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剣客商売第6巻 第2話 品川お匙屋敷

地図つくり

 このページをひらいてくださって、ありがとうございます。
 池波正太郎著「剣客商売」は、江戸の町を歩いている気分にさせてくれます。やっと5巻まで終わりました。
 見てくださってありがとうございます。スキもありがとうございます。
 作り続けられたのはみなさまのおかげ。いつか実地をと思ってます。
 第六巻以降(まだ百話くらいあります)は、テレビで放映されたものを中心に地図を作ってみたいと思っています。
 公開しているものは「目次」記事でチェックいただけると嬉しいです。

 ※ネタバレありです!ご注意ください。
● 当noteは「江戸散歩」がテーマなので、江戸以外は作っていません。今はココで精一杯なので。旅好きなかた、ごめんなさい。


第2話 品川お匙屋敷地図(画像)

地図1 走り寄る人影

 三冬(上野から根岸➀~⑤)・事件に遭遇⑥⑦。→⑧⑨⑩大治郎の道場(2.5㎞、歩35分)へ
 (翌日)大治郎と一緒に⑩道場→⑪小川宗哲宅(4.2㎞、歩1時間)、⑫⑬三冬・根岸(5㎞、歩1時間10分)へ
 大治郎は四谷⑭武蔵屋へ
 三冬は根岸から田沼屋敷(歩1時間、4.6㎞:今回は町駕籠使用)へ。夕刻・⑩橋場道場(1時間半強、7㎞)へ。
 大治郎が田沼屋敷へ着いたのは、その半刻後。

地図2 三冬の失踪

 大治郎の足跡 ➀-④のあと、⑨武蔵屋へ。
 弥七の手配り ⑤~⑧、⑨武蔵屋へ帰宅、大治郎がいた(三冬の話)。
 弥七は手配りへ、大治郎は田沼屋敷へ。
 ⑩東玉庵で、大治郎・弥七、落ち合う。
 帰り⑪⑫、大治郎は⑫で尾行者を感知。⑬元長で捕まえ、事実確認。⑭にまかせ、大治郎は三冬救出へ⑮。

本文抜書+切絵図他

 ご確認いただけると嬉しいです、切絵図との照合もしております。
※「51)」は、文庫本のページ数です、私自身の備忘録として入れさせていただいております。

三冬の帰宅(根岸の寮)

57)三冬は、父・田沼意次の上屋敷に滞留することが多く、根岸の寮で留守居をしている老僕の嘉助が和泉屋方へ零したそうな。
 下谷・五条天神前にある➀書物問屋〔和泉屋〕は生母の実家であり、当主の吉右衛門は、三冬の伯父にあたる。

切絵図1 三冬 和泉屋(五条天神・門前町か?)→根岸の寮
 60)②上野山下から③車坂の通りへ出ている。切り立った上野の山を左に見ながら、三冬は奥州街道へつらなる往還をすすみ、

 <上と重なるが>60)③車坂の通りへ出ている。切り立った上野の山を左に見ながら、三冬は奥州街道へつらなる往還をすすみ、④坂本二丁目と三丁目の境の小道を左へ曲がった。⑤用伝寺の塀の内に見える柿の木の実も、色づいている。
63)そこは、木立に囲まれた小道で、前方には根岸の百姓地がひろがっている。

走り寄る人影

63)走り寄る人影(背中を斬られ)。三冬を、寛永寺の寺小姓かと見間ちがえたのであろうか・・・。長さ七寸ほどの細長い革袋を出した。
「ふ、ふかがわ・・・は、はまぐりちょう・・・」がっくりと息絶えた。
 三冬は百姓夫婦にたのみ、⑥坂本一丁目の自身番へ、このことを届けさせ、自分は女の死体を背負って、近くの⑦円常寺という寺へ担ぎ込んだ。

大治郎の道場へ

 67)三冬は、⑧三ノ輪から⑨日本堤へ出て、浅草橋場の外れにある⑩秋山大治郎の道場へ、単身で駈け向った。革袋の中の筆の軸に練香が隠されていた。
69)そのころ、秋山小兵衛はおはるをつれ、関屋村野岩五郎の家へ滞在していて、留守だった。

 79)翌朝、大治郎は三冬と共に、⑪本所・亀沢町に住む町医者・小川宗哲を訪ねた。『異国わたりの香』と断定。大治郎は司直に任すと決めた。 
 小川宗哲宅を出た大治郎と三冬は、⑫両国橋を西へわたり、⑬浅草橋・御門外で別れた。
 三冬は、根岸の寮へ帰り、大治郎は⑭四谷・伝馬町の弥七宅へ出向いたのである(田沼屋敷の稽古日であり、大治郎が来るまで三冬が代稽古)。
 三冬が根岸の寮へ着いたのは、昼頃であった。嘉助が、女の亡骸が消え、円常寺は大騒ぎだと報告。三冬は⑦円常寺へ行くも何もわからない。

三冬は田沼屋敷へ

 三冬は町駕籠で、神田橋御門内の田沼屋敷へおもむき、道場へ入った(開始が遅くなると連絡済み)。
 夕闇が迫ってきたが、弥七宅へ行った大治郎は戻ってこない。
 粂太郎少年は、大治郎を待ち共に道場へ帰るつもりだ、と言った。三冬は粂太郎を連れ、橋場の道場へ行くことにした。
 77)大治郎が田沼屋敷にあらわれたのは、それから半刻後のことだった。

78)抜荷:西国や上方だけでなく、越後、越中、越前から遠くは松前は函館まで

抜荷

三冬の異変

 79)➀田沼屋敷からわが道場への帰途、81)②浅草橋門外で異変を感じて、大治郎は走った。
 82)③道場は荒らされ、三冬の姿はなく、粂太郎は気を失っていた。粂太郎を〔不二楼〕へあずけ、④おはるの実家に逗留しているはずの小兵衛に会いに行く。尾行者(唯一の手掛かり)はいなかった。実家へ着いた大治郎は、小兵衛が江の島見物に出かけ10日は帰らないと知る。

 84)一方、四谷の弥七は、この夜のうちに、かなり働いた。南町奉行同心、永山精之助を⑤八丁堀の役宅へ訪ねた。永山同心は、すぐ身支度をし、自分が直属している⑥与力・大沢主水邸へ向かい、弥七は傘徳と根岸の⑦円常寺へ。帰りに⑧根岸・金杉下町 御用聞き七兵衛宅へ。
 弥七がこれらの手筈をすべてつけ終え、四谷伝馬町の家へ帰ってきたとき、空は白みかけていた。
「おや、若先生」
 二人は一睡もせず、傘徳をつれて⑨武蔵屋を飛び出した。弥七は、昨日に引き続いての手配りを、大治郎は➀田沼屋敷へ。

86)➀田沼屋敷。田沼意次は町方と大治郎に任せる(老中のむすめだからと申して、特別のはからいをしてはならぬ)。
「秋山先生に、しかとおたのみをしておけ、と、かように仰せられまして」
 生島次郎太夫が、そこに両手をつき、食い入るように大治郎の目を見つめてひれ伏したものである。
 89)昼頃になって・・・。
 大治郎と弥七が打ち合わせておいた場所で、落ち合った。
 神田御門外の三河町二丁目にある⑩東玉庵という蕎麦屋の二階座敷だ。
90)殺害された若い女の素性は隠密(八丁堀の永山の旦那からの情報・極秘)。・・・「御公儀の指示を待っているのでございますよ」。
「ば、ばかな!三冬どのはどうなる!」

 そのころ・・・。
 92)佐々木三冬は地下蔵へ(どこだか不明、問い詰められるシーン)

大治郎

95)⑩東玉庵を出て、町奉行所へ向かう弥七と別れた大治郎は、道場へ帰ることにした。
 95)大治郎は⑪筋違御門外へ出て、神田川沿いの道を東へ行く。
 尾行者に気づいたのは、⑫左衛門河岸のあたりだったろう。町人風の男が、⑫酒井候の上屋敷と八名川町の間の道へ隠れた。

北が上、左衛門河岸。当時は左衛門橋はない。

 (チャンスはこの一度だけと思いつめ・迷ううち)96)⑬浅草の駒形堂前まで来てしまった。・・・ここには〔元長〕がある。

北が右、〇は、駒形堂

男を捕らえる

 97)長次が二階の小座敷の障子の隙間から、外を見まわした。
 前に駒形堂が見える。左手は大川で、右手は浅草寺門前の大通りだ。
 打ち合わせておいたように、女房おもとが、店の戸障子を開けると、駒形堂の石垣の陰から、ひょいと男の顔が出て、凝と見守っている・・・(あいつだ。ちげえねえ)
 長次は裏口から出るとき、心張棒をつかみ取り、露地づたいに並木町の大通りへ出て駒形堂前をすぎ、少し離れた場所へしゃがみこんだ。
 大治郎が元長を出て、駒形堂の北側を並木町の通りへ向かう。
 男は駒形堂の南側から通りへ出て、ふたたび、尾行をはじめようとした。・・・

情況がわからなかったので絵にしてみた。北は上
ドラマだと、元帳の表口は川に面している。赤い線の感じでどうだろう?
北は右 出典:国会図書館デジタルコレクション:浅草御蔵前辺図、部分
当時、駒形橋はない。竹町之渡、その北側に吾妻橋。

通報

 〔駕籠伝〕の町駕籠で、橋場の道場へ運んだ。
 話をききだしたあと、男を⑭牛堀九万之助の道場へ。牛堀は経緯をきくと門人を南町奉行所へ走らせた。

品川お匙屋敷

100)そこは品川の宿場へ入って、坂道を西へのぼって行った台地で、桜の名所で名高い⑮                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                     御殿山の北隅。現代の⑮東京都品川区北品川四丁目のあたり
101)⑮「お匙屋敷」などと、よんでいる。御殿山の〔お匙屋敷〕は、山路寿仙、本邸は神田駿河台
 大治郎は、練塀を乗り越え、屋敷内へ潜入した。
 ・・・斬り合い・火事・捕り方到着・・・

北は右、御殿山 出典:国会図書館デジタルコレクション「芝高輪辺絵図」部分

後日談

105)練香の女は⑯蛤町に住んでいた町医者、杉白道の姪。
 女は⑰千住4丁目の旅籠〔井筒屋〕へ旅装を解き、三ノ輪から金杉へかかったところを後ろから斬られた。

 田沼屋敷。田沼意次からのプロポーズ。
 二人の婚礼は、この年の11月15日浅草橋場の、不二楼にて。



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