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剣客商売第9巻 第1話 待ち伏せ

 秋山大治郎は、懇意の若林春斎様を訪ねた帰り、猿子橋で<敵討ち>される。すぐに人違いとわかり、二人の侍は逃げ去った。
 <二人は待ち伏せした。ではどうして私と間違えたのか?>大治郎はもやもやをそのままにできずに、動き出した・・・

 ◆ 自分も物語を歩きたくなって、地図を作りはじめました。
 今まで作ったものは「目次」記事でチェックいただけると嬉しいです。
 ではでは。机上ツアーにお付き合いいただけますよう。


地図(画像)

 秋山大治郎は⑤若林春斎様を訪ねた帰り➀猿子橋で<敵討ち>にあう。

神田駿河台(春斎の養子:若林金之助の実家)と
本郷三丁目(仇討する子・伯父の家)については、
画像表示していません。両方とも凡例の下になってしまい・・・

 涼やかな眼の佐々木周蔵は、恩人の罪を背負って、敵討ちされてやった。
 そうしないと、その子の人生は敵討ちで終わってしまう。その子は一旦はお家に戻るだろうが、伯父の医者を継いで江戸で生きていくだろう。
 周蔵が愛する者に残した50両。大治郎は使者となって突き返す。
 それは、小兵衛にとっても、恩人との決別を意味した。人は悪人の顔と善人の顔を併せ持つ。善人でい続けるためにはどうすればいいのか。

地図データ

本文抜書の『51)』等は、文庫本のページ数です。
切絵図はお借りしています。出典:国会図書館デジタルコレクション

「親の敵・・・」

7)秋山大治郎は、本所の竪川と深川の小名木川をむすぶ六間堀川の南端にかかる➀猿子橋へさしかかった。
 橋の向うの西たもとは、右が幕府の御籾蔵。左は深川・元町の町家だが、いずれも表戸を閉め切っている。
 隠れている者がうごめいた。・・(襲われたが人違いと判明、相手去る)

深川絵図

次の日。

12)秋山大治郎は、②両国橋を東へわたり、③竪川の一ツ目橋をすぎ、④御籾蔵に沿った道を、➀猿子橋へ。・・・
17)(昨日の訪問先:今日の目的地)深川の北部・・・⑤小名木川の北岸の猿江町に千二百石の旗本・若林金之助の屋敷。隠居〔春斎〕

竪川(東西にのびる堀川)の一ツ目橋、これを渡って南・御籾蔵までまっすぐ行き、
御籾蔵に沿って右に曲がり、猿小橋へ。

20)やがて、(猿小橋から記憶を辿り)昨夜の道筋を東へ歩みはじめた。
 この道は、やがて⑧藤堂和泉守・下屋敷(切絵図では阿部屋敷)に突き当り、そこから右へ折れ曲がって、小名木川の河岸道(切絵図では点線部分)となる。すぐに⑥小名木川と横川が十字に合う地点へ出る。

この切絵図では⑧藤堂和泉守下屋敷は、安部美津守下屋敷の位置であろう。

 横川へ架かる⑦猿江橋を渡ると、河岸道の左側に、⑤若林屋敷の長屋門が見えた。

21)若林家の当主、金之助元泰は、二十年ほど前に養子。実家は、⑯神田駿河台に屋敷がある千二百石の旗本・三嶋弾正(金之助の実兄)であった。

似た者

23)脇門から似た躰つきの侍が出て来た。大治郎の帰り道でもあったから、尾けるともなく尾けるかたちになった。
24)侍は、⑧小笠原・太田両家の下屋敷にはさまれた道を左へ曲った。

赤ラインが切れたところまで。(下の文で:出会い。常盤町の蕎麦屋へ)

 左へ行けば、すぐに、⑨小名木川へ架かる高橋へ出る。
 左は自分の帰り途ではない。あきらめて足を速めた。
(件の侍:曲がり角から姿を見せ、大治郎は対面する)
25)前方に、高橋がみえ、左側は太田屋敷の塀がまわっており、右側は常盤町の町屋。
 その一角に⑩〔清月庵〕という蕎麦屋がある。
26)(清月庵にて)「佐々木周蔵と申す」・・・

30)大治郎が外へ出てみると、佐々木は⑨高橋の上へさしかかっていた。

又六

30)と・・・。
「若先生。こんなところで何をしてなさる」
 ⑮深川の洲崎弁天の橋のたもとで、鰻の辻売りをしている又六だった。
 振り向いて、⑪海辺大工町の道を歩んでいる佐々木の後姿。
「又六、たのむ」
 尾けてくれないか?「私が尾けてはまずいのだ」
「私はお前の家で待っている」
 又六は、⑬深川島田町の裏長屋に、老母おみねと二人きりで暮らしている。

34)⑫佐々木周蔵の家は、大和町だった。
 大和町は、長門の国・萩三十六万石・松平(毛利)家の広大な下屋敷と堀川をへだてて西側にある。
 その裏道の、亀久町と向い合った細道に面した小さな家へ入って行った。
「となりが、浜屋という釣道具屋なんです」

深川絵図

35)大治郎は、入舟町から汐見橋をわたり、迂回して堀川の対岸へ出た。→その家を見出した。

深川絵図

「捨てておけ」(捨てては置けまい)

36)翌日、三冬と二人、隠宅へ。父(春斎に世話になった)に話を聞く/父に昨日のことを話す。「捨てておけ」

佐々木周蔵の死

<不安が払しょくできない大治郎は、おはるの舟で橋場に着くと、三冬に「先に帰ってくれぬか」>
39)浅草の橋場から、深川・大和町の佐々木周蔵宅まで二里ほどある。
 秋山大治郎が本所から深川に入り、仙台堀に沿った道を東へ急ぎ、大和町の近くまで来たとき、五ツ半をまわっていたろう。
 ⑭西平野町と東平野町の、町屋と町屋の間に、材木置き場があった。
「佐々木殿・・・しっかりしなさい」すでに虫の息
 佐作周蔵の遺体を背負った大治郎が道へ出て、みまわした。
 川巾二十間の仙台堀に架かる亀久橋をわたった。
43)玄関の戸が内側から開き、人影(妻・おりく)が外へ出て来た。
「佐々木殿の亡骸を運んで来ました」
45)(翌日)大治郎は⑤春斎の屋敷へ
46)「佐々木周蔵殿は、討ち取られましてございます・・・」
47)(事件当時)柳田夫婦の子の茂太郎は十歳の少年で、⑰母の実家に滞留していた。
 ⑰本郷三丁目、町医者・田嶋長元方。
49)この日、小兵衛は、大治郎からの報告を聞いたあと、
「佐々木の浪宅ヘ案内せよ」
 おりく(自害しようとしていた)を、小川宗哲の許へ預けた。

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