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緊縛漫画から考察する緊縛とは何かということ

今月新刊の出た、緊縛を題材にした漫画を読んだ。

漫画の性質上、当たり前だが、界隈ではない人も読めるように、丁寧に描かれていてとても好感を持った。
(緊縛を色モノにしない誠実さ)

さらに、界隈の人が見ても「違和感」を覚えないように、しっかりと土台は盤石なものにしているようだが、それを安易に気付かせない丁寧さ。
(家の基礎は床の下)

そんなこんなで、結構遠い距離から(世間一般の方々の場所から)緊縛を見ることができて思ったのは、

緊縛って
「縄」という非日常アイテムと
「体を縛る」という非日常行為に
どうしたって引っ張られがちになってしまうが、

人が人とおしゃべりをする時に、
何を言ったか、だけでなく
相手の間や目線、表情などもおしゃべりの一部と捉えているように

緊縛においても、体験を構成するのはそれらの無数の要素であるよなぁと、
そんなことを再認識したわけです。

つまり…縄は言語みたいなモノで…

作中に出てくる課長さんは、普段日本語を使ってるけど、英語(縄)を扱える女王様に会って変わったが、
女王様がドイツ語(縄以外)だったらどうだったのか?
性癖ドンピシャじゃないにせよ、まっったくハマらない、というわけではなかったと思うくらいに、
言語(道具)以外の要素って強いんだろうなぁと。

一緒に話してて楽しい人と話したいよね。
そして、自分と合った人に巡り会えたなら、それは奇跡と呼べるのかもしれないとぼんやり思った。

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