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地名抜書:「剣客商売」第1巻第2話『剣の誓約』

第2話 剣の誓約

 〔最初に〕ネット上に情報を公開してくださっているみなさまに感謝申し上げます。江戸の町について調べることができました。ありがとうございます。
※20230829更新)国会図書館デジタル寄り、切絵図を挿入させていただいております。第2巻第6話「妖怪・小雨坊」は、卑怯なる射手・伊藤三弥の後日談です。地図を追加しました。


 作成した地図

出てくる場所は、大治郎の道場(嶋岡が寄留)、嶋岡の相手の道場、立ち合いの場所など。

第2巻5話 妖怪・小雨坊により追加

 (上地図)⑥~⑪が麻布の辺り。下地図も同じマーク残し。
 ⑥の四ノ橋が目印となった。一本松から柿本道場までは、この橋をわたってちょうど同じくらいの距離だろう。⑪あたりにて決闘の予定(光林寺から1キロ強)だったが、今回調べたところ、⑩の待合せ場所のすぐ裏手辺りにも荒野がある。

第1巻第2話 抜書

メモ 1778年(安永7)大治郎25歳 (兄弟子)嶋岡礼蔵 57歳

 最初の場面
 浅草の外れ、➀真崎稲荷明神社の近い一軒家の小さな道場に住む大治郎は、(大治郎の道場の場所が特定できないので、➀で代用)

去年の夏の入門者:湯島植木町、②高尾佐兵衛が次男(3日目に来なくなった)
大治郎の母、お貞は、大治郎7歳の折に病没(菩提寺は浅草・今戸の③本性寺:97ページ)
師は麹町9丁目 無外流 辻平右衛門直正 ④無外流道場

<江戸散歩地図には掲載しない>
無外流の創始は、近江・甲賀郡馬杉村の出身で、辻平内。号は月丹
二代目 越前大野の藩士 杉田庄左衛門 =辻喜摩太
三代目 愛弟子の三沢千代太郎=辻平右衛門 小兵衛30歳の時に山城の国・愛宕郡・大原の里へ隠遁(修行)。弟子、嶋岡礼蔵は一緒に大原へ。
嶋岡礼蔵 師匠亡き後兄を頼り大和の国・磯城郡・芝村(郷里)へ。「剣の誓約」により郷里から上京。相手とは過去2回立会。

小兵衛の道場 四谷・仲町=詳しくは黒白に。

(礼蔵の剣の誓約の相手のもとへ)
 麻布の⑥四ノ橋をわたり、さらに南へたどって⑦三鈷坂へかかる西側の⑧西光寺門前。西光寺北側の小道へ切れ込んで
西光寺の裏手は小高い丘になって
西光寺裏の柿本源七郎宅

目黒白金辺図、国会図書館デジタル

立合の場所: 麻布の⑩光林寺門前で落ち合い。⑪広尾の原へおもむく

麻布絵図、上の目黒・とは北が逆。緑地は空屋敷・空地。その奥に広尾町

・昼過ぎ、⑫鐘ヶ淵(マークは鐘ヶ淵駅)の父の家を訪ねるも迷ってあてどなく歩き・・・⑬亀戸天神。もう一度父の家に行く途中で⑭三冬に会う(堤下)。

(以下抜粋)(➀大治郎道場、周辺の描写)
 渡し船で大川をわたりもどった秋山大治郎は、➀橋場の町外れを流れる思川を渡り、➀真崎稲荷社の杜を右手にのぞみつつ、小川のながれに沿って行く。
 前方は、一面の田地で、それが春田だけに一層ひろびろと感じられた。
 うちのにおいの濃い田圃(たのも)に、夕闇が這っていた。
 北側の田圃に、大治郎の家へ通ずる小道がついている。このあたりは近くの⑨総泉寺(そうせんじ)の土地で小兵衛が買取り、息子のために改造してやった家には、以前、総泉寺の田畑にはたらく百姓たちが住んでいたものであった。(以上)

 たどり着いた我が家、目の前で島田礼蔵は胸を射抜かれて死ぬ。

 浅草・今戸の③本性寺の墓地へ仮埋葬した嶋岡礼蔵の遺体に、秋山父子は線香をささげていた。(中略)
「伊藤三弥は、柿本の実兄がいまも奉公をしている新発田藩の、江戸屋敷詰めの御用人・伊藤彦太夫殿の三男とか・・・」

         ↑手強い敵、後の話で対決(妖怪・小雨坊他)。

※大治郎は大和・芝村の、礼蔵の実家へ小兵衛の手紙を持っていくことになった
メモ※なぜか「新発田藩」は繰り返し出てくる。

作成した地図:第1次

1)プロットした場所のリスト

     (すべて大体の場所なので(o*。_。)oペコッ)

地図の場所

2)地図(「剣の誓約」に出てきた場所)

地図2

3)地図作成後、考えたこと

 大治郎は、早朝に出立、➀から⑨までの距離を歩いて、書状を届けた。
 次に、父の隠宅まで行く、知らせるべきか迷い引き返す、そのまま南下、亀戸天神で思い返して再度父の家へ。途中、三冬に会う。父の家に行くも、おはるの泣き声に、訪問断念、引き返す。
 ふと、気づいた。これって、何キロ?
 グーグル調べだと、真崎稲荷神社から白金までは14キロ。往復28キロ。
 家に帰らず父の家へ、1.5キロ。父の家から亀戸天神4キロ往復8キロ。自宅へ、1.5キロ。足すと40キロ?マラソン???私には無理だけど、アスリート(大治郎は体力◎)なら軽いか・・・。

第2巻第6話「妖怪・小雨坊」補足

詳細情報、追加の場所あり。
➀江戸切絵図より、家中のものが二ノ橋・大身旗本訪問後、伊藤三弥を見る。仙台坂を北、寺内へ逃げる。
②三弥・一本松の茶屋現れ、兄:四ノ橋先で百姓惨殺。同じ茶屋が探索の拠点となる。

麻布絵図、国会図書館デジタルより、上の切絵図と北が逆。

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