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ダイワファームのソフトクリームを食べに行った話。
毎日茹だるような暑さが続いている。
暑さは続くが、8月もあと一週間となった。
夏っぽいこと、してないな。
ここ数日そんなことばかり考えていた。
遠出するのは厳しいし、何か。何か地元でできる楽しい夏っぽいこと。
夏といえばアイス。
そうだ、あの店のソフトクリームが食べたい。
そんなわけで昨日、10年以上の付き合いになる友人を呼び出して山の方まで車を走らせ、わたしの住む宮崎県小林市にある「ダイワファーム」のソフトクリームを食べに行った。
数年ぶりのダイワファーム。やっぱり美味しかった。
行ったことのない方は是非行ってみてほしい。
小林市民で知らない人はほとんどいないであろう、ダイワファーム。
美味しいこだわりチーズのお店。笑顔の素敵な社長さん。種類豊富なアイスクリーム。最近ではミルクジャムポップコーンなんていう洒落たお菓子も登場した。
それぞれいろんなお店のイメージや好きな商品があると思うのだが、
実はわたしにとってダイワファームは忘れられない思い出の場所だったりする。
昨日ソフトクリームを食べながら友人にも聞いてもらったが、あわよくばダイワファームのみなさんに、小林を愛するみなさんに、ダイワファームを知らないみなさんにも、聞いてもらえたら嬉しいなぁと思い、文字を認めることにした。
長くなるので飽きたら途中で投げ出して頂いてもちろん構わない。
興味があれば、ぜひ。
小学生の頃、音楽繋がりの知り合いに誘われて地域のマーチングバンドに入っていたことがある。
マーチングバンドとは、ざっくり言うと“動く吹奏楽”みたいなもので、大人数で演奏をしながらカラーガード隊などと一緒に隊列を組んだりフォーメーションを変えたりしながらパフォーマンスする集団だ。イメージの湧かない方は検索してほしい。
当時のことは今でもよく覚えている。曲も、習ったことも、何十人もいたメンバーの顔と名前と担当楽器まで。自分の記憶力が恐ろしいと思うほどに。小さい頃から音楽が好きだったわたしにとって、全国大会に連続出場を決めていた強豪チームの端っこに居られたことはとても印象深く、いい経験だった。
しかしながら、わたしがマーチングバンドに居たのはほんの数ヵ月だった。おそらく3ヶ月もいなかったと思う。
鹿児島、福岡での予選を勝ち抜き、さてこれから全国大会へ向けてがんばろう、という最初の練習日。
わたしは突然、マーチングバンドに行けなくなってしまった。
落ちこぼれていた訳ではない。幼い頃からのピアノのお陰ですぐに曲を覚え、マリンバをぽこぽこ我ながら器用に叩いていた。
先生が怖かった訳でもない。みんなかっこよくて憧れだった。特に当時わたしの小学校の音楽も教えていた女性の先生は、朗らかで感性の鋭い方で、十数年ぶりに再会した今でも大好きである。
苛められていた訳でもない。同じパートの仲間たちは優しかったし、他のパートの子たちもたくさん話しかけてくれてた。ユーフォニアムを吹いていた2つか3つ上の先輩は、特によくお弁当を食べに誘ってくれた。
それがある日突然、練習に行くのが怖くなってしまったのだ。
さあ練習に行くぞという時になって「行きたくない、お腹が痛い」と駄々をこねだすわたしに、母も困惑した様子だった。
地区体育館までわたしを送った後仕事に行く予定だった母。
どうしても行きたがらないわたしを仕方なく父に託し、遅刻の旨だけ連絡をして母は出掛けて行った。
父と兄は野球、母とわたしは音楽、と、基本的にセットで行動していた我が家。
仲が悪かった訳ではないのだが、急に父と二人にされて何となくくすぐったい。
何を話していいか分からないまま「練習に行かなくていいから、体育館の前まで行こう」という優しい父の口車に乗せられ、サザンのベスト盤をダビングしたカセットテープの流れるワゴン車に乗ってしまった。
腹痛と不安をごまかすために熱唱していたのも束の間。
体育館が近付くにつれ小さくなっていく声。
痛くなっていくお腹。
ついに体育館前の信号機まで来たところで、
「お父さん、やっぱり行きたくない」
とわたしは溢してしまった。
すると我が父、何を思ったか
「よし、まっすぐ行こう」
体育館を通りすぎたではないか。
わたし、大混乱である。
驚きと、不安と、行かなくて良いのだろうか…と、少しの安心感。
坂を上って、下りて、一体どこまで行くんだろう。
怒られるんだろうか。
どうしたんだろう。
冷や汗と腹痛と焦りでまごまごしている間にたどり着いたのは、須木に行くトンネル手前の小さな山小屋のようなお店だった。
父に連れられ店内に入る。
冷凍ケースにはたくさんの種類のアイスクリーム。
「どら、好きなの選んでいいぞ」
そう父に促され、わたしはドキドキしながらいちごのアイスを手に取り、父は栗のアイスを選んだ。
外のベンチに座って黙々とアイスを食べる。
「練習、行きたくないか」
「うん」
「楽しくないのか?」
「ううん、楽しいと思う」
「友達、いるか?」
「うん、Aちゃんは優しいし、Sちゃんはお弁当一緒に食べてくれるよ」
「そうか」
「うん」
「行きたくないか」
「うん」
「栗も食べるか?」
「うん」
とか、そんな話をした。
その日は青空だったこと。
父はいつもの長袖シャツに作業着のズボンを着ていたこと。
いちごのアイスも、栗のアイスも、素朴で優しい味がしたのを、よく覚えている。
その後体育館に行って、わたしは車から降りず、父だけが先生と話をしに行って、家に帰った。
次の練習にも、その次の練習にも、お店でバッタリ友達に会って「おいで!」って言われても、怖くてお腹が痛くなって行けなくなって、わたしはそのままマーチングバンドをやめてしまった。
全国大会前の大切な時に突然逃げ出してしまったこと、今更何を、という感じではあるが、この場でお詫びしたいと思う。
あの時は本当に申し訳ありませんでした。
当時のわたしは今と同様賑やかな人間ではあったが、一方で今よりずっと真面目で、空気が読めて器用で、ある場面では非常に遠慮がちで自分を卑下する癖のある人間だったと思う。
どういう振る舞いをすれば人が喜ぶのかというのを敏感に感じ取って、何でも笑って「はい」と返事をする。
他人に求められることをきちんとこなして、喜ばれることが幸せ。頼ってもらえること、褒められることに自分の生きる価値を見出だしている。
それと紙一重で、人に嫌われるのを極端に恐れ、自分のために人から何かをしてもらうことが苦手で、感謝よりも申し訳なさが勝ってしまう。
「はるかちゃんが居てくれて助かるよ」が喜びであり、期待を裏切ってはいけないと自分で自分に圧をかけることにもなってしまい。
「一緒にご飯食べようよ」が嬉しくもあり、その子にも友達がいてお喋りもしたいだろうに…わたしなんかの相手をさせてごめんなさい…と自分で自分を責めてしまうことになったり。
そんな生き方では、どこかで必ず無理が生じてしまう。
今は歌を書くという表現方法があるし、心を解す勉強もしたし、周りにいるたくさんの人たちのお陰で今は大分マシになったが。
当時はそういうマイナスの気持ちを誰にも言わずに押し込み続け、上手く言葉にも出来なくて、突然ポキッと心が折れてしまう、ということが度々あったように思う。
そんなわたしの限界点を父は見極めて、無理にわたしを練習に連れていくことはせず、ゆっくり話をしてくれたんだと思う。
本当によく出来る男、出来る親父である。
その時父が連れて行ったお店が、ダイワファームである。
その経験からか、心の疲れを感じると、誰かと外でアイスを食べながらゆっくり話をしたくなる。
大学時代にはよく仲の良い先輩や友人を呼び出して、コンビニでアイスを買って朝方まで話したりギターを弾いたりしたものだ。
気の置けない友人と星空を見ながら時間を忘れて食べるアイス、結構いいもんなので、みなさんにも是非やってみてほしい。
久しぶりに大学時代の関西の友人や先輩に会いたくなってきた。
いつか小林に招待して、ダイワファームに連れてってあげよう。
長々とお読みいただきありがとうございました。
明日もいい日に。
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