自分は檀家の情報を覚えるつもりがないのに、檀家にはお参りの作法等覚えろと言う-私の離檀記

何度も書いていますが、元菩提寺は檀家数の多い大きなお寺です。そして「当寺は檀家数が多いので、檀家さん一軒一軒の情報を覚えるつもりはありません」と言わんばかりの態度です。

父の四十九日の時も住職が「haru家のお墓はどこにあったっけ?」と聞いてきました。私は「祖父母の法要の時に何度もお墓に来ているのに覚えてないのか」と思いましたが、普通に「◯◯霊園です」と答えました。悲しいけれど、毎日毎日忙しくていちいち覚えてなんていられないのかもしれません。

でもその割には「haru家はお参りの仕方が悪い。次回、きちんと出来るか見ている」とか言ってくるのです。自分は我が家のお墓がどこの霊園にあるのか覚えていないのにどういう神経で我が家には「お参りの作法を覚えろ」と言ってくるのか、全く理解できません。「次回、我が家が作法通りお参りできているか確認する」ことを覚えている記憶力があるのなら、本当に我が家のお墓の場所を覚えるのに使って欲しかったです。

正直言って今まで元菩提寺の住職の言葉を「有り難い」と感じた事がなくて、ずっとそれは「私に信心がないからだ」と思っていたのですが、住職が「〚檀家に◯◯をしろ〛と説くのであれば、自分はそれ以上にしっかりしていないといけない」という考えを持ち合わせていないからだけだという事に気がついてしまったのでした。

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