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漫画を描きたいと思った根本的理由を考えてみた。

10月から、 #コルクラボマンガ専科 という
宇宙兄弟やドラゴン桜の編集者を歴任してきたコルク佐渡島さんの主宰する
漫画講座に通い始めた。(半年間の講座)

こちらは講座に先立って課題として提出した、自己紹介漫画。
なぜ漫画を描きたいのかをまとめた。


それから2ヶ月たった11月10日。
山田ズーニー先生という文章表現インストラクターをされている方の講義回で
「自分の一番表現したいこと」について考えたので、ここに記録したい。
2名1組で30分個人的な質問に答え、4分で発表し、30分で文章にまとめ、最後は受講生50名が椅子を並べ輪になって
ひとりひとりの一番表現したいことを聞く、という合計5時間のワークショップだった。

そのワークを受けて描いた漫画がこちら。


なぜ漫画を描くのか

つまるところ、自分を好きになりたくて、漫画を描いている。

他人のものさしで生きてきた。
すぐに手の出る厳しい父の影響か、クラスにうまく馴染めなかったせいなのか、わからないが、
人からの評価、学歴やステータス、容姿や人望、いいねの数でしか、自分を測ることができないでいた。

そのものさしの上でうまくいかないと、自分自身をボロ雑巾のようになじり、精神的にも肉体的にも傷つけた。
一方、そのものさしの上でうまく行っても、花火のように儚い充足感しか得られない。

就職留年してまで入った憧れの会社。
周りの評価を気にしすぎてか、部署の空気が合わなかったのか、無理をしすぎて、入社早々休職することになった。
心療内科の先生に、「同じ病気の人でフルタイムで働けている人はいません」と言われた時、
それまでグラグラになりながらも必死で積み上げてきた石の塔が、崩れ落ちたように感じた。

けれど、結局2年間続いた休職期間で、わたしはやっと自分の心に耳を傾けることができた。
嬉しいと感じたこと、本当は嫌だったけど嫌じゃないふりをしたこと、好きなもの、嫌いなもの。

昔好きだった絵を再開してみたり、興味のあったバイクの免許を取ったり、ゆっくり母親と話しながら公園を散歩したり、ささやかな旅に出たり。
その過程で、少しだけ自分を好きになれたような気がする。

2年の休職中、支えになったもののひとつが、漫画だ。
ベッドに寝転がりながら、約800冊の漫画を読んだ。
主人公と共に泣き、笑い、束の間の現実を逃避行し、あるいは現実に向き合い、随分と癒された。

そういえば、小学校の時も、漫画が好きだった。
父に叩かれ布団で声を押し殺して泣いた夜、
クラスのグループ分けでどこにも入れず立ち尽くした放課後。
漫画はいつもわたしを連れ出して楽しい世界を見せてくれたし、時には一緒に悩み、励ましてくれた。
恥ずかしくて口に出せなかったが、当時は密かに漫画を目指していた。
ノートにコマを割り、キャラをつくり、4コマ漫画の投稿などもしていた。

小学校のそんな情景が思い出され、
休職中、再びペンを取った。
友人と共作でストーリー漫画を4作書いた。(全て選外のAクラスだったが。)
エッセイ漫画を書いて、SNSに投稿した。10くらいのいいねと、1つ2つのコメントがついた。描く旅に自分の中の言葉にならない何かが昇華されるような心地がした。純粋に嬉しかった。

漫画を描くことを通じ、自分自身を好きになりたい。許したい、認めたいという方が適切かもしれない。
もしかしたら、未だに布団の中で、教室の隅っこで、泣いている幼き日の自分を
救ってあげたい、なんて思っているのかもしれない。

そして、そんな漫画を通して、同じような思いを抱える誰かの心も軽くできたら、これ以上嬉しいことはないと思う。


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