう呼ぶが、鬼熊の客は疣蛙などと)のカップルに会う。
次の日、大治郎が高野十太郎を連れてくる(摂津・高槻三万6千石の領主・永井日向守様御家中)仇討。出会い:大坂柳嘉右衛門道場
高野十郎太:➀本所・新井町、北巖寺
カップル)新井町の外れの住まい/「ひどいの浪人」=山岸弥五七
北巖寺の墓地の裏手の木立の中の百姓家。←👆至近のため略。
123)小兵衛は上野の山の西側、谷中三崎の妙林寺門前の茶店へ入り・・
妙林寺は小さな寺だが、草創は二百五十年ほど前の天文年中だという。
妙林寺と、小川をへだてて、法住寺がある。この寺は宝暦の頃の草創だそうな。
123)弥五七は、まっすぐに上野山下へ出て、不忍池をまわり、根津をぬけ、法住寺の茶店へ入ったのだ。
124)小川は蛍川といい、巣鴨・上駒込の長池から発し、不忍池へながれこむ愛染川の支流である。蛍川には橋がかかってい
124)弥五七は、谷中の天王寺へ通ずる道の方を見るや、・・横手へ隠れた。
125)天王寺の方から坂道を下って来た二人づれが橋の向こうに現れた。
十太郎・助九郎。小川の道を北へ歩みはじめた。小兵衛は橋へ。
川沿いの道を二人が遠ざかっていく。その後から・・・これは蛍川の西側の小道を弥五七が十間ほどの距離を置いて、つけて行く姿。
126)そこは、日暮里に近い崖下の一軒家であった。
崖の上は、出羽・久保田二十万五千石、佐竹候の下屋敷だ。
道灌山
谷中の蛍沢(蛍坂)
つけたし。地図A
ふだんの暮しの見かけをちょいと剥いで、時間旅行に行きませんか。
「剣客商売」に住む方々が暮らす界隈など、いかがでしょう。
なお、くりかえしの場所は「地図A」にまとめました(マイマップでは『剣客商売・基本地図』)。
〇地図説明
・・・不要の方は飛ばして・・・地図は下です・・・
ご覧いただきありがとうございます。今日も良き日でありますように。
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