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幕末に文化の断層

 幕末から明治に至る一時を「明治維新」という、と、かつて習った。
 明日から勉強会(地域史)に参加するのだが、どうも漠然としているので、おさらいをしようと思い、いくつか検索してプリントアウトした。
 でも、何を学んだらいいのかいいのか、いまいち自分の中で見えてこない。


 勉強会に先立つ講演会で
「全国史としての明治維新は学校で学ぶし、『新選組』とか『会津白虎隊』、明治偉人伝など、読み物やドラマでよくやっていて、みんな知っていると思うが、自分の住んでいる市町村で何があったのかは、親や近所の大人から聞いていないと思う」
 と、言われた。
 たしかに。
 お城があるわけではないし、華々しい人物伝があるわけでもない。
 民話とか、伝説とかの形では伝わっている気がするけど、なんか、タブーもあったかもしれない。

 第二次世界大戦がおわって(戦後という)、アメリカの占領下、家制度がなくなって、女性参政権が降って来て、そこでも文化断層が起っている。
 そして今、情報化社会という、文化断層が確かにある。ところが、高齢化社会で、古い価値観が多数派だから、新しい芽は爆発しない、戦後のようには。

おさらい・・・明治維新って何年から何年まで??

 関連するテーマ解説項に従い、1868年から1871年までとしよう。
 えっと・・・キーワード『五箇条の御誓文』から、『解放令』まで。
 1868:「江戸を東京と改称し、年号を明治とする」
 解放令とは…「差別されてきた人々の身分を廃止して、こ れからは身分・職業ともに平民と同じにする」という太政官布告(いわ ゆる「解放令」)。

 「明治維新」・定義を検索したら最初に出て来たワード。↓

明治維新とは、幕藩制を廃し、中央集権統一国家と資本主義化との出発点を築いた政治的・社会的変革。「明治維新」という歴史学の概念ができる起源は、当時の人が用いた「御一新 (ごいっしん)」ということばにある。お上の命令によって世の中が新しくなるという意味である。[遠山茂樹]

ジャパンナレッジ

明治と共に終わったもの(リテラシーに関するモノ中心)。

 単位:尺貫法・・・まだ、家の建築(畳)とか、材木の巾とかに残っている。
 お金の単位:両から円になった。円+銭。銭って、英語のセントに似てる。1両1分とか・・・10進法ではない。
 カレンダーや時間の数え方。・・暦は太陰暦、時間は、九ツとか
 着物文化、髪型も。
 筆文字文化
 軍隊制度(要するに武士の隊列、というか)・・それまでも形骸化していたというから、軍隊ではなくなっていたんだろうな。
 多分、地味だけど、銭湯文化とか人の付き合い方も変わってるハズ。お風呂だけで考えると・・家制度では、農家とか商家とかも、大家族(制度)で一つ屋根の下に暮したから、銭湯は必要なかったかも。借り湯はあったかも。それから、宿場などに流入した労働者の長屋(自宅)には風呂無しだったろうから、銭湯へ。ただ風呂に入るだけでなく、社交場だったそうだから、お茶を飲んだりおしゃべりしたり。

学校ということでは・・・

 幕府がなくなるのだから、昌平坂学問所もなくなり、
 藩がなくなるのだから、藩校もなくなり、
 学制が敷かれたら、寺子屋は小学校に移行して、
 足利学校は大学になったのだろうか?・・・(答)土地は足利市に渡され、小学校が立った。

驚異の識字率70%

 どうやら、江戸のことのようで、全国での調査はないらしい。???あるの?全国調査?

『読み書きそろばん』とは

 教科書を検討すればいいのかな?それはさておき。

 「読み」とは、もちろん、識字。7歳にもなると、一定の手紙を書けるようになっていたらしいが、それに至る書道の前提となる「読み」。
 五十音が整理されたのは明治だから、異体字も含めてすごい数を呼んでいたらしい。こどもといえど。
 また、読み能力は、高札や案内など社会生活、江戸時代の文字文化(印刷文化も)をささえる。
 フランス革命とかも読んでいたらしい。

 「書き」の方は、役人の書類書き等で芸術性の追求は困る(意味わかんないから!)から、御家流※という、定型の筆字が普及していた。

 「そろばん」とあるが、関式算術をさすらしい。
 また、江戸時代の複雑な貨幣制度、米価の上下、干拓などの土木工事、尺貫法、距離測定、日(カレンダー=農業に必須)などにつながる、総合的なものだったらしい。

※御家流について、WEB上にはあまり情報がない。
 最初に検索されたサイト・・・

 もう一つ、こちらは説明が独立していて詳細なので下に引用してます。

【御家流】
◆「御家流」の書法は、和様の行草書と仮名を交えた独特のもので、戦国時代に浄書された公文書にすでに見られたものです。
 濃墨の潤筆によって、はっきりと書かれていることから、公的な書類に使用されることが普及し、徳川幕府では「御家流」を公文書書体として明確に位置づけられました。 「御家流」の書き手には、各藩の能書家が選ばれ、書式についての厳しい訓練がなされたものと思われます。
◆先ほどお話ししたように、徳川幕府が早くからこの「御家流」を幕府制定の公用書体とし、高札や制札(法規などを箇条書きに記して、道端や字j社の境内などに立てた札)、公文書などに用いただけでなく、さらに寺子屋の手本としても多く使用されたことで大衆化して、あっという間に全国に浸透したのです。
 そして、この「御家流」は、歌舞伎文字の勘亭流、瓦版、謡曲手本、看板文字など、いろいろ形を変えて、一般大衆(庶民)の書として発展していったのです。

虹のかけはし Brücke

 知りたいのは、今私が何をするといいのかってことみたい。
 温故知新。
 明治維新で思う言葉は、「木に竹を接いだような」。だけどさ、明治維新なら、「竹に木を接いだような」のほうが良いかも。
 だけど、竹の文化もきっと今に生きているはず。さがしてみよう。


#今年学びたいこと


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