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「逆転のPL」とルパンダンス

※本稿は「文春野球甲子園」という企画への応募原稿に修正を加えたものです。以前のパワプロコラムと同様に執筆時点より日数が経過しており状況が変わっている部分もあるのですが、高校野球とPL学園を好きな人に読んでいただけたらサイワイです。


春は満開の桜並木の下で花見と、センバツ。

夏は全国有数の花火芸術と、甲子園。

大阪の高校野球名門校、PL学園にほど近い土地で育った私にとって、春と夏は四季の中でも風物詩がふたつあるような贅沢さがあった。

全国屈指の名門校で数多くのプロ野球選手を輩出してきたPL学園硬式野球部。その存在は間違いなく地元の誇りであり、地域の人々は野球部員に不思議な親近感のような気持ちを抱いていた。それはチームの強さだけでなく、敷地内をランニングしながらすれ違う人すれ違う人に大きな声で挨拶をしてくれる礼儀正しさも理由の一つだったように思う。

その感覚は幼い自分にとっても例外ではなく、公式戦の季節になると母校でも無いのに新聞に掲載される試合結果に一喜一憂し、球児の夏が一試合でも長く続くように祈ったものである。


PLの野球部が「逆転のPL」と呼ばれるようになったのは1978年の甲子園での戦いぶりからと言われているが、1993年生まれの私は当時の強さはおろか、最強と言われたKKコンビのリアルタイムでの興奮すら知らない。

それでもシンプルなデザインのユニフォームと、その上からお守りを握りしめて集中を高める選手の姿、そして数々の名勝負は私の記憶に強く焼き付いている。

中でも特に印象に残っている球児がいる。前田健太だ。

今では飛行機で何時間と離れたアメリカの地で快投を披露しているマエケンも、高校時代は私の自宅から数分の所をランニングするのが恒例だった。彼とよく挨拶を交わしていたというのはPL敷地内の病院に通っていた祖父の小さな自慢だったようだ。

1年生にしてPLのベンチ入りを果たした右腕の名は当時から注目を集めており、大阪府大会の決勝再試合で堂々の完投勝利を挙げチームを甲子園に導いた時には子供心にとんでもない選手が出てきたんだとワクワクした。

甲子園はテレビ観戦か外野席派だった私も、その夏は父に連れられてアルプススタンドへの応援ツアーに申し込んだ。普段なら1日3試合か4試合観戦して帰るのが普通の高校野球で1試合しか観戦できないのは勿体ない気もしたが、マエケンの雄姿を見られるなら構わないと思ったのもよく覚えている。

ただ実際に現地へ行ってみると高校野球のアルプス応援団というのは中々大変なもので、炎天下の日差しが照りつける中で指定された座席に着き、配布されたカラー帽子を被り、応援団の指示に合わせてカラーボードを掲げねばならなかった。これは高校野球ファンにとってはお馴染みの、PL応援団お家芸である人文字のためで、当時はコレオグラフィーなんて洒落た表現は使わなかった。

なにぶん、やっている側はあまり分からなかったのだが後から映像を確認すると「PL」のLの書き終わりくらいに座っていたようで、掲げたカラーボードも計算通りに「GO!」と鮮やかなメッセージを描いていた。ただ迎えた日大三高との初戦。人文字のような計算通りの展開にはならなかった。

序盤はマエケンの快投で互角の展開になったが、二回に打球が足を直撃するアクシデント。その後も粘り強く投げたが、四回に捕まり3点を奪われ、五回でマウンドを降りることになった。

打線も相手の好投手を打ち崩せず、一時僅差まで詰め寄ったものの終盤に立て続けに失点。真夏の日差しは選手だけでなく応援団の体力も奪い、徐々に深まる敗戦ムードの中で名門復権を期待して集まった応援団の声援は次第に小さくなっていった。


突然、応援団長が切り出した。

「伝統のダンスで、逆転を呼び込みます!」

その一声に呼応してアルプスには「ルパン三世のテーマ」が流れはじめ、これまで実直に応援をリードしていた団長がステップを踏みながら、大きなモーションで、どこかコミカルに踊り始めた。正直、そのダンスはカッコ良かったというよりは面白かったと表現するべきものだったが、とにかく停滞していたアルプスのムードは彼の舞で一変した。

『ルパン三世』の銭形警部の名セリフを借りるならば団長のダンスに「心を盗まれた」スタンドは活気を取り戻す。その声援に後を押されたPL学園は八回に2ラン、九回にもソロホームラン。点差こそあったが「逆転のPL」を期待せずにはいられなかった。

しかし現実はそう上手く行かないもので、想定以上に開いた点差を縮めきれず、終盤の追加失点がダメ押しとなり8-5で敗戦。この試合はマエケンが出場した最初で最後の夏の甲子園になった。


ご存じの通りPL学園硬式野球部は事実上の廃部状態にある。私がアルプスでPLを応援したのも、あの日が最初で最後。だからあのダンスが本当に伝統だったのか、そもそも団長だと書いてきたが本当に応援団長だったのかも分からないし、もうそれを確かめる術もない。

それでもあの「ルパンダンス」がアルプスと球場の空気を変えたのは間違いない。

3年間の集大成となる夏の甲子園、1年生エースがアクシデントに見舞われ、終盤までビハインド。あの息詰まるような場面でルパンダンスを踊って魅せた応援団に、強豪校ひしめく大阪で「逆転のPL」として名をはせたメンタリティーを見た気がする。


2019年からはプロ野球のオリックス・バファローズに「最後のPL戦士」と目される中川圭太選手が入団。7位指名スタートからすぐさま一軍に上り詰め、打率を大きく上回る得点圏打率を記録している勝負強さは「逆転のPL」を思わせる。

窮地に追い込まれた時こそ積み上げてきたものが発揮されるとよく言うが、きっとPL戦士にはこの「逆転のPL」メンタリティーが組み込まれているのだろう。

新規受け入れを停止し、今は大阪府高野連からも脱退しているPL学園の硬式野球部。しかし、昨年の11月には桑田真澄氏が野球部OB会の会長に就任し、今年からはPL学園OBチームとしてマスターズ甲子園に参加。桑田氏自らも登板も果たしている。

一時は絶望的とも言われた野球部の復活だが、桑田氏はこの問題にも取り組むことを明言している。

果たして、ここから「逆転のPL」を呼び込むルパンダンスは巻き起こるだろうか。

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