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剣客商売第13巻 第5話 夕紅大川橋(せきこうおおかわばし)

 秋山小兵衛と横山正元が酒を酌み交しているのは、浅草・橋場〔不二楼〕の二階奥座敷。おはるの里帰りで、隠宅にうまいものがない。
 涼風に誘われ、どちらともなく窓辺へ・・・眼下の猪牙舟に瞠目。
 男は内山文太老人。女は岡場所の妓。舟は流れを溯って過ぎた。
 食事を終え、小兵衛は正元を隠宅へ誘った『碁でも』。
 誰もいないはずの隠宅に、井筒屋(内山文太の娘婿)が待っていた。 

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 切絵図はお借りしています。出典:国会図書館デジタルコレクション
 ではでは。机上ツアーにお付き合いいただけますよう。


地図(画像)

地図1 大川を行く船

川を見おろしたのは、横山正元と小兵衛~場所➀不二楼奥座敷
 青ルート:正元さんは、②自宅から所用で浅草。その帰りに③隠宅へ。
 赤ルート:小兵衛は正元を誘い、③隠宅から➀不二楼へ。
 赤点:二人が不二楼へ行ったのは、おはるさんが④帰りしたから
流れに掉さす小舟:⑥内山文太(井筒屋)⑤谷中のいろは茶屋の女
 黒ルート(後日判明):内山文太がたどったと思われる道

地図1 謎。

地図2 慶雲寺から「いろは茶屋」へ(調査)

 赤ルート:正元の動き。まず、⑦慶雲寺へ行き、弥七・傘徳に会う。
 黒ルート:慶雲寺からの傘徳の動き。:すぐ隠宅へ
 正元(赤ルート)は弥七に付いて⑤いろは茶屋 → 口入屋の⑧下谷通新町の煙草屋 → お直の出身地・⑨小合 → 働きに行った⑩松戸(地図5参照)。
(黒ルート)傘徳は大川沿いを歩き、荒川綾瀬川沿いの船着を調べた。
 ・・・ともに、手掛かりはなかった。

地図2 最初の調査

地図3 井筒屋宛、内山文太からの手紙

 内山文太から手紙が来た。
(青ルート)⑥井筒屋・番頭は使いの後を追い、⑮田中屋を突きとめる。・・・⑮田中屋(篠塚稲荷鳥居・斜め前)
     ↓

(黒ルート)⑥井筒屋は駕籠で、すぐ小兵衛宅へ(多分大通り沿いと仮定)。
     ↓
(赤ルート)小兵衛は駕籠で⑮田中屋へ(待伏)。午後2時、内山が出て来た。⑮平右衛門町通り大川へ、舟に乗る。小兵衛も飛び乗った!
 二人は➀不二楼へ。

地図3

地図4~7 内山文太・不二楼で事情を話す

 内山は駿府田中の郷士の出身。親に決められた許嫁・お静と愛し合う。しかし、結婚の条件は、家督を継ぐこと。弟に家督を譲ったため、その関係は不倫となる。お静は弟と結婚し、文太は剣の修行に江戸へ向う。

地図4 駿府・田中の郷士

 40年前:別れた3年後、お静はお清を抱いて内山を追う。江戸では⑮田中屋に滞在。文太を⑫辻平右衛門道場に訪ねるが不在、小兵衛に手紙を託す。その後下男の「⑭神田御門外で見た」のを、小兵衛は記憶していた。
 お静は、文太に説得されて駿府へ帰郷(⑮田中屋宗吉が送っていく)。
 当時、文太は⑬で所帯を持っている(後日⑥井筒屋へ・・⑮田中屋はその事情も知っている)

地図5 お静

 <娘のお清>は十八歳のとき、気まずい家(駿府)での生活に見切りをつけ、⑮田中屋を頼って江戸へ。お清は、内山文太を恨み、知らせなかった。⑮田中屋で座敷女中としてはたらく。のち、大工・吉松と所帯をもつ。由松はお直の顔を見るまえに他界。お清は我が子を手放し、その後も苦労の連続。<このころの住まいは不明>
 中村小平治と出会い、深川で所帯を持った。⑯平塚明神社の茶屋を買い取ったころが一番幸せだった。
 
夫の中村小平治の急死と、立つこともままならないほどの病状悪化、二百両を狙う悪漢の存在に進退窮まって、⑮田中屋へ手紙を書く。
 ⑮田中屋は⑥内山文太さんに知らせた。

地図6 お清 深川から平塚明神への不自然さ!~~隠れ家

<孫のお直> 小合(漁師・為五郎、うめ)、⑩松戸、⑤いろは茶屋
 ⑨小合
で生まれ育った直は、父・為五郎の死んだ後、病気の母(うめ)と暮らしていたが、借金に苦しみ、⑩松戸へ働きに行く。のっぴきならなくなって⑧煙草屋に口をきいてもらい、⑤いろは茶屋へ身を売った。
 うめの病気は重くなり、⑤菱屋は直の里帰りを許した。今際のきわ、うめは『直はもらい子だった』と伝え、生みの母のことが知りたければ⑮田中屋へ行けと言って死んだ。
 直は、葬儀のあと⑤いろは茶屋へ戻っても、変わらぬくらしぶりだった。
     <地図は、⑤いろは茶屋を終着とする>
 後日、直は親切な石屋に頼んで、⑮田中屋に問い合わせの手紙を出す。

地図7 お直

 ⑥中山文太は、娘と孫から手紙が届き、すぐに行動を起こした。
 手許現金を懐に、⑤いろは茶屋へ。お直に、母親が危急であると知らせ、⑤菱屋に黙って連れ出し(その際、二十両を床の間に残す)、浅草方面へ。
 多分、三ノ輪あたりで舟に乗り換え、山谷堀から隅田川(→荒川)をのぼって行った(地図1参照)。
 ⑯平塚明神の茶屋に着いたあと、6日前に死んだ中村小平治を、茶屋裏に埋め、娘お清の身のまわりを整え(看病)、あとのことをお直に任せて、⑮田中屋へ礼に出向いた。⑮田中屋に言われて⑥井筒屋に手紙を出し、さて娘たちのもとに戻ろうと・・。

地図8 中村小平治の悪事

 中村小平治は、高田藤七郎にそそのかされて、真田家の公金を松井田の本陣にて、強奪した。

 逃走中に仲間を次々殺す高田に愛想を尽かし、金をもって逃げた。
 それが、偶然、高田と会ってしまう。
 (小兵衛は知らないが、高田藤七郎は、浪人二人に声をかけ、⑱乳熊屋という料理屋で、茶屋を襲う相談をしていた)←黒ルート

 小兵衛は内山文太から、中村小平次の二百両の盗み金の話を聞きだすや(お清さんが危ない!)、
「文太さん、急ごう!」
 すぐ➀舟を仕立て★、(青ルート)大川から荒川、⑲尾久の船着きまで直行。⑲から⑯の⑯茶屋までは半里の道程。着いたのは日暮れ。
 ★舟の準備中、大治郎に手紙を書いて、小川宗哲を迎えに行かせた。

地図8 小兵衛は文太とともに川を上る➀→⑲。⑯お清の茶店。 /⑱悪漢三人組

 その夜、盗賊どもは⑮茶屋を襲った。

 高田藤七郎は捕縛されすべて白状した。
 小川宗哲の手当てで、お清は命を取り留めた。
 お直は、横山正元宅にお清ともども引き取られ、正元と結婚した。

 秋が深まったある日、内山文太は突然の逝去。宗哲宅にいた小兵衛の手から杯が落ちた。小兵衛は③隠宅に走る。途中、夕紅大川橋、喧嘩に巻き込まれ、無頼ども7人を大川に投げ飛ばし・・・姿を消した。

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地図データ

上の地図のもとになった記載の抜書・参考資料です。
本文抜書の『51)』等は、文庫本のページ数です。

大川を行く舟

231)秋山小兵衛と横山正元は、➀浅草・橋場の料理屋〔不二楼〕の二階奥座敷・・・二人は窓辺から川面を見下した。猪牙舟の男女。
232)男は、内山文太老人。女は、岡場所の妓(おんな)。

 横山正元は、②牛込の早稲田町に住む中年の町医者。
233)この日、横山正元は浅草で所用をすませた後③隠宅へ。
 小兵衛は、おはるが④関屋村のさとなので、夕餉を外でするつもり。正元を誘い、大川の水を引き込んだ庭の船着きに舫ってある小舟へ。
 舟を橋場につけ、二人は不二楼へあがって飲みはじめたのだった。

「ところであの女は?」
「谷中の⑤いろは茶屋の妓です」

谷中のいろは茶屋とは、天王寺門前町の遊所。

 不二楼での食事を終え、小兵衛は正元と共に隠宅へ戻った。
 舟が船着きへすべり込んだとき、⑥井筒屋作兵衛が飛び出して来た。
236)内山文太は、駿河・田中の郷士の出身。妻の兼が病死し、むすめの浜が嫁いでいる⑥井筒屋へ引き取られた。
 その内山が、一昨日の昼すぎから帰って来ない。
 内山文太が信頼する小兵衛の③隠宅へ駆けつけて来たのである。
238)「よし、わかった。わしも文太さんを探してみよう」
 弥七に『明日の五ツ半(午前九時)ごろに、傘屋の徳次郎を連れ、⑦上野山下の慶雲寺境内で待っていてもらいたい』と手紙に書いて、⑥井筒屋に言づけた。⑦慶雲寺へは、横山正元が行くことになった。

242)四谷の弥七は、⑦慶雲寺の境内で正元からお直の事情など聞きとり、
「ともかく菱屋へ行ってみましょう」
240)〔谷中〕という地名は、駒込と上野の谷間という意味がふくまれている。
243)⑤いろは茶屋の菱屋のあるじ八右衛門に事情をきいた。
「お、親分。お直は足抜けしましたので・・・」
246)二人が逃げた跡には金二十両が残されており、菱屋の損はないと見てよい。
244)お直を世話したのは、⑧下谷の通新町(とおりしんまち?)の外れにある小さな煙草屋で、新兵衛という老爺。

246)弥七は正元と共に、新兵衛宅へ
246)お直は、⑨葛飾の小合という村に住む漁師、為五郎の養女。養父亡きあと、病気の養母うめを抱え、⑩松戸の料理屋ではたらいていた。養父のころからの借金、薬代に苦しみ身売りしたという。
247)「うめが今年の二月にとうとう亡くなりまして、菱屋さんが在所に帰してやったのでございますよ。死に目に会えましてございます、そのときはじめて、もらわれた子だということを知ったらしゅうございます」
248)二人は、最寄りの飯屋で腹ごしらえした。
249)町駕籠で、⑨葛飾の小合村や⑩松戸に回り、あたってみた(収穫無し)。
249)正元と弥七は③隠宅に戻った。
249)大川沿いに探りをかけていた傘徳は1時間ほど前に③隠宅へもどってきた。
249)「わしだけ、楽をしてすまぬな、文太さんが、わしをたよってくる気がしたものだから」
251)「⑪坂本にいる文蔵という御用聞きに、力を貸してもらいます」

252)夜半の驟雨。
 一つの記憶がよみがえった。約40年前のこと。
 ⑫麹町の辻平右衛門道場。内山文太はその半年前に、すでに⑬四谷伝馬町裏の小さな家に住み、妻の兼との間に一人むすめの浜も生まれていた。
 下男の八助が
「内山さんを訪ねて女の人が見えましたよ」
 その後、八助は内山が女と⑭浅草御門の外を歩いているのを見たという。

258)井筒屋が内山からの手紙をもって駆けつけて来た。
 受け取った番頭の幸吉は「早く旦那に」と手紙は手代に、自分は後を追った。男は、⑮浅草・平左衛門町〔篠塚稲荷〕の鳥居の筋向いの宿屋⑮〔田中屋〕へ。「田中屋」の名に小兵衛は注目。内山文太は<田中>の出身。


262)小兵衛は駕籠で⑮浅草御門外・篠塚稲荷へ・・昼前に着いている。
264)午後2時ごろ、内山文太が出て来た。
265)平左衛門町の東の突き当りは大川である。
 内山は舟へ。大川へ出ようとしたとき小兵衛が飛び乗ってきた。
 船頭はあっけにとられた。

事情

266)事情がわかった・・・今、二人がいるのは➀不二楼
 内山の娘のお清は、⑯武蔵の国・北豊島郡・中里(北区上中里)の平塚明神の社・・・。
275)その参道が、王子と権現山をむすぶ〔王子道〕へ出たところに、⑯茶店が一つある。
 ⑯茶店のまわりは杉や松の木立で、小さな広場になっていた。
 ⑯茶店は半年ほど前からやすんでいる。もっとも、亭主はめったに姿を見せない。
276)さて・・・。
 ➀不二楼で、秋山小兵衛と内山文太
「お直は私の孫でござる」

 ⑯茶店では、お直が世話して、ひとりの女が臥床に横たわっていた。
 女はお清。お直とお清は一昨日の夜に、対面した。
277)養母のおうめは死にのぞんで
278)「生みの親については、⑮浅草の平右衛門町にある田中屋という宿屋に行けば教えてくれる」
 お直は、⑤菱屋にもどってからも、変わりなく過ごしていたが、十日ほど前に谷中で石工をしている親切な客に、⑮田中屋宗吉へあてた手紙を書き、これを届けてもらった。
 ⑮田中屋は驚いたが内山文太へ知らせた。
 ⑮田中屋は死んだお静の一件以来、十八歳で駿府の田中を出奔し、江戸へあらわれたお清のことも、いろいろと世話していたらしい。
279)お清は⑮田中屋で女中としてはたらくうち、大工の由松と夫婦になり、お直を身ごもった。ところが、まだ、お直が生まれぬうち、由松は死んでしまった。

悪だくみ

279)⑯平塚明神社からも程近い、⑱王子稲荷の裏参道にある料理屋〔乳熊屋(ちくまや)〕の奥座敷で三人の侍が酒をのんでいた。
280)高田藤七郎、信州・松代十万石、真田家家来。松代藩の勘定方であったが、三年前に不始末で追放され、浪人になっている。
 三人は、これから、⑯平塚明神の茶店を襲撃しようとしていた。
 中村小平次も、かつては松代藩に仕えていた男。
 三人が「女房を叩っ斬る」と言っているのは、お清のことであった。
 高田は中村小平次の死を知らなかった。

中村小平次の死

281)中村小平次は、六日前に急死している。
 内山文太が、孫のお直を連れ、⑯茶屋へ駆けつけて来たとき、重病のお清は、夫の小平次の遺体の前で、途方に暮れていたのだ。
 事情を聞いて、内山文太は中村の遺体を⑯茶屋裏に埋め込んでしまった。
<話戻って>
 夫の小平次が脳卒中で急死したとき、お清は思案に苦しみ、決心して⑮田中屋へ手紙を出した。
 内山は、中村小平次の遺体を埋めた翌早朝に、⑮田中屋へ引き返した。このとき、田中屋に言われて、⑥井筒屋へ手紙を書いたのである。その夜は、⑮田中屋へ泊り込んだ。
280)内山は、ただ一つ、お清から聞かされた秘密を、田中屋へ打ち明けていなかった。中村小平次は二百両隠し持ち、⑯平塚明神内の鎧塚の背後の杉林の中へ埋め込んである。
 しかし、小兵衛には隠し切れなかった。
 小兵衛は、➀不二楼で、息・大治郎へあてた手紙を書き、すぐさま、➀船宿から舟を仕立てて、
「さ、文太さん、急ごう」
 大川荒川へ出て、尾久のあたりへ舟を着ければ、其処から⑯平塚明神の茶店まで、半里足らず。
284)小兵衛と文太が到着したときには、とっぷりと日が暮れていた。
285)小兵衛の心配は、中村小平次が⑯平塚明神の境内に埋め隠した二百両の大金をねらって、曲者が襲って来るやもしれぬということなのだ。
 中村小平次は、急死した当日、暮れ方に帰って来て告白・・・『悪い奴に顔を見られてしまった』・・・すぐに引っ越そう
286)「去年の暮れに、おれは半月ほど旅へ出たな」・・・二百両を埋めてある。

 お清は大工の由松に死なれ、お直を手放した後、何人かの男に捨てられたりしながら、諸方の料理屋や旅籠ではたらいてきたのだ。
 中村小平次と暮らすようになってから、もう七年にもなる。
 ⑯此処の茶店を買い取り、深川から引き移って来てからは、中村小平次が町人の風体となり、外出もしなくなった。お清はこのうえない幸せを感じていたのだった。それが、思いがけない悪事の告白。
 その夜、突然、中村小平次は死んでしまい、お清の持病(心臓)は悪化。動けなくなった。

襲撃

289)高田藤七郎が、二人の浪人と共に茶店へ近づいてきたのは、この夜午後10時過ぎ。

翌日(+後日談)

 翌日、大治郎が小川宗哲とともに来て、お清を診察し、③隠宅へ連れて行った。
296)二百両は、まさに⑯鎧塚の背後の土中に埋まっていた。
 信州・松代十万石真田家一行が泊った夜、浪人たちがこれを襲った。
298)「お清さんとお直さんは、②横山正元さんのところにいますよう」

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