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七夕の朝

 今日は日曜日。七夕。
 昔は旧暦でやっていた。由緒正しく旧暦・・・って思ってたけど、農閑期と関係があったと、今頃知った。明治5年新暦に変って。そのころ、7月は蚕仕事に忙しかったから、エイッて旧暦で行こうということになったのだという。
 それはさておき。
 昨日、幼稚園の前を通ったら、七夕祭りをしていた。
 子どもたちの思い出になるように・・・先生、ありがとうございます。

 この七夕飾りは子どもたちの自作でしょう。アイデアが秀逸、と思った。
 そういえば、ランタン祭りもあるらしい。

七夕まつり

 そうそう、園庭に緑の思い出。上の方は虫に食われてボロボロですけど、「カザグルマ」って呼んでいた葉っぱです。ヒイラギモクセイというのだそうです。へぇ。

ヒイラギモクセイ

 そうそう、「痛い木」の一つでもあった。触るとチクチク。
 グーグルレンズの中の一枚に「有刺鉄線代わりの垣根」って書いてあった。これとは別の30センチくらいの高さの棘のある茂みを祖父は猫避けに使っていたのを思い出す。
 なんでカザグルマだったのかな。父が切って瓶に差してくれたのかな。
 こっちも教えてもらおう・・・カザグルマは「ヒイラギ」だった。真ん中の葉脈をはさんで対応する棘と棘を親指と中指で挟んで息を吹きかけるとくるくる回るから。

 ヒイラギモクセイは秋深くに白い花が咲く。良い匂いがした。
 隣の垣根はついぞ花が咲いた記憶が無いから、別種なのかもしれない。
 それとも近すぎて通りすぎてしまったのだろうか。

 七夕。
 『サトイモの葉っぱにあつまる露を集めて短冊に願いを書くと字が上達する』という伝説がある。あ、都市伝説がある。
 多く書けば書くほど上達するんだから、この話はホントなんだけど、サトイモのところがポイントで、なぜか、畑に行くとちゃんと雫があったのが記憶に鮮やか。私は4・5年生くらいだったか。学校で書道の授業があったころだkら。放課後もう一度見に行ったらなかったような。
 学校に笹竹を持って来てくれるおじさんがいて、毎年、短冊に願いを書いた。ホントの七夕は8月で小さな笹を祖父が用意してくれて、やっぱり短冊に願いを書いた。願いの無い子で、何を書こうか、困った記憶がある、見本通り、健康とか願ったんだろうな。ああ、せっかく用意してくれたのに。
 クラスの入口に飾った記憶からすると、何十本も持って来てくれていたのか。廊下がちょっとした七夕アーチになっていた。
 クラスの女の子数人で七夕飾りも作った。いや、全員で一人1個ずつくらい作ったのかも。鶴を折ったり、行燈や、吹き流し。やわらかい・・チリシという紙で作った花。蓮に見えるよう、ハサミで花びらをとがらした。

 そうそう、10年もしてから、宗教行事に該当するから終わりになったと聞いた。準備がたいへんだからだなぁと思ったのも記憶の中。
 仙台の七夕飾り、平塚の七夕飾り・・・一つ思い出すとくるくる回り出す。いつか写真を見つけたら記事に残しておきたい。

 さあ。カフェオレにしますか。

 

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