剣客商売第13巻 第4話 敵
被害者が江戸時代の経営アドバイザーということで、数字のタイトル画像をお借りしました!ありがとうございます。
さて。
浅草・今戸の慶養寺の門前に、〔嶋屋〕という料理屋があった。
この年の梅雨の晴れ間の或る夜。外へ出た客が、今戸橋の北詰を右へ曲った。月の夜。山谷堀を歩む侍の前に男。棍棒で叩き伏せられ、気を失う。
今まで作ったものは「目次」記事でチェックいただけると嬉しいです。
切絵図はお借りしています。出典:国会図書館デジタルコレクション
ではでは。机上ツアーにお付き合いいただけますよう。
地図(画像)
地図1・2 襲撃
赤ルート:襲われたのは、笠原源四郎45歳。大名家の経営アドバイザー。
黒ルート:襲ったのは中沢春蔵。●で待ち伏せ、棍棒で打ち据えて気絶させ、さっと今戸橋まで戻り、橋を南へ渡り、舟で逃走。
襲われた笹原源四郎は、見事な剣術の腕を持ち、高潔な人柄。小兵衛・大治郎父子の友人で、嶋屋も、小兵衛が招いて後、月に数度通うようになった。④千住の小塚原にある飛鳥明神社の近くに住居があった。
地図3 中沢春蔵の帰路
中沢春蔵は、⑤両国から⑥神田へ出、⑦御成道を⑧上野山下、⑨不忍池のほとりを谷中へ。
⑩谷中・三崎町を正運寺と細道をへだてた角の小間物屋の二階。
(春蔵の背景)牛堀九万之助の門人→破門→大治郎に会いに来るように。
十両の礼・・・平吉という男から『相手は、片目をつぶした悪い奴、懲らしめてくれ、殺す必要はない』・・だまされた。
平吉とは⑬本郷菊坂の本田家・下屋敷内の中間部屋の博奕場で会う。
175)『今日で三日⑭浅草・山谷の船宿の二階へ詰め、やっと平吉があらわれた』ので、山谷堀を歩く知らない男を殴り倒し、平吉の舟ですぐ逃走(刺殺した男の顔を見ていない)。
地図4 大治郎宅でだまされたと気づく
次の日、春蔵は、大治郎に借りた一両を返しに行く。
もらった十両は、前金五両は博奕の借り、溜めていた家賃へ二両払ったら、手元に二両しか残らない。
本郷1丁目で手土産〔吉野落雁〕を用意。
地図5 春蔵の苦悩
<悪い奴を気絶させてくれ、と泪ながらの頼みに応えただけのつもりが、尊敬する秋山親子と親しい・大事な方を殺す手伝いをしてしまった>
春蔵は、手掛かりを求めて、⑬本郷・菊坂、本多家・下屋敷(中間部屋の博奕場)、⑭山谷の船宿へ行った。
山谷の船宿では、
「⑱南本所元町の釣道具師で利七。⑲深川の扇町の船宿〔巴屋〕の舟」
との情報を得た。⑱南本所に釣道具師の家はあったが、別人。
地図6 手掛かり
もらった十両の最後の二両を、情報源の男に握らせ、背水の陣で平吉を追う。地図6では、<丸山の浄心寺>が舞台になる。
グーグルマップ(↓)で見ると、浄心寺と浄心寺坂は離れて見える。また『浄心寺の延長に白山神社の杜がある』との表現から、戦前には緑豊かな土地柄だったかと思える。
浄心寺坂に面して寺があったか、もしくは山門があったのか?
茶店がこのへんだったのだろう、ということで地図を続ける・・・。
布陣。⑳浄心寺で、春蔵(美濃屋)、傘徳(三好屋:弥七が㉑御用聞きの指ヶ谷の銀右衛門へわたりをつけ、実現)
3日目・・大治郎、㉓長泉寺へ、泊まりこみを決意。
地図7 平吉動く
213)㉔千駄木坂下町では、平吉が㉖団子坂へ出た。のぼりきった平吉は、㉓長泉寺の裏手から駒込片町の通りへ出た。通りを斜めに横切った平吉は、⑳浄心寺の門前へ。<春蔵の尾行、傘徳も><弥七は長泉寺の大治郎へ>
平吉は⑳浄心寺門前の坂を西へ下って行く。
平吉は、高橋又十郎の道場へ入る。尾行の一行は、門からは入れない。
続き・・・中沢春蔵が、裏庭へ走り出てきた。道場隣りの竜泉寺という寺の墓地づたいに忍び込んで来たのだ。
春蔵を追って、傘徳・弥七・秋山父子がとびこんできた。
高橋の「であえ」の声に、門人たちが走り込んだ!
平吉は、弥七に逮捕され、高橋又十郎・中沢春蔵もつかまった。
地図データ
上の地図についてのデータです。
本文抜書の『51)』等は、文庫本のページ数です。
襲撃
166)➀浅草今戸の慶養寺の門前に、〔嶋屋〕という料理屋がある。
この年の梅雨の晴れ間の或る夜。外へ出て来た客。②今戸橋の北詰を右へ曲った。
右手は➀慶養寺の土塀、左手は③山谷堀である。③山谷堀沿いの道を歩む侍の前に男。棍棒で叩かれ気を失う。
167)棍棒男は身をひるがえし、②今戸橋を南へ駈けわたると、そこに待っていた町人と二人して舟へとびのった。
168)「お礼の半金、五両でございます」
「名のるほどの名前ではない。・・・⑤両国あたりへ舟をつけてくれ」
この浪人の名を中沢春蔵という。
169)中沢春蔵は、⑤両国から⑥神田へ出て、⑦御成道を⑧上野山下へ、⑨不忍池のほとりの道を谷中へ向った。⑩谷中・三崎町を正運寺と細道をへだてた角には小間物屋があり、その一間きりの二階に住んでいた。
店の前は「首ふり坂」と呼ぶ坂道が上野山内へのぼっており、周囲には、大小の寺院が密集している。
172)金十両で<叩きのめせ>とたのんだのは、小舟を漕いでいた男。「平吉」と名乗った。
⑬本郷菊坂の本田家・下屋敷内の中間部屋の博奕場で知り合った。
175)今日で三日、⑭浅草・山谷の船宿の二階へ詰め、今夜やっと平吉があらわれた。
襲撃の相手(秋山大治郎の剣友)
176)翌日の昼すぎに、中沢春蔵は、⑮浅草・橋場の秋山大治郎宅へあらわれた。
177)半紙に包んだ一両へ、⑯本郷一丁目の菓子舗〔丸屋〕の〔吉野落雁〕
そのとき、笠原から人が来た。応対した大治郎は呆然として
178)「笠原先生が亡くなられた・・・➀嶋屋をでて、③山谷堀で」
中沢春蔵は、茫然としている。
三冬も外へ走り出、小太郎を連れて散歩に出た小兵衛を⑰石浜神明宮で見つけ、家に戻ってきた。
183)四十五歳で殺害された、笠原源四郎は「紀州・和歌山の浪人」だが、後年にいう〔仕法家(経営コンサルタント)〕。
185)④千住の小塚原にある飛鳥明神社の近くに住居があった。
春蔵の苦悩
189)梅雨が戻ってきた。
春蔵は、⑬本郷・菊坂、本多家・下屋敷へ出かけ、中間部屋の博奕場にいた。
山谷の船宿へも行った。
「あのお方は、⑱南本所元町の釣道具師で利七。はじめは半月ほど前に、⑲深川の扇町の船宿〔巴屋〕さんの舟でお見えになりましたので」
扇町の〔巴屋〕へ行き、問い合わせた(不明)。すぐ、⑱南本所へ駆けつけたが、釣具師の家はあったが、別人。
192)⑬博奕場で酒を呷る春蔵を、傘屋の徳次郎が見張っていた。
入って来た男が春蔵に声をかけた。
「平吉さんを探しておいでになるのは、旦那で?」
「⑳丸山の浄心寺から出てくるところを、ちょいと見ただけなんで」
春蔵は酒を勧め、小判を二枚握らせた。
193)翌日の四ツごろ・・・。
194)春蔵は、⑳丸山の浄心寺、門前の茶屋〔美濃屋〕に、
「親の敵を探している」
頼み込み見張りはじめた。
195)⑳浄心寺は、小石川の丸山片町にあって日蓮宗の寺院だ。
門前の巾二間余の道が㉑指ヶ谷へ下がっていて、これを浄心寺坂という。
196)浄心寺の小さな境内の背後には、白山権現社の社がひろがる。
⑳浄心寺の門前には、⑳美濃屋の筋向いの・・・つまり浄心寺の門脇にある⑳三好屋。御用聞きで、㉑指ヶ谷の銀右衛門へわたりをつけ、傘徳を入れたのである。
小兵衛は➀嶋屋へ聞き込みに行った。
197)笠原源四郎は、お妙という若い座敷女中に惚れ込んでいて、妻に迎えたいと嶋屋に申し出ていた。お妙は㉒本所・三笠町の指物師の次女。親の反対(年の差がある・・)でお妙には話していない。
199)中沢春蔵の見張りが三日目に入った。
大治郎も⑳三好屋へ来て、㉓駒込片町の長泉寺に待機しようかという。
大治郎は、もとの⑪牛堀九万之助に話を聞きに行っていた。
⑫浅草・阿部川町へ所帯をもった。子も生まれたが、その子が急死、妻も溺れて死んでしまった。春蔵が飲んだくれたのはその後である。
205)その日の夜。㉔平吉宅には、➀嶋屋の女中・お千が忍んで来ていた。
206)二月ほど前に、➀嶋屋の客となった平吉は、たちまち、お千を誑し込んだ。
そこは㉔駒込の千駄木坂下町の提灯屋の二階座敷
㉔千駄木坂下町は、㉖団子坂の下になってい、㉖杉本道場からも⑳浄心寺からも近い。
この日
210)小兵衛は㉕鯉屋へ。大治郎が待ち受け、㉒駒込片町の長泉寺へ詰めることを提案、すぐに出かけて行った。
212)⑳三好屋には、弥七が顔を見せた。
213)㉔千駄木坂下町では、平吉が㉖団子坂へ出た。のぼりきった平吉は、㉓長泉寺の裏手から駒込片町の通りへ出た。通りを斜めに横切った平吉は、⑳浄心寺の門前へ。
早くも平吉を見つけた中沢春蔵が
「ちょいと、出て来る」
214)飛び出して、すぐ捕まえてもよいのだが、笠原源四郎殺しの犯行は
(平吉一人のみのものではない・・・)
と、看ている春蔵は尾ける用意をしておいた。
平吉は⑳浄心寺門前の坂を西へ下って行く。
⑳三好屋にいた弥七が徳次郎へ
「見たか」
「お前が中沢さんの後をつけろ。おれは㉓長泉寺へ駆けつけてみる」
小石川・高橋又十郎道場
215)平吉が上目遣いに見た相手は、高橋又十郎という。
㉗小石川・原町に一刀流の大きな道場を構え、門人の数は八十余名。
217)二人がいる奥の間に面した庭の向うは、宏大な酒井家・下屋敷の塀と木立。
「今度、先生のところへ来た御新造は、堀留の乾物問屋・遠州屋のむすめさんだとか」・・・百両を要求。
218)又十郎は金を取って来る振りをして部屋を出て行きかけ、平吉の背後へ来ると、右腕を巻きつけてきた。
219)平吉の形相が見る見る変った。
中沢春蔵が、裏庭へ走り出てきた。道場隣りの竜泉寺という寺の墓地づたいに忍び込んで来たのである。
「その男に用がある。引き渡してもらいたい」
220)その後を、傘徳・弥七・秋山父子がとびこみ、高橋の<出会え>の声に、道場から門人・・★★★
半年後
222)それから半年後の或る夜。
秋山父子は、㉘田沼意次の上屋敷での晩餐に招かれていた。
その後、田沼意次は、二人を茶室に案内し、きっちりと両手を膝に置き、頭を下げた。秋山父子は意次がいかに、経営アドバイザーである笹原源四郎を重視していたかを知る。また、笹原が将軍の隠し子であることを明かし、三冬の夫である大治郎を婿として公言できないことにも言及。
二人は顔を見合わせた。
原因
223)事は一年前にさかのぼる。
高橋又十郎は、平吉の案内で、浅草の奥山裏にある茶屋「玉の尾」へ出かけた。
玉の尾を出て、㉙浅草田圃を歩いているとき、木立から出て来た侍と擦れ違った。酔った高橋は多々羅を踏み、田圃へ落ちてしまう。それを言いがかりにさらに絡んで、返り討ちで気絶。それを恨みに探しに捜し、闇討ちしたという。
➀嶋屋のお千は、㉔千駄木の竹藪の中へ埋め込まれていたという。
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