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明日死ぬと思わないと生きていられない

 頑張ることが人生だ。望んだ記憶はないけれど振り返ると頑張った日々だけがある。

 例えば水泳。最初は、水が顔にかかるのすら嫌がるほど嫌いだった。ひとりでシャワーを浴びられなくてお母さんに洗ってもらっていた。だけど、ついにスイミングスクールにいれられ泳ぐことになった。
 苦しかった。行ったら水との戦いだし、行かなかったら親の怒りに触れた。1回いったら、次に行くまでの1週間の猶予が与えられる。その猶予を得るために頑張っていた。
 何より苦しかったのは泳いでいるときだった。水に触れているうちにさすがにある程度は泳げるようになった。やがてただ泳ぎ続けるだけのコースに移った。コーチが笛を鳴らすまで泳ぎ続けた。うしろに誰かが泳いでいるの感じつつ抜かされないように泳いだ。あと1回と念じつつ息苦しさを覚えつつ泳ぎ続けた。たった5分のインターバル。それを得るために頑張り続けるのだ。

 例えば、大学受験。常にできないことと向き合い続けた。1/17の 16:00。その次は2/25の16:00。唱え続けながら頑張った。英文字が変わらないように、失望されないように、他人にぬかされないように。大学生活というインターバルが欲しかった。今は土日のために生きている。

 私はいつだって、終わりを夢見ながら踏ん張ってきた。十分頑張ったね、もう終わり、といって誰かが私の息の根をプツンと切ってくれることをただ望む。その日を信じて頑張っている。
 私が終わった時が終わりじゃなくて、誰にも必要とされなくなった瞬間がおしまいなのだ。急かす周りために、心はとっくに捨ててきた。
 きっと私は、私を知らないだれかのために自分を殺して息絶える。

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