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剣客商売第15巻 特別長編・二十番斬り

※当記事は『剣客商売』の場所をテーマに地図で遊んでます※
<物語>
 新暦なら、5月5日、暖かくなってきた。
 小兵衛は目眩に襲われ、わずかに呻き、横ざまに倒れた。驚愕の悲鳴が、おはるの口からほとばしった。
 小川宗哲が往診に来て、年のせいだと請け合った。
 おはるは小兵衛に「留守にしても大丈夫か」と、何度も念押ししてから薬をもらいに出て行った。小兵衛はむさぼるように眠った。
 ・・・
 庭にあやしい話し声がする。小兵衛はすっと立ちあがった。目眩は無い。向うの物置小屋の前に侍が二人。小兵衛は声をかけた。
「おのれらは何者じゃ。盗賊どもか」

 今まで作ったものは「目次」記事でチェックいただけると嬉しいです。
 切絵図はお借りしています。出典:国会図書館デジタルコレクション
 ではでは。机上ツアーにお付き合いいただけますよう。


地図(画像)

地図1 伊関助太郎の受難

(1)助太郎と豊松は、屋敷から逃げたものの、追手の追及に困り果て、師匠・小兵衛の隠宅の物置に隠れる・・・3/15早朝<逃げたのは3/14?13頃?>
(2)すぐ襲撃ありと予期、大治郎宅(道場)へ。3/15(日が落ちるまでに)
(16日未明、隠宅襲われるも撃退。移したのはバレてない・・ハズ)
(3)とっさに大治郎宅へ預けたものの、道場で稽古ができない・田沼の稽古も休むことになる(近所の噂などで助太郎がいることがバレそう)等々から、関屋村へ移すことにする。3/18朝まだき。稽古を休んだのは16・17のみ。

小兵衛の家は奥に見えるが、当時は川が入り組み、池沼もあって、庭先までの堀(舟着)有。

 助太郎が何もしゃべらないため、事情がわからない。

地図2 皆川石見守・抱え屋敷

 隠宅を見張る男を徳次郎は尾行。男(黒)は、隠宅の前の堤を上り、水戸家・下屋敷の前まで大川沿いの道、そこから源森川に沿って左へ曲った。そして本所の小梅村まで来ると、➀大きな武家屋敷の裏門から中へ。
 徳次郎は②真法寺・門前の茶店へ「御旗本➀皆川石見守・抱屋敷」
 裏門からあの男。横川辺りの道→大川端の道→●吾妻橋を西へ→③橋のたもとの船宿〔福本〕。しばらくして猪牙舟へ飛び乗った。
 徳次郎は(あの野郎、船頭だ)と直感、③船宿の福本で橋場までの舟を頼み、舟に乗ってから船頭に尋ねると「④深川の熊井町にある玉屋さんという船宿の船頭」と教えてくれた。

地図2

地図2の2(補足)「④深川の熊井町にある船宿〔玉屋〕の船頭」
 緑④がそこ。東へ行くと㉔富岡八幡宮。⑱又六の長屋、その先に木場。

地図2の2

地図2の3 ちなみに本邸(皆川石見守・上屋敷)は、神楽坂上
 この辺かな?くらいの特定です・・。

地図3 <第3話 誘拐 関係≻

小兵衛ファミリーへの誘拐でなく、小兵衛が「服部宗全」誘拐!

横山正元の冒険
 正元は小川宗哲医師のもとで、助太郎の薬を整え、関屋村へ帰宅途中、皆川石見守・抱屋敷を見ておくつもりになった。とんでもない人を見つける。それは、博奕場でよく会った服部宗全という悪徳医師。それも、横山正元が強いと知って姿を消した胡散臭いヤツだ。

(青ルート)横山正元が横川沿いの道を⑥法恩寺に。ー正午ー間もなく、右手に徳次郎から聞いた茶店が見え、田圃道を②茶店の裏側へ。
<本文では、おおむねこのように書いている>
 その中年男は、いましも➀皆川屋敷の表門前で町駕籠から降りたところであった。男の名は、服部宗全、以前は正元と同じ町医者。<黒ルート>
116)➀皆川屋敷の塀に沿って、宗全は小道を左へ曲った。
 服部宗全が➀皆川屋敷の裏門の中に消えて行ったではないか。
 <青ルート>それから間もなく、服部宗全が➀皆川屋敷からあらわれ、⑥法恩寺の方へ去った。宗全は、⑥法恩寺・門前町で町駕籠に乗った。

地図3の1:同じ医者である宗全をみて、横山正元は捨て置けなくなった。

正元情報:「⑦下谷の山伏町に長円寺という寺があり、裏手に小さな家」

地図3-2

 小兵衛は次の日、宗全を誘拐する。
 宗全がいるのを確認、浪人3人の訪問も蹴散らし、用意した駕籠に宗全を乗せて送り出し、自分は宗全宅で何やら調べもの。

地図4 <第4話「その前夜」関係≻

 小兵衛は、兄弟子である松崎助右衛門宅(納屋)へ、宗全を担ぎ込んだ。
 隠宅の場所は、東京都渋谷区千駄ヶ谷。

地図4の1 宗全宅から千駄ヶ谷へ。

 小兵衛は、拷問によって、真実を知る。
 知らせねばならない人(豊松の祖父)のもとへ危険承知で出かけて行く。

 宗全を誘拐するにあたり、大治郎の助けを借りた。大治郎が帰るとき、
「又六に来るように言ってくれ」
 小兵衛は、先様を訪問するにあたり、隠宅に戻って正装しなくてはならず、又六に来てもらって、千駄ヶ谷の様子をのみ込んでもらい、駕籠の手配やら、連絡やらを頼む。おはるには隠宅に待っていて貰わないといけない。

 青ルート>大治郎は関屋村へ警備にもどって行った。
 黒ルート≻又六は往復している(復路で駕籠駒で駕籠の手配)。多分おはるは一日一度は隠宅へ行くと思うので、隠宅までか?その後、小兵衛が来るまで隠宅で待つ。
 赤ルート≻小兵衛は、次の日9時の駕籠を待ち、隠宅へ。正装し駕籠に乗った。又六も駕籠でいっしょに麹町へ。

地図4の2

(本文より)小兵衛は、麹町九丁目にある〔枡屋〕という蕎麦屋の前で駕籠を降りた。
 その店は、四谷御門を入って、すぐの左側にあり、小兵衛が道場をかまえていたころからの、なじみの蕎麦屋であった。
160)道の両側は、麹町一丁目から九丁目までの町屋で突き当りは半蔵門だ。
 小兵衛は、⑮麹町八丁目にある〔山城屋〕という小間物問屋の前で足を停めた。

地図4の3

 小兵衛は、⑮麹町八丁目にある〔山城屋〕での話し合いを終え、店を出た。お店の者から、店も見張られていると知らされる。
 店から出た小兵衛は、まず、不測の事態に備えて連れてきていた又六を、待たせている⑭蕎麦屋から呼び出し、千駄ヶ谷の交代に送りだした。
 又六の駕籠を尾行しようとしていた船頭の長吉は舌打ちする。
 小兵衛は、四谷御門外の⑯茶店に入った。
 小兵衛は、神田御門内の田沼屋敷へ、事態終息のため、相談に行くことを決意し、麹町の通りを半蔵門に向けて歩き出した。船頭の長吉は、小兵衛の尾行にかかった。

小兵衛が、田沼屋敷を出たのは、午後8時過ぎ。

 小兵衛は神田橋御門を出て、八ツ小路の方へ歩み出す。
 ⑰八ツ小路をすぎ、筋違い御門を右へ曲り、少し歩いてから⑱柳原の堤へあがって行った。秋山小兵衛は左に神田川をながめつつ、堤の道をゆっくり東へ歩む。⑲和泉橋をすぎたところで、小兵衛の足がぴたりと停った。
 突然、堤の下の木蔭に潜んでいた覆面の浪人が三人、小兵衛の前へ。同時の小兵衛の後ろに二人。
 それを見ていた浅井源十郎と船頭の長吉。
 傷を負った曲者、神田川から這いあがって来た曲者など、それぞれに何処かへ姿を消し、浅井源十郎と長吉も堤から立ち去ったころ、秋山小兵衛は浅草御門を出て、大川辺りの船宿で舟をたのみ、●鐘ヶ淵の隠宅へ向いつつあった。

地図4の4

 隠宅へ戻った小兵衛は、おはるとともに、関屋村へ。
 小兵衛は正元に、宗全の身代わりを頼む。

地図5  <第5話「流星」/第6話「卯の花腐し」関係>

 新しい場所は無し。

 横山正元は、五ツ半(午前9:00)●隠宅へあらわれ、小兵衛と二人、堤の道を南へ向い、本所の小梅村へ。
 小兵衛は茶店で待つ。
 横山正元は、➀皆川石見守・抱屋敷の裏門へ向う。
 <宗全からの伝言は、明後日午後6時家老に直接、毒薬を渡す>
 しばらくして正元は無事に裏門から外へ出た。小兵衛は思わず、安堵のためいきを洩らす。

 助太郎の今際の時が近づき、横山正元は行けなくなった。
 替わりに杉原秀が、宗全の妻もよとして、皆川石見守・抱屋敷へ。
 浪人二十五人が屋敷内に潜んでいた・・・。

 


地図データ

 上の地図のデータです、地名等について、本文の書き抜きをしています。また、江戸時代の地図で場所の特定など・・。
 なお、本文抜書の『51)』等は、文庫本のページ数です。
 ●は、剣客商売ではよく出る場所で、本編とは別のレイヤーにひとまとめしました。

目眩の日

34)●隠宅。未明(深夜)小兵衛の目眩・・おはる、●小川宗哲に往診を頼むため●木母寺・境内の茶店へ。
 宗哲が診察して「年相応の変化が起こっているだけ」という。
 薬を飲むと楽になり・・ 
44)おはる、●小川宗哲宅へ煎じ薬を取りに行く。
 小兵衛は深い眠りへ。
45)しばらくして・・・裏庭で人声。侍が二人、物置の戸を開けようとしている。小兵衛・追い払う。

51)物置の中に、侍と4、5歳の子供。
「伊関助太郎でございます」
56)おはるは大治郎を呼びに舟へ。(隠宅船着き→大川から●橋場へ)●大治郎宅
57)大治郎が大刀を腰に、おはるの舟にのりこんだ。

58)子供を抱いた伊関助太郎は、●大治郎宅へ秘密裏に移動。

62)おはるは食事をして、小兵衛と●宗哲宅へ行くことにする
  <助太郎がいると思われている●隠宅は必ず襲われ=危険>
63)●〔鯉屋〕で二挺の駕籠をよび、●小川宗哲宅へ向った。
64)おはるは●宗哲宅に残り、二挺の駕籠に、小兵衛と宗哲が乗って●大治郎宅へ。<宗哲:伊関の手当て・小兵衛待&打合せ≻
 宗哲・小兵衛は二挺の駕籠で●宗哲宅へ帰り、一挺は返し、一挺は小兵衛を乗せて北へ。

69)こうして小兵衛は●隠宅へ戻った。
72)未明。敵は合わせて七人、居間へ、台所へ躍り込んできた。
 小兵衛は目眩に襲われながら、撃退した・らしい・・記憶にないが家は血だらけなれど、小兵衛は怪我もしてない。

皆川石見守屋敷

73)●鐘ヶ淵の隠宅。・・・(メモ)助太郎と豊松は、●大治郎宅
 翌日昼前に、駆けつけて来た弥七と徳次郎。
 小兵衛はその夜の襲撃について<記憶がないと>語るも弥七も徳次郎も信じない。

77)回想<秋山小兵衛が、伊関平左衛門を知ったのは30数年前のこと>。
 そのころ小兵衛は、無外流・辻平右衛門の高弟として麹町の道場へ通い詰め、恩師の代稽古をつとめていたのである。
78)伊関の自宅は、千駄ヶ谷の正覚寺の裏と聞いた。
81)伊関が急死したのは、明和4年(1767)秋。弥七が亡父の跡を継いだ次の年・小兵衛49歳「今から17年前のことじゃ」
83)明和5年 その正月の或る日の夕暮れどきに若い侍が訪ねて来て
84)「死去いたしました」
87)伊関助太郎は、秋山家の傍の竜谷寺の門前へ出た。
 坂道・鮫ヶ橋方向へ坂道を下って行きかけた・・・と、鮫ヶ橋の方向から上ってくる侍。助太郎が身を転じ、谷町の方へ行きかけると、こちらへ下って来る侍が二人。助太郎は身をひるがえし、秋山道場の北側の空地へ飛び込んだが、三方が武家屋敷の塀で逃げようがない。
88)助太郎の太刀が撥ね飛ばされるのと、秋山小兵衛が道へあらわれたのが、同時。
91)その年の初夏、大治郎は大原へ旅立ち、その後間もなく伊関助太郎が訪ねてきて、小兵衛道場へ入門した<いざのとき、自分の剣は役立たぬ>

小兵衛の回想シーン

92)井関助太郎の急変を三冬が知らせに来たので、小兵衛と弥七は舟へ。
 徳次郎は●隠宅の見張りに残った。
 その日の朝、助太郎の様子に驚いた大治郎は、●小川宗哲宅へ駆けつけ、宗哲を駕籠に乗せて引き返してきた。
 入れ替わって、三冬が小兵衛に知らせに出たのである。
94)助太郎の容態は落ち着いたものの、
「それにしても人の手が足りぬ」
 と小兵衛。●早稲田の町医者・横山正元を呼ぶことにし、おはるが●正元宅へ向った。

98)傘屋の徳次郎は一人残って、庭の船着きの向うの木蔭へ腰をおろし、●小兵衛宅を見張っていた。
 裏手から男がひとり出てきて、縁側へ近寄り頭を突っ込んだ。
99)その男は堤への小道をのぼって行く。徳次郎は尾行を開始した。
99)男は、水戸家・下屋敷の前まで大川沿いの道を歩き、そこから源森川に沿って左へ曲った。そして本所の小梅村まで来ると、➀大きな武家屋敷の裏門から中へ。

※下の切絵図、黒ルート>男の歩いた道のり。黒丸「ここかここ」>辺りに皆川石見守・抱屋敷があるものとして地図を作る。

小梅村に皆川石見守・抱え屋敷。裏門の先に新法寺門前。男は横川から出て来る。

99)それを確かめてから、徳次郎は近くの②真法寺という寺の門前にある茶店へ。
100)「あれは御旗本の➀皆川石見守の抱屋敷でございますよ」
100)裏門からあの男が出て来た。
101)徳次郎は、横川辺りの道へあらわれた男の後を尾けることにした。
 男は、またしても大川端の道へ出て、●吾妻橋を西へ渡った。
 男は、③橋のたもとにある〔福本〕という船宿へ入って行った。
 男は、猪牙舟へ、ひょいと飛び乗った。
(あの野郎、船頭だ)
102)徳次郎は、③船宿の福本へ行き、
「急に、すまないが、●橋場まで舟を出してください」
「よござんす」
舟に乗ってから船頭に尋ねると
「・・あの人は、④深川の熊井町にある玉屋さんという船宿の船頭・・・」
103)徳次郎の報告に、小兵衛は喜び、武鑑で皆川石見守正顕を調べた。
 石見守の本国は大和(奈良県)の内にあり、本邸は⑤牛込の神楽坂上

106)このとき(夕方)、横山正元と共に、おはるがもどって来た。
「おはる、助太郎が正気にもどったら、●お前の実家(さと)へ移したいと思うが、どうか」
「あ、それがいいですよう」

誘拐

114)その日。・・・3月20日(新暦5月10日:助太郎の危急を救ってから5日後)・・・(メモ)助太郎と豊松は●関屋村にいる
 横山正元は、●本所・亀沢町の小川宗哲宅へ行き、伊関助太郎のために薬をととのえた。
 今、助太郎と豊松は●関屋村のおはるの実家へ身を移している。
 一昨日の朝まだき、手を分けて警護にあたり、おはるが舟で、二度にわたり、助太郎と豊松を移動せしめた。
 ●橋場から舟を出し、大川をわたって綾瀬川へ入り、●関屋村まで運んだのだ。
 そのまま、正元は助太郎につきそい、小兵衛とおはるは●鐘ヶ淵の隠宅へもどったのである。
 正元は➀皆川石見守の抱え屋敷を見る気になった。
115)横山正元が横川沿いの道を⑥法恩寺のあたりまで来たとき、すでに九ツ(正午)をまわっていたろう。
115)間もなく、右手に徳次郎から聞いた茶店が見えてきた。
 正元は、田圃道を②茶店の裏側へまわってみた。
 その中年男は、いましも➀皆川屋敷の表門前で町駕籠から降りたところであった。
 男の名は、服部宗全といい、以前は正元と同じ町医者。
116)➀皆川屋敷の塀に沿って、宗全は小道を左へ曲った。
 服部宗全が➀皆川屋敷の裏門の中に消えて行ったではないか。
 
 徳次郎は引き続き調べて回っている・・・船頭の名は長吉。

118)②茶店で、横山正元は思案していたが、心が決まると、小兵衛へ手紙を書き始めた。
 横山正元は、ついに、服部宗全を尾行し、その居所を突きとめることにしたのである。茶店の老爺に手紙を託した。
 それから間もなく、服部宗全が➀皆川屋敷からあらわれ、⑥法恩寺の方へ去った。宗全は、⑥法恩寺・門前町で町駕籠に乗った。

119)日が落ちて間もなく、●隠宅へ町駕籠に乗ってあらわれた横山正元が秋山小兵衛に告げた。
「⑦下谷の山伏町に長円寺という寺があり、裏手に小さな家」

 正元は、服部宗全がどんな男であるか、小兵衛に子細を伝えた。
<悪徳医者、盗み・毒薬、不法手術で死なせたことも>
 正元は●関屋村へ。小兵衛は●隠宅で弥七を待つ。
122)闇の中、弥七が庭先へあらわれた。
「皆川石見守は病気で引きこもっています」
 小兵衛の中で何かがつながった。
124)小兵衛は、●木苺寺へ・・2通の手紙を頼む。
125)尾行者有。小兵衛の投げた石が尾行者の提灯に命中、そいつは逃げた。

<尾行者の行った先>

「おどろいたの、なんの・・・」
 男は⑧下谷の通新町の、泥鰌なべを売り物にしている〔川半〕という店で、男の相手は、かの船宿・玉屋の船頭・長吉だ。
 男は、留と呼ばれていた。留は先に帰った。
127)ここからは⑨千住大橋が近い。
 船頭の長吉は通りを突っ切り、⑩真正寺という寺の横道を西へ入って行った。
 真正寺の裏へ出ると、あたりは一面の田園風景となる。
128)木立の中の道を少し行き、長吉は⑪大岡信野守(下野・黒羽一万八千石)の下屋敷の潜門から中へ消えた。・・ここも夜になると博奕場となる。

129)中間頭の駒蔵が近寄ってきた。長吉は苦情を言う。
「お前さんにたのんだ人は、まだ顔をみせねえよ」
「え。・・・」・・つなぎはつけてあるという。
130)「その人は強いのかい?」
「浅井源十郎という人はね、あっという間に浪人五人を斬った手練者だ」
 そのとき中へ入って来た浪人が、浅井だった。
131)「半月ほど小田原へ行っていて、帰ったばかり」
 長吉はその浪人に凄まじい血の匂いを感じた。

131)翌日。秋山大治郎は●田沼屋敷の稽古に行き、小兵衛とおはるが●関屋村に詰めた。
132)午後になり、鰻の辻売りの又六と杉原秀が前後して、●関屋村へ小兵衛を訪ねてきた。
133)横山正元は、この日の朝早く●自宅へもどって行った。
134)このときから、杉原秀が●関屋村に詰め切り、伊関助太郎と豊松とを護衛することになった。
 さらに小兵衛と大治郎が交互に詰め、おはるは●隠宅と●関屋村との連絡を受け持つ。
 そして又六は●隠宅にいて、小兵衛と行動を共にするほか、舟で諸方と連絡をとったり、●小川宗哲を本所・亀沢町に迎えに行ったりすることになった。
135)日が暮れてから正元がもどって来た。
 小兵衛は、又六を連れ、●隠宅へもどった。
 ●隠宅の内部には異常はなかった。
「又六、舟を出してもらおうか」
 船着きの右手の木蔭に男がひそんでいた。留という男だ。胸打・気絶。
 間もなく三人を乗せた小舟が大川へ出て行った。
136)留は大川に投げ落とした(『あれ、泳いでいますよ』)。
「又六。舟を●山之宿へ着けておくれ」

139)此処は、下谷・山伏町にある長円寺裏の宗全の住居(すまい)。
 男は服部宗全、女は上野山内の天王寺・門前の水茶屋の女・お金(おかね)であった。
140)「お金、どうだ。鮒宗で鰻でもやろうではないか」
「よござんすねえ」
 浪人が三人訪ねて来るのが見え、
「鮒宗は今度にしよう、私が出たあとで、そっと帰ってくれ」
「あい」
141)宗全を訪ねてきたのは、剣客風の三人。
 このとき、すぐ傍の桐の木の蔭から、秋山小兵衛があらわれた。
「服部宗全どの」
143)宗全の頸すじを手刀で強く打ち据えた。
 浪人が襲う、小兵衛が捌く。
 逃げる浪人の姿が道の右手に消えるのと同時に、一挺の駕籠が左手から空地へやって来た。
144)宗全を駕籠の中へ放り込んだ。
 大治郎が駕籠につきそい、道へ出て行くのを、小兵衛は見送った。
 お金が出て来、すぐに気絶させた。
 小兵衛はしばらく宗全の家にいて、何事か考えている。
145)ややあって、道へあらわれた秋山小兵衛は、大通りを出て、●上野山下の方へ歩みはじめた。

その前夜

146)宗全は●千駄ヶ谷(東京都渋谷区千駄ヶ谷)に閑居している松崎助右衛門宅の納屋へ運び込まれた。
150)間もなく、秋山大治郎は、急ぎ●関屋村へもどって行った。
 大治郎が去るとき、小兵衛が、
「長くかかるまいが、心配させてもいけないゆえ、又六をよこしてくれ」
151)鰻売りの又六は深夜になってから●千駄ヶ谷の隠宅の納屋へあらわれた。
 小兵衛は腹ごしらえした又六に
「又六、すまぬが・・・」
「●山之宿の駕籠駒へ行き、明日の朝、わしを迎えに来るように頼み、わしはその駕籠で●鐘ヶ淵へ帰ると、●関屋村へ伝えてくれ。心得ていようが、千造と留七だぞ」
(私註:千造と留七は口が堅く、仕事もきっちり。以前、口の軽い駕籠舁きがいろいろとしゃべり、それがため、殺されて仕舞ったことがある)
「又六、お前は●隠宅で待っていておくれ」
156)翌朝の五ツ半(午前9:00)駕籠が迎えに来た。
156)その日。
 秋山小兵衛は隠宅へ。おはる、又六ももどっていた。
158)「又六はわしについて来てくれ。おはるはすぐに●関屋村へもどれよ」
 小兵衛は、⑭麹町九丁目にある〔枡屋〕という蕎麦屋の前で駕籠を降りた。
 その店は、四谷御門を入って、すぐの左側にあり、小兵衛が道場をかまえていたころからの、なじみの蕎麦屋であった。
160)道の両側は、麹町一丁目から九丁目までの町屋で突き当りは⑬半蔵門だ。
 小兵衛は、⑮麹町八町目にある〔山城屋〕という小間物問屋の前で足を停めた。
 ・・・>小兵衛は山城屋文吾と談合し、安心させた。番頭が『この店も見張られている』とそっと知らせた。
166)小兵衛は、⑭麹町九丁目の蕎麦屋に待っていた又六を呼び出し、
167)「すまぬが、●千駄ヶ谷へ行き、松崎殿と見張りを替ってくれ」
 又六を駕籠に乗せると、駕籠が去るまで警戒した。動きは見えなかったが、果たして船頭の長吉が尾行していたのである。
 
168)秋山小兵衛は、⑯四谷御門外に出ている茶店へ入り、茶をたのんだ。
 ふたたび、麹町の通りへ取って返し、●神田橋御門内の田沼意次の屋敷へ向った。
 長吉は見え隠れに、小兵衛の尾行を開始した。
171)秋山小兵衛が●田沼邸を辞去したのは、そろそろ五ツ(午後8:00)になろうかという頃おい。
 小兵衛は神田橋御門を出て、八ツ小路の方へ歩み出している。
172)⑰八ツ小路をすぎ、筋違い御門を右へ曲り、少し歩いてから⑱柳原の堤へあがって行った。
 秋山小兵衛は左に神田川をながめつつ、堤の道をゆっくり東へ歩む。
 浅草へ出たら、どこかの船宿の舟で●関屋村へ行くつもりである。
 ⑲和泉橋をすぎたところで、小兵衛の足がぴたりと停った。
173)突然・・・。
 堤の下の木蔭に潜んでいた覆面の浪人が三人、小兵衛の前へ。同時の小兵衛の後ろに二人。
175)それを見ていた浅井源十郎と船頭の長吉。
 傷を負った曲者、神田川から這いあがって来た曲者など、それぞれに何処かへ姿を消し、浅井源十郎と長吉も堤から立ち去ったころ、秋山小兵衛は浅草御門を出て、大川辺りの船宿で舟をたのみ、●鐘ヶ淵の隠宅へ向いつつあった。

176)この夜、小兵衛が●隠宅へもどると、
「あれまあ、無事でよかったよう」
 飛び出して来たおはるが、いきなり、抱きついて泣き出した。
 ・・・>入浴し腹ごしらえした後、
177)「これから●関屋村へ一緒に行こう」
 ●関屋村の、おはるの実家へ着いた小兵衛は、納屋を改造した離れ屋へ
178)「正元さん、明日、半日ほど手を貸してもらいたいのじゃが」
「はい、病人は大丈夫です」


流星

180)この日の夜のうちに、秋山小兵衛とおはるは●隠宅へ戻った。
 ●関屋村・・・翌朝七ツ半(午前5:00)に目覚めた正元は、助太郎の遺言を聞く。
181)「秋山先生がおいでのときは、まだ生きるつもりでおりましたが、今朝、起きたときに寿命(あと三日か・・)をさとりました」
182)横山正元は、五ツ半(午前9:00)●隠宅へあらわれた。
 二人は堤の道を南へ向って歩んでいく。
187)本所の小梅村
「秋山先生。あの茶店でお待ち下さい」
 横山正元は、➀皆川石見守・抱屋敷の裏門へ向った。
 小兵衛は茶店裏の草原に縁台を持って来てもらい、茶を飲みはじめた。
194)正元は無事に裏門から外へ出た。小兵衛は思わず、安堵のためいきを洩らした。

195)⑤牛込・神楽坂上にある旗本・皆川石見守の本邸
 家老の浅野彦四郎と用人の木村房之助の密談。

199)この日の夕刻に近いころ、江戸城内において、田沼意次の長男・田沼山城守意知が一命に及ぶ重傷を受けた。
202)秋山小兵衛は、駆けつけて来た四谷の弥七の口から異変を知った。
 すぐ息・大治郎へ知らせ、
「お屋敷へ駆けつけるがよい。御家来衆の一人となって田沼様の御身をお守りするがよい」
 大治郎は江戸城には入れないが、狙われやすい登城の行き帰りの警護は出来よう。おそらく、賊は当初、御老中を目ざしていたに違いない・・・。

事件

208)同じころ・・・。←←田沼が長男の死を覚悟したとき
210)横山正元と杉原秀を、納屋の外にさそい出した小兵衛は、
「そこで、明日は秀どのに、助けてもらわねばならぬことになった」
(『そこで』とは、正元は医者として、助太郎のそばに・・・)
 秀。
「わたくしは、何をすればよいのでございましょうか」
「まだ、そこまでは考えておらぬ。わしと共に●鐘ヶ淵の家へ来てもらいたい」
「承知いたしました」


卯の花腐し

213)翌朝、まだ暗いうちに、➀本所・小梅村の皆川石見守・抱屋敷(別邸)の裏門から三々五々と剣客ふうの浪人たちが邸内へ吸い込まれて行った。
<宗全が毒薬を手渡したら口封じの暗殺をするため>
<このどさくさに、小兵衛が来るかも?>
 前夜から、➀皆川屋敷を見張っていた傘屋の徳次郎が●隠宅へ駆けつけ
「合わせて、二十五人ほどでございました」
 と、告げたのは、五ツ半(午前9:00)ごろであったろう。
215)そのころ、鰻売りの又六を乗せた町駕籠が、●両国橋を西から東へわたりつつあった。
216)この日の早朝、又六が悪徳医者・服部宗全を見張っている納屋へ、松崎助右衛門があらわれ、
「又六とやら、見張りを替わってつかわそう」
217)杉原秀をともなった秋山小兵衛が、●隠宅を出たのはその日の昼近いころになってからだ。小兵衛・秀、そのうしろに又六。
 三人は押し黙り、ついに一言も口をきかぬまま、本所・小梅村へ着いた。
 傘屋の徳次郎が何処からともなくあらわれ、近づいて来た。
218)そのころ・・・。
 ●関屋村の納屋に病臥している井関助太郎の呼吸が荒くなってきた。
 一方、➀皆川屋敷では・・・。
 すでに到着していた家老の浅野彦四郎が側用人・木村房之助へ
「そろそろ、服部宗全があらわれるころだな」
「さよう」
「手配は、よいか」
「合わせて25名、庭の木立の中に潜ませてあります」
219)足軽の三之助があらわれた。
220)「女がまいりました」
「宗全の女房、もよと名乗っております」
222)三之助が、裏門へもどって来て、いったん閉めておいた扉を開け、
「入るがよい」
 そういった三之助の腕を、秀がぱっとつかんだ。裏門の外へ引っ張り出した。
 小兵衛が突風のように走り寄って来た。<当身・気絶>
 秀は裏門の中へ飛び込んだ。別の足軽と小者に当身。
223)「又六、その門を閉めておけ」
「徳次郎、この三人に猿轡をかませ、手足を縛ってしまえ」

224)杉原秀が、案内もなしに奥庭の一隅にあらわれた。・・・
 <秀が家老を引っ張り落とす、小兵衛現る、家老はどこを斬られたか、血を振りまきつつ逃げた。『出合え!』大声をあげた用人の脚を薙ぎ払う≻
229)そのころ、●関屋村の納屋の内では、助太郎が最後の期を迎えようとしている。
 <➀皆川屋敷での斬り合いは佳境・・最後の浪人が逃げた≻
232)彼方の木立に潜み、その姿を密かに見つめる男二人。船頭の長吉と剣客浪人・浅井源十郎。
「先生、あの爺いを、早く、早く・・」
「うるさい奴だ、前にも申したはずだ、あの爺いをやるときは、一騎打ちだとな」
 それでもやいのやいのと責める長吉に
「ふうん・・・爺いを斬る前に小手調べをなぁ」
 左の頸すじを斬り割られた長吉の悲鳴が起った。

234)「さて、引きあげようか」
235)四人が道へ出たとき、堰を切ったような土砂降りとなった。
236)⑫源森橋をわたり、大川沿いの道を四人が北へ向い⑳弘福寺の門前を過ぎるころには速い雲足の間から日が差してきた。
「あ、横山先生だ」
 小兵衛の後ろにいた傘屋の徳次郎が声をあげた。
 <ああ、助太郎が逝ったのだ>
 <正元もまた、事が上首尾に成ったとわかる>
 横山正元は、小兵衛と話した後、すぐに関屋村へ引き返して行った。
 傘徳は弥七の許へ。
238)小兵衛は、●隠宅へ立ち寄って、躰を洗い着替えをすませてから●関屋村へおもむいた。秀と又六は小兵衛に同行した。

239)皆川石見守・・内情
 助太郎は、その三年ほど前から、皆川家の家来になっていて、豊松の付き添いをするようになっていた。命(豊松)の危険を察知、或る日の未明に皆川屋敷を脱出したが、すぐに追手がかかった。

244)夜が更けて・・・。
 助太郎の通夜をしながら、秋山小兵衛は、●老中・田沼意次への手紙をしたためた。<主人を亡きものとする陰謀、無頼者を使っての暗躍>

 <その後、捜査の手が延び、不正は正された>

246)⑮山城屋文吾方へ帰った豊松は、のびのびと日を送っているにちがいない。

247)●庭(隠宅)の一隅に人影・・剣客浪人・浅井源十郎であった。
249)おはるは気を失った(だから、どうなったのかは不明)
248)「おい、おい、おはる、おはる」
249)「方がついたわえ」
「今ごろは、死体が舟着きの水から大川へながれ出て行ったろうよ」

「今日は妙に冷える。おはる。夕餉は油揚げを入れた湯豆腐にしてくれ」

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