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化学の先生

 みんなのフォトギャラリーの『人物』を見ていたら、懐かしい顔に再会した。
 と言っても、その方の写真があった、というわけではない。イラストの女性が恩師にとても良く似ているのだ。私たちの高校は女子高で、スポーツが強かった。美術部も書道部も良い成績を残し懸垂幕が何本も取り付けられて・・・。そんな校舎までが思い出される。私はそのどれとも関係なくて、むしろ帰宅部系だった。
 ・・ああ、懐かしい。先生、どうしているでしょう。多分当時で母と同い年。いえ、一つ、二つ上だったか。寿退社されてしまい・・・退社とは言わないか、教師だから。
 私たちが卒業して2年後くらいに、遠い南の島に行ってしまった。でもまあ、それは別の話。初対面のときの印象が、まず、忘れられない。

 私たちが高校に入ってすぐ。
 初めての化学の授業。そのころ、中学までは「理科」と言ってひっくるめて学んでいたものが、高校では専門科目(物理・化学、あとなんだろう、地学もあったか?)に分かれていた。今でもそうだろうか?
 物理も化学も女性教師だった。

 物理の先生は普通に『物質の・・・』と始めたが、化学の先生は違った。
 まあ、お二人ともご挨拶はあったのだが、そのあとのことだ。
 化学の先生は、
「物理と化学の違いが分かる人」
と、問いかけてきた。何も考えていない私たちに手をあげる気はない。まして周りは初対面同然なのだ。

 先生は適当に指してきた。指されたのは背の高い、細身の子だった。
「物理だから、物についてで、化学は化けるだから、化合物とか変化について」
 もうちょっとちゃんと答えたかもしれないけど、私がうろ覚えに覚えているのはそんな感じ。言葉から推理してたのだけはホント。
 で、刺されたら困ると思っていた私は、多分、私たちはその子の回答に驚いた。へぇ、すごい!先生は適当に指したんじゃないらしい。みんな、その子に注目した。
「なるほど。では状況に合わせて考えてみて。例えば、茶碗を洗うとき」
 え?何言ってるの?別の子が指された。
「えー、わかりません」
「考えなさい。茶碗を洗うとき、物理的に洗うのはどういうとき?化学的に洗うのはどうするの?」
 別の子が指された。その子は、前の子がわかりません、と言って自分に回ってきたので、ほっとしていた。私も許されるだろう。で、1回指されたら終わるだろうって。
「わかりません」
と言った。先生はカチン!ときたようだった。声に不機嫌が上乗せされて
「考えないでどうするの。考えなさい」
と、後半は全員に向かって行った。キリリという雰囲気が立ち込める。
 先生は窓側の一番前の席の子を指名した。
「茶碗を洗うとき、物理的に洗うっていうのは、スポンジとかでこすり落とすことで、化学的に洗うのは洗剤を使って洗うことだと思います」
 え。答えられる子がいるんだ。私には目からウロコだった。勉強は机の上でするもんだと思っていた。それともテストで赤点をとらないこと。実生活に即して考えられるなんて。それも同じ教室の同じ1年生だ。
「あ、いいんじゃない」
 先生の声が元に戻った。鈴を振るというのがぴったりのコロコロとした発音のきれいな声の先生だった。感情を隠せない人なのかもしれない。それともそれも教師の技術だったのか?今ならそこまで考えられるけど、そのときは何となく『正直な・・先生らしくない先生』の印象がしがみついた。
「じゃ、物理的・化学的の例を出しなさい」
 答えた子(窓側の一番前の席)の後ろの子が指名された。・・・これは危機的ではないか?次にその次の子が指され、私までくるかも?、いや、私は廊下側の4列目。たいてい、1列で終わるだろう。心は疑心暗鬼に揺れる。
 それほど私は発言が嫌な子だった。
「えっと。例は雑巾がけで、物理的は雑巾で拭く。化学的はバケツに洗剤を入れて拭く」
「よし、ハイ次」
「洗濯で、『洗濯板で洗う』と、『洗剤で洗う』」
 洗剤を使うと化学的になるらしい。これは次の子も使った手である。
「蠅で、ハエタタキで『たたく』のと、『シュー』で追い払う」
 みんな笑った。
「病気で、『外科手術』と『薬』で治す」
 あとで医者の子だと知った。
「家のリフォームで、『壁を壊し』て作り直すのと、『ペンキで塗』ってきれいにするのと」
「う~ん、よく考えているけど、ペンキで塗るのも物理的かも?」
「風呂のガラスで、白いのを『擦り落とす』のと、『檸檬』で溶かすのと」
「よく考えたね」
 これは褒められた。母親がやっているという。このころには2列目に入っていて、私たち4列目もこっちまでくる、と考え出していた。最初に指された子たちは指されたときは不運だと思ったのだが、終わってホッとしていた。
 2列目の最後の方になった。私たち4列目はいつ終わるかとハラハラした。もう、他にどんな例があるのだろう。

 その子は、もじもじしていたが、私たちの雰囲気を代弁することにしたようだ。
「わかりません」
「考えなさい」
「だってぇ先生、みんな出てしまったんだもの」
 私たちは笑った。
 いままでのやり取りで、優しい先生と感じていた、みんなも一緒だったのだろう。そろそろ許してくれるだろう。その子のおっとりとした声に教室の残り半分が寄り添った。
「物理的と化学的の違いの例は星の数ほどあるんだから、この教室の全員が答えても無くならない。」
が、先生の答えだった。絶対に許してもらえないんだ、そういう先生なんだとあと半分の机は思った。いや、その一瞬の切実さをはともかく、1列目・2列目の答え終わった半分だって肝に銘じたに違いない。筋金入りの優しさだ。こういう先生はキツイ。
 高校生の無鉄砲さで乱暴な答えが続いた。先生は笑ったり、訂正したり、落胆したりしたけど「わからない・考えていません」という答え以外には寛容だった。私たちも笑ったりアイディアを出し合ったりして、私語が飛び交った。乏しい知識を絞りつくし、出まかせを言って先生に止められた。
 クラスを一巡し終わったとき、物理と化学の授業は別物になって、洗剤や薬や庭仕事、人体が面白くなっていた。
 歯は物理的に食べ物を壊し、唾液は化学的に溶かす。胃液も膵液も。筋肉は物理的に人を運ぶけど、体内は化学的な力が働いている。
 そして、物理と化学を使いこなしている母(主婦)は、すごいよね、ということになった。

 大人になって、ふと、この時のたわいのない会話で終わった1時限がよみがえる。しょうもなく盛り上がって、だけど、教科書は全く進んでいない。
 忘れられない、何だったんだろうと思う。

 

 

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