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武蔵御宿捕物帖-7

あらすじ

 辰之助は八王子千人同心だ。日光東照宮の火の番を勤めあげて帰る途中の扇町屋で捕り物に出くわす。その時あった男の笑顔に引っかかって、所沢まで行ってみた。出会ったのは、男とは似ても似つかない小柄な少女だった。
 捕り物の男(実は女)は、所沢の岡っ引きだった。相棒と共に町を守っていた。件の少女とは姉妹の間柄。悪い虫なら容赦しない。

出入り

 千人同心の小頭に青梅街道で追剥にあった話をしたら
「私らの道で追剥とはゆるせない」
 いつもは<うん、うん>としか言わないお頭(役名:小頭)が珍しく怒った。
 外の小頭にも図って、道普請のための調べという名目で、街道沿いを確認することになった。馬の水飲み場などの確保も大事な道の機能である。
 これには辰之助は驚いた。何か、余計なことを行ったのではないかと思った。

 道普請の下調べと銘打っての、しかし、組織的な動きであった。もちろん、道の中央が極端に減っている場所は急いで普請をしなければならないし(まずは書類の提出から)、側溝の掃除が怠っているところは名主経由で<千人同心小頭>名で非公式ながら通知。ここはいつの間にかきれいになっていて、書類的にはスルー。道の巾まで野菜を植えている者や道の水場(井戸)の水を売っているものなどが判明して指導。などなど。
 苦情の多かった馬の水飲み場もテコ入れに成功した。じつは、代官所の下っ端を動かして近くの村を担当に祭り上げ、一番近い家を頼んで、給米を実施することにしたのだ。目に見えて苦情が減った。
 表向きにそれなりの成果を上げ、川越の殿様にまで噂が届いたという。
 こうした動きは、与太者の動きを抑制したようで、イザコザが減った。八王子の商人にも評判がよかった。

 そのころ、以前所澤で捕まえた、仙造一味が解き放ちになったとの情報が所澤に回って来ていた。名主は眉を寄せた。5両の盗みで首が飛ぶのが御定法だ。あいつらは少なくとも8両を掏っている。どこかで誰かが手を回したに違いない。そうなると、所澤に意趣返しが戻ってくる可能性がある。

 さて、八王子と街道周りの治安が戻ったと行事連(世話役の事)が喜んだころ。周辺の市での嫌がらせが始まった。いや、嫌がらせなどではない、愚連隊の集金活動なのである。刀を帯びた数人のものが、手当を出せと言ってまわっているのだという。武士が農民に戦費を負担せよと迫ったら、農民は協力しなくてはならない、という不文律が土地にはあった。ことを構えることを避ける農民の暮しのクセにつけ込まれたという風でもある。
 五日市の市場では、メインが炭市とあって杣仕事で鍛えた威勢のいい若い衆と浪人崩れとが小競り合いになって、関八州が動き出した。

 所澤寄場組合村に通知が届いたのはそれから間もなくのことで、出来るだけ人足を出せとのお達し、一斉の銃刀法取締をやるという。
 道案内は総動員で、事実確認、宿などの情報収集に取り掛かった。どこの「市」も他人事ではない、何十両単位で脅し取られる商家が続出していたのだ。上州と上総で親分同士の争いが起っていたが、どちらの争いと関係しているかもわからない。とにかく、無宿人の数が飢饉の後に増えすぎて、取り締まるのも一苦労だ。

 江戸には人足寄場があって、江戸市中ではトラブルが沈静化していた。その余波として取り締まりの緩い関八州に人が拡散していった。表面的には静かだったのは、大きな親分衆の手下になる形で吸収されていったからだ。だが一定以上の人間の波は器からあふれて行く。あふれた人々は、それでも暮らしていかなくてはならないから、手っ取り早く、弱い者いじめに走ったのだろう。
 用心深く早めに手を打った所澤宿は表面、平穏である。資金も温存できていた。しかし、小さな市では度重なる狼藉が負担となって、廃止を決断するところも出てきた。もともと、基盤がぜい弱なのである。稼ぎのほとんどを巻き上げられては、村で市を開催するうまみがない。
 道路がよくなり、水場も安泰、ちょっと遠くても最寄りの市と決めたならエイッと朝早くに出ればいいのだ。それに、町内の御用聞きがたいていのものを運んでくれる。いまさら、与太者と争ってなんとしよう。

 全体が暗い雰囲気となり、活気が消えた。

 遅まきではあるが、集団となった悪人との対決の準備が始まった。

 ところが、情報が洩れているらしい。
 所沢寄場組合村の寄り合いでは、名主連中が頭を抱えていた。押さえた宿を八州に通報すると、三日後くらいにヤサが空になっているのだ。人相書きを書き終える前、もしくは、人相書きを送付したはずなのに
「紛失した」
と、ぬけぬけと<八州廻りの書類方>が言うものだから、高札にあげることもできない。

 それでも、取り締まり当日を迎え、武蔵野一円で動員された人足たちは、八州廻りを先頭に市周辺を巡回した。八州廻りは5名の当番に、いつもは非番の10人を加え、臨時出役も含めると多摩地方の市周辺はカバーできる計算だ。
 所澤村の名主・総惣代は、これだけ情報漏洩があるのだから、見回り中に悪人に出くわすことなどないと踏んで、自分は自宅待機、若い者を総動員、各地へ応援に走らせた。
「よく見てこいよ、できるだけ、他の村の者と話して来るんだ、できれば酒を酌み交わしたり、市を行き来する約束を取り付けるとかが、きっと役立つ」

 テツと馬とは、五日市村へまわった。総勢100人。配置された中では一番人数が多い。
 五日市村の町外れ、普段市が立つ広場(市庭という)に勢ぞろいした。
 五日市の市場での「出入り」が今回の手入れのきっかけであったから、八州廻り側も力が入っていた。
 俄か取締隊とあって、その場で10人ばかりの組を作り、地図を頼りに東西南北に散った。村境まで行き右回りに巡回して、またこの広場に戻ってくる、という段取りだ。
「まぁ、何もないだろうがな」
 というのが、参加者の思いで・・・というのもこの時代、噂千里を走るで、非公式の連絡網が発達していたのだ。
 テツは能天気な馬に、こっそりとくぎを刺す
「おい、油断するなよ、御役目だぞ」
「ふふふ、親分、合点でさ、ふふふ」
 何とも無責任なものである。
 夏空は高く、真っ青な大豆若葉で埋まった青い畑の周辺は畦畔茶が丸いフォルムを並べていた。ほんとうはダメなのだが、丸い茂みの上をさあっと手で払うと、いい香りが広がった。ああ、おちゃだ。

 村はずれに近づくと桑畑が畑まで迫っていた(これは畑にも植えているな)。御定法では畑に穀物以外を植えてはならない。もちろん、輪作の範囲であれば、穀物以外にも植えていいが、桑・茶など木になるもの、収穫までに1年以上かかる物を植えてはならない、とのお達しなのだ。印判まで尽かされている。農家にとっては、穀物は年貢で全部抑えられてしまうわけで、輪作といいつつ、換金作物をいかに効率的に植えるかが、大事だった。馬五郎は警戒しつつも、農業経営のコツを盗もうと観察していた。ここらあたりは江戸に近く、情報先進地なのだ。

 村はずれから引き返してしばらくすると、スルドイ笛の音が響いた。
 本能的に音のする方へダッシュする。どうやら南の街道沿いらしい。てんでに走り、訓練通りに武器・縄を確認する。
 街道にあがる手前のちょっとくぼんだ広場で、出入りが始まっていた。
 相手は10数人、どうみても浪人だが着流しに太い刀をかまえていて、その足元に人が転がっている。先についていた駒吉が
「寺の裏手の小屋で酒盛りをしていたんだと。声をかけたら、刀で脅すから笛を吹いたといってた、斬られた奴は向う側から走って来て事情がわかってなかったらしい」
 笛の音に飛び出して、出会い頭に斬られたのだろう。

 馬五郎は相手の値踏みをした。そして目を走らせると、見慣れない町人が自分らの中に混じっている。違和感があった。草履だ。
 馬五郎はそいつに突進すると縄を打った。
「なにをするんだ!」
 声が飛ぶ。
 だが、もっと驚いていたのは、刀をかまえた浪人である。突然真っ青になると、そいつを取りもどしに来た。そこを小鉄が薪雑砲で打ち据えた。あとはもう、喧嘩上等のいつもの取り締まりだ、わらわらと集まってくる捕り手の勢いで、全員をふん縛った。

 それがこのときの捕物である。
 残念ながら人足に被害者が出た。思わず涙したのは、一人ではない。明日は我が身のご時世なのだ。

 10カ所の手入れであったが、3カ所で成果があった。

 だが、大親分傘下の者は、証拠や人相書きを提出したもの・噂のあったものなどを含めて、逮捕には至らなかった。どこかで大笑いをしているに違いない。老中の太田様(川越城主)は歯噛みしたが、予想したものでもあった。内通者がいるに違いない。

 3カ所での逮捕者はいずれも、江戸からの流れ者で、その日暮しの乱暴者たちであった。自白・証拠の範囲では係累は無かった。
 この者たちの逮捕は、大きな取締の結果であり、数日で裁可され、強盗・盗難などの前歴のあるものはとくに厳罰に処せられた。一番軽いものも、島流しであった。これは見せしめの意味があったのだろう。減刑願いを提出する暇もなかったのであるが、元村や藩とのつながりも切れていて、その可能性もなかったのである。

 上州の村で逮捕者が出たという噂が寄場組合村の会合で噂された3カ月後、八州廻りの大仰な人事異動があった。ほぼ全員が変ったのである。しかも、御咎め付き。遠島に処されたものもいた。寄場組合村の大名主が賄賂の罪で軒並み処分を受けた。八州廻りが来るたびに、接待し金子を用立てていたことが、わいろに当たると断罪されたのだ。寝耳に水の処分だった。いう通りにしなければ何をされるかわからないという、切羽詰まった中でのやりくりであったからだ。

 だが、異動後の役人たちは、どちらかというと小心な事務方が多く、おとなしいもので、在方はホッとしたのも事実だ。
 以前は良くて御家人の手付と庶民出身の手代の組だったが、今は手付は旗本と決まったらしく、必ず一人は旗本格でいろいろ事情を知っていた。請願なども、そっと書き方を教えてくれたりする。感謝の気持ちで夕飯などに誘っても堅持するのが水くさいというか、まぁ、それはそれで感謝になるのだが。

 武蔵野台地の夜は久しぶりに穏やかに過ぎて行った。

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