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剣客商売第12巻 第3話 浮寝鳥

 その老人は、たしかに乞食であって、昼前から、浅草の外れの真崎稲荷社の鳥居の正面からはなれて大川を背に座り込み、日暮れまで動かず、菅笠の中に銭を入れると何やら口の中で呟き、軽く頭を下げる。
 去年の夏ごろからであったろう。
 近所の人などは「真崎様のお薦さん」と呼んだりしているが、小兵衛は「稲荷坊主」とよんでいた。
 変わりないか、と、大治郎に尋ねたり、わざわざまわり道して、優しく声をかけながら銭をあたえることもあった。

 今まで作ったものは「目次」記事でチェックいただけると嬉しいです。
 ではでは。机上ツアーにお付き合いいただけますよう。


地図(画像)

老乞食(お薦)がいつもいた、真崎稲荷神社(現在は白浜神社内)

大治郎:江戸に戻りお薦(おこも)殺害を知る(翌日/確認ルート)

 大治郎は、お薦が殺害された日(11/3)に、本人を小野照崎明神で見た。
 浜松へ見舞いに行き(11/20帰宅)、殺されたのを知らなかった。
 次の日、三冬に『父の家へ行く』と言って外出したが、気が変わる。
 道場の丘を下り⑥思川の岸辺へ出、道を右にとる。⑦浅草・山谷町から⑧元吉町をぬけ、死体発見現場あたりを通り、⑨日本堤から⑩新吉原の北面をすぎ、⑪入谷田圃から坂本通、④小野照崎明神の境内の柳の下へ。
 あの少女が坂本三丁目から走って、金杉下町(東側)の⑫店へ入った。

馬道の清蔵

 大治郎は、③馬道の清蔵宅に話に行く。 ↓(青ルート)
 馬道の清蔵と一緒に〔三州や〕の主人に会う。 ↓(赤ルート、帰りも)
 黒:尾行者(下谷の坂本から〔石原の吉兵衛〕の手先の太助)
「秋山先生の行先を突きとめるつもりらしい」
「私の家を突きとめさせてやろうではないか」
 大治郎は、⑦浅草・山谷町から、⑯玉姫稲荷の方へ切れ込み、暗い畑道を⑰我が家へ向った。 ↓(地図には尾行者・太助のルートのみ記載)
 その太助を松次郎が尾行する。
 太助は吾妻橋を渡って自分の親分の⑬石原の吉兵衛宅へ。間もなく、すぐ近くの溝口丹波守という四千石の大身旗本の屋敷へ入って行った。
 しばらくして、二人は、八丁堀同心・並河平七と共に出て来て、吉兵衛宅へ。およそ半刻後、並河同心は町駕籠で八丁堀の役宅へ帰った。
 翌朝、馬道の清蔵は、⑮東両国の美濃半に呼び出された。

⑮美濃半・・・位置が微妙で、さすが池波先生と思ってしまった。

馬道の清蔵、襲われる

 地図は<大治郎道場>↑流用
 清蔵は夜になってから訪ねて来て、事情を話し「お忘れくださいまし」。
 大治郎の見送り(護衛)も断って帰って行った。

 外の闇の中から、馬道の清蔵の叫び声がきこえ・・・侍・浪人に襲われるも、大治郎・三冬夫婦が撃退。峰打ちで捕らえた侍が吐く。

 その後、<大身旗本が御用聞き暗殺・民間人を襲った>ということで、三冬が「父にこの事を知っていただかなければ」。
 大治郎は、小太郎を抱いた三冬と清蔵を同行し、⑲田沼屋敷へ。

真崎稲荷から神田橋までの、距離と時間(出典:グーグルマップ)子を抱く女と怪我人!

 捕らえた侍は評定所へ・・・決着がついたのは、この年の暮れも押し詰まったころ。

地図データ

本文抜書の『51)』等は、文庫本のページ数です。
切絵図はお借りしています。出典:国会図書館デジタルコレクション

老乞食

87)➀浅草の外れの真崎稲荷社の鳥居・・大川を背に座り込み・・・
89)老乞食の死体は、②浅草の山谷堀をさかのぼたところの雑木林の中で発見されたという(この年の11月3日の朝・・・現・12月)
 発見したのは、山谷堀の船宿〔伊豆清〕の船頭で、すぐさま、③浅草・馬道一丁目の御用聞き清三へ。
90)ところで・・・。
 秋山大治郎が、この事を知ったのは、11月の20日であった。大治郎は、このところ、江戸を留守にしていた。
 遠州の浜松に住む剣友・浅田忠蔵を訪ね、数日を滞留していたのである。
92)「殺されたのは、あなたさまが江戸を発たれた日でございます」
「何・・・」
「私はその日に、あの老乞食を見かけている」
「坂本の、④小野照明神(おのてるみょうじん、以下小野照明神)」
 出発の当日、大治郎は先ず、⑤根岸の和泉屋の寮へ向った。
93)「しばらく、江戸を留守にするので、よいときに泊りがけて、遊びに来なさい」
と、伝えたのである。
93)大治郎は坂本の通りへ出た。
 ④小野照崎明神社の門前にさしかかって、旅立ちの朝であるし、参詣した。
 拝礼をすまし、鳥居を潜ってから、また本社へ頭を下げた。
 そのとき、本社の裏手から、件の老乞食があらわれたのである。十五、六歳の少女と連れ立っている。

翌朝(大治郎・確認)

96)翌朝。
「父上に挨拶をしてまいる」
 三冬に送られ、丘を下って⑥思川の岸辺へでたとき、道を右にとっていた。
 ⑦浅草・山谷町から⑧元吉町をぬけ、老乞食の死体が発見されたあたりを歩みつつ、⑨日本堤へ出て、⑩新吉原の北面をすぎ、⑪入谷田圃から坂本の通りへ出た。
 ④小野照崎明神の境内へ入った大治郎は参詣を終えたのち、あの日、二人が立っていた柳の下へ足を運んでみた。坂本三丁目の方から小走りに来た少女。
 少女は、金杉下町の東側の煮売り酒屋へ走り込んで行った。⑫〔三州や〕少女の名は〔おみよ〕

小野照崎明神。少女は、坂本三丁目の路地から走り出、金杉下町の〔三州や〕へ走り込んだ

馬道の清三

101)大治郎の足は③馬道に住む清蔵の家〔丸屋〕へ。
 (ちょっとまっていてくださいよ)
103)清三が身支度をしてあらわれ、同行をたのまれた。
104)⑫金杉下町の東側の煮売り酒屋・三州やの主人は・・・
「知らなかった。あのお年寄りがお薦だったなんて・・・」
<江戸へ出て来た際に、三州屋で飯を食べ、その様子を見て、亭主は(力になってやりたい)と思った。そういうと、娘を働かせてもらえまえか、と言い出た・・・事実、よく働く子だった>
108)「あのお年寄りはね、むかしは、歴としたお侍だったにちがいない」

110)馬道の清蔵は、③に戻ると、手下の松に向い
「いいか、松。秋山先生とおれを、④下谷の坂本から尾けて来たやつがいる。その野郎を誰だと思う、石原の吉兵衛の手先をしている太助だよ」
 酒が出る・・・
111)松次郎が戻って来て
「野郎。まだ見張っておりますぜ、材木置場の蔭におります」
「秋山先生の行先を突きとめるつもりらしい」
112)「私の家を突きとめさせてやろうではないか」
「かまいませんので?そんなら松、さきまわりしていろ」
 大治郎は、⑦浅草・山谷町から、⑯玉姫稲荷の方へ切れ込み、暗い畑道を⑰我が家へ向った。

(尾行者)太助

113)太助はしばらく竹藪に潜んでいたが、自分の親分の、⑬石原の吉兵衛宅へおもむいた。

 間もなく二人は外へ出て来て、すぐ近くの⑭溝口丹波守という四千石の大身旗本の屋敷へ。
114)八丁堀の同心・並河平七と共に出て来て吉兵衛宅へ行き、半刻ほどしてから同心は帰った。
114)翌日、石原の吉兵衛から使いの者がやって来て、清蔵へ
115)「⑮東両国の美濃半まで来てくれ」

馬道の清三、襲われる

116)夕方、⑰大治郎宅へ「馬道の清蔵と申す者でございます」
118)「年寄りの乞食と、⑭溝口丹波守屋敷と関わり合いがあるといわれるのか」
「さようでございます」
121)<清蔵が⑰大治郎宅を出たところを、数名の侍・浪人が襲った。浪人の死体と一人を残し、侍は逃げた。捕縛した侍は、朝までに吐く>
124)大治郎は、小太郎を抱いた三冬と清蔵を同行し、⑱田沼屋敷へおもむいた。
 午後になると幕府の評定所から人数が出張って来て、件の侍を護送していった。大治郎の手をはなれた・・・

後日談(場所は、田沼屋敷・小兵衛宅)


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